グレタ・ガルボ Greta Garbo Mata Hari (1931)

Greta Garbo stars in a romantic biography of the female spy Mata Hari
Mata Hari DVD
Greta Garbo in Mata Hari

Mata Hari (1931年)
「マタ・ハリ」は主な作品がサイレント作品だったGeorge Fitzmaurice(ジョージ・フィッツモリス又はフィッツモーリス)が監督したスパイ映画です。
出演は伝説のスパイにGreta Garbo(グレタ・ガルボ)と中佐Alexis_Rosanoffに二枚目俳優のRamon Novarro(ラモン・ナヴァロ)です。 「椿姫」でもグレタ・ガルボと共演しているLionel Barrymore(ライオネル・バリモア)がマタハリに誘惑されるロシアの大尉Serge Shubinを演じます。 Drew Barrymore(ドリュー・バリモア)の大叔父であるライオネル・バリモアは1946年に「素晴らしき哉、人生!」でベイリー氏の父親を困らせた車椅子の悪徳銀行家を演じています。

第一次大戦時を舞台に、パリのナイトクラブ「ムーラン・ルージュ」でデビューし、社交界でも花形だったドイツ軍の女スパイ「マタハリ」は踊り子であり又高級士官や政治家相手の高級娼婦でもあったそうです。 参謀部の命令により寝物語で敵国の秘密を探る諜報活動を行いますが、ロシアの青年将校に接近するうちに本当に愛するようになってしまうのです。 それによりマタハリにとって過酷な運命が待ち受けるという悲恋物語です。 観客は伝説の女スパイ「マタハリ」がセクシーな衣裳で踊る最初のシーンで魅せられてしまいます。

videoマタハリのトレーラーはMata Hari Trailer – Turner Classic Movies(Mata Hari – (Original Trailer)をクリック、最初は宣伝)
Mata Hari Trailer – Videodetective

映画「マタハリ」の写真が見られるMata Hari Photos – FILM.TV.IT
ドイツ語ですが、グレタ・ガルボのマタハリのレトロな特大写真が見られるサイトはMata Hari Photos – Alles über Mata Hari – der Klassiker mit Greta Garbo!(ページ一番下のリンク集で、Filmausschnitt »Mata Hari« (9MB) をクリックすると「マタ・ハリ」のビデオがダウンロードされます。(safariに変更した私のブラウザではRealPlayer用のwmvファイルがダウンロードされても現在のバージョンのQuickTimeで観られません) 一つ飛んで次のリンクSeit Oktober 2005 auf DVD: Mata Hari mit Greta Garbo und Ramon Novarroではドイツ版「マタハリ」の綺麗なビデオカバー画像が見られます。その下のリンク集は「Grand Hotel(グランド・ホテル)」、「Anna Christie(アンナ・クリスティ)」、「Anna Karenina(アンナ・カレニナ)」、「Camille(椿姫)」、「The Conquest(征服)」、「Ninotchka(ニノチカ)」、「Two-Faced Woman(奥様は顔が二つ)」の写真付きグレタ・ガルボの映画のページです)

グレタ・ガルボが演じる妖艶な踊り子スパイのマタ・ハリは暗号名を「H-21」といいますが、死刑台のエレベーターのJeanne Moreau(ジャンヌ・モロー)も1965年に前夫だったJean-Louis Richard(ジャン・ルイ・リシャール)が監督した「Mata Hari, Agent H-21(マタ・ハリ)」に出演して数場面で鼻歌は歌いますが暗号サインだけで踊りは見せません。(ジャワからやって来たエキゾチックな踊り子というより疲れきった顔つきのモロー) Francois Truffaut(フランソワ・トリュフォー)の脚本で「男と女」のJean Louis Trintignant(ジャン・ルイ・トランティニャン)が婚約者がいるのにマタハリに誘惑される口ひげの将校フランソワ・ラサール大尉として出演しています。(音楽がGeorges Delerue(ジョルジュ・ドルリュー)です) 透け透け衣装のマタハリは指の動きが暗号となっている踊りで客席のスパイに情報を送ったり見えないインクで書かれた緊急指令を受け取るのがドイツのスパイとしてパリで活躍する踊り子のマタハリ。 グレタと名乗って前線に向かう仏軍大尉をセイロン紅茶で誘い機密書類入りの鞄を仲間と奪うマタハリだがラサールに本気で恋をしてしまう。 前戦で傷ついたラサール大尉会いたさにパリから駆けつけたマタハリだったが、次の指令はラサールの命と引き換えで女に甘い仏軍総司令官のペルティエ大佐に近づくことを強要される。 ペルティエと一緒のところを目撃し嫉妬するラサール大尉には昔なじみだと言い訳するマタハリだが秘密の手紙を見られてしまう。 一方、三日後には戦場に発つペルティエはマタハリをものにしようと躍起にながマタハリが酒瓶で殴り執務室に侵入、金庫から軍事機密文書を盗み出してバルセロナに逃げる。 しかしドイツ諜報部はスパイとしてのマタハリは終わったと仏軍に売る。 ラサール大尉に会いたいとパリに戻るマタハリは従姉と偽って戦場におもむくき、再会したラサールにマタハリはジャワに行ったことはなくオランダで生まれたと告白します。 二人が夜を共にした廃墟が仏軍少数部隊に包囲されラサールは死亡、マタハリは逃亡しようと報奨金を銀行で受け取った直後に仏軍兵士により逮捕、判決は銃殺刑。 ラストシーンでラサールとマタハリが手をつないでかけてくる映像が来生で永遠意結ばれることを幻想的に見せています。 演技派のモローやトランティニャンなのに感情移入できず、二重スパイ行為も戦争シーンも緊迫感が希薄。
☆ジャンヌ・モローのマタハリのポスター画像が見られる蔵出し映画缶 マタハリ ポスター
ジャンヌ・モロー以外にもマタハリを演じたのはエマニエル夫人のシルビア・クリステルで、Curtis Harrington(カーティス・ハリントン)監督の1985年の劇場未公開映画「Mata Hari(魔性の女スパイ)」で主演しました。

実在したマタハリ
かって第二次世界大戦では東洋のマタハリと呼ばれマスコミのアイドルとなり、村松梢風の小説「男装の麗人」のモデルともなった女スパイで川島芳子(愛新覺羅顯㺭)が終戦後に替え玉説のある銃殺刑になりました。 マタハリとはなんとも怪しげな雰囲気をかもし出す名前で女スパイの代名詞となっています。 第一次世界大戦時に活躍したといわれる踊り子スパイの名はミステリアス、妖艶、裏切り、そして二重の人生などを連想させます。 本名は「Margaretha Geertruida Zelle(マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ)」というマタハリはジャワとオランダの混血の美女ともいわれていますがエキゾチックな踊り子としてでパリやベルリンで評判をとりました。 その人気に目を付けたフランス軍情報部がドイツ情報部に潜伏させるマタ・ハリという踊り子名で女スパイに仕立て上げたのです。  エッフェル塔での交信傍受により諜報員H21号の謎が解けてマタハリははスパイ容疑で逮捕され、罪判決を受けて1917年に処刑されましたが、果たして二重スパイだったかどうかは謎のままです。 仏軍による処刑は妥当なことだったのか。 第二次世界大戦後の1948年に北京で銃殺刑となった”東洋のマタ・ハリ(川島芳子)”は替え玉説がありますが、ジャワのマタハリはその美貌ゆえ銃殺隊の方が目隠しをした処刑でいさぎよく銃弾を受けたのだろうか。 第一次世界大戦時の伝説となったほど魅力的な人物、寝物語で1万人もの男の命を奪った女スパイ「マタハリ」はその名声がゆえに悲劇を呼んだともいえるでしょう。 オランダでの幼少時代から曲馬団を経てパリのムーラン・ルージュでのヌードダンサーとしての全盛期、そしてスパイとしての銃殺刑という謎の人生の裏に迫る伝記映画です。 ジャワ系のマタハリという芸名は「太陽の眼、又は暁の瞳」を意味するらしいマレー語からつけられたそうです。

実在した「マタ・ハリ」はオランダとジャワの混血なのでエキゾチックですが、マタハリが踊ったのは混同されがちな中東のベリーダンスではなくてインド舞踊に近いジャワ舞踊のようです。

Mata Hari DVD & VHS
ページトップの画像は2005年にリリースされた日本語字幕版「マタ・ハリ」のDVDです。
VHSだと国内でも輸入版の「Mata Hari (1931)」や「マタ・ハリ [VHS] 」などがあります。

Greta Garbo: A Cinematic Legacy (ハードカバー) (ISBN-10: 081095897X)
Greta Garbo Book
Greta Garbo (1905 – 1990)

グレタ・ガルボの出演映画
無声映画からトーキーに代わった1930年になって初めてガルボがしゃべりました。 ガルボが主演した「アンナ・クリスティ」は Eugene O’Neill(ユージン・オニール)のブロードウエイの芝居を映画化した英語版の翌年にFrancoise Rosay(フランソワーズ・ロゼー)の夫君であるJacques Feyder(ジャック・フェデー)がドイツ語で製作した1931年の同名作品があるそうですが、一般的には「アンナ・カレニナ」と同じくClarence Brown(クラレンス・ブラウン)が監督した1930年のハリウッド映画が知られています。 ちなみに1927年の「アンナ・カレニナ」の前にグレタ・ガルボが主演した1926年の映画では「The Torrent(イバニエスの激流)」に続き「Flesh and the Devil(肉体と悪魔)」がありました。
その「アンナ・クリスティ」でのガルボのセリフ「Gimme a visky, ginger ale on the side. And don’t be stingy, baby.」がそうです。(Gimme a viskyのセリフは独語)

グレタ・ガルボ: ハリウッド黄金時代の謎の美女
May Britt(メイ・ブリット)やIngrid Bergman(イングリッド・バーグマン)と同じくスウェーデン出身の女優のグレタ・ガルボはハリウッドに渡り大成功しました。 広い肩幅でガッチリとした体型のイングリッド・バーグマンのナチュラル・ビューティに対して、「My Fair Lady(マイフェアレディ)」のごとくハリウッド流に磨かれハリウッド的人工美で華奢に見えるガルボが出演した映画は30余本ありますが、半数以上はサイレント映画でした。 映画会社MGMの意向で徹底的にミステリアスな近寄り難いイメージが作り上げられましたが、ガルボがお気に入りの化粧品というのが石油ゼリー、つまりワセリンだったそうです。 トーキーになってから声の問題で消えた俳優もいるのですが、グレタ・ガルボの場合はハスキー・ボイスと強烈なスェーデン訛りの英語が魅力をいっそう引き立てて人気が出たそうです。 マタハリの翌年に同じくジョージ・フィッツモーリス監督の「As You Desire Me(お気に召す儘)」に出演しましたが、「椿姫」の後に2年間のブランクがあります。 1939年にはグレタ・ガルボがロシアのお堅い共産党員(ボルシェビキ)の特命全権行使ニノチカ・ヤクショーバを演じたエルンスト・ルビッチ監督のコメディ映画、というかロシア外交官とフランス貴族との恋を描いた「Ninotchka(ニノチカ)」で復帰しています。 「ニノチカ」は”ガルボが笑う!”という意外性をアッピールした珍しいグレタ・ガルボのコメディです。 お堅い行使がなぜ笑ったかって? 問題の宝石の持ちであるロシアから亡命した主大公妃の愛人のレオン伯爵が笑い話をあれこれ試みた挙句突然こけるという予期せぬ行動を目の当たりにしたから。(レオンを演じたのは1942年の「お気に召す儘」でも共演したメルヴィン・ダグラス)
video「ニノチカ」のトレーラーはNinotchka Trailer – Turner Classic Movies(Original Trailerをクリック)
「ニノチカ」はリメイクとして1957年に、Cole Porter (コール・ポーター)によるブロードウェイ・ミュージカルを映画化した「Silk Stockings(絹の靴下)」が制作されたそうです。 1941年に「血と砂」を監督したルーベン・マムーリアンで、フレッド・アステアとバレー団出身の女優で「パリのアメリカ人」に出演したCyd Charisse(シド・チャリーシー)が出演して魅惑的な下着とストッキングをご披露しました。パニエが素敵ですが絹の靴下だけであんなに踊ったら破けないかと心配です。

1941年の「Two-Faced Woman(奥様は顔が二つ)」を最後に30歳台でダンサーを演じた映画「グランド・ホテル」の中でのセリフのように「一人になりたい」と突然引退し、マンハッタンで隠遁生活を送りました。 人工美を追求した後遺症によるのではとも噂されましたが、引退後は秘密のベールに包まれたままで神秘的なイメージだけが永遠に残っています。(整形崩れではなくただの老化現象でしたがこの逸話が1992年の「Death Becomes Her(永遠(とわ)に美しく)」の中で永遠の美を約束する秘薬を高額で譲りわたす魔女があたかもガルボが顧客だったかのように言及しています)
☆グレタ・ガルボの生い立ちについてと幼少からの写真や50歳の写真が見られる「Greta Garbo BIO Photos – The Ultimate Star – Timeline

Greta Garbo’s Cloche Style Hats
ガルボといえば、お帽子! フランスのデザイナーであるGabrielle Coco Chanel(ココ・シャネル)もお気に入りだったファッショナブルなグレタ・ガルボは、スウェーデンでは帽子売り場の売り子からカタログ用帽子モデルの仕事、そしてデパートのCM映画出演と、その美貌ゆえのとんとん拍子で映画スターの座を射止めました。
ガルボのファッションは世界中で大流行し、特にガルボ・ルックといわれた三日月眉毛のメイクアップが人気でした。 グレタ・ガルボは時にはFedora(中折れソフト帽)をかぶって顔に影を作りより謎めいて見える演出もしたので、この縁のたれたソフト帽はとても有名になりましたが、深く被って縁鐘型に下ろした帽子はCloche(クロシュ)と呼ばれ眉毛まで隠れます。

グレタ・ガルボ切手
2005年9月にグレタ・ガルボ生誕100周年記念にあたりスウェーデンと米国で記念切手がが発行されました。

「Mata Hari」を始め、主要なグレタ・ガルボの代表作がこのDVD10枚組に収録されていてファンだけでなくガルボ初心者にも最適な「ガルボ シグネチャー・コレクション」です。
Garbo - The Signature CollectionGarbo – The Signature Collection (初回限定版) [DVD]
7枚はMGMのトーキー映画でサイレント映画がFlesh and the Devil、The Temptress、 The Mysterious Ladyの3作、おまけにドキュメンタリーがついています。

1937年にGeorge Cukor(ジョージ・キューカー)が監督したグレタ・ガルボの「椿姫」の国内版DVDには2005年発売の「椿姫 特別版」がありますが、VHSでは1999年の日本語字幕版や、(NTSC(日本、米国、カナダ向け)VHS)と「Camille」 (1937) 「海外版」があります。

☆グレタ・ガルボの「椿姫」の写真が見られるイタリアのMargherita Gauthier Photos – FILM.TV.IT

1937年の「椿姫」公開当時はパリコレのデザイナーであったココ・シャネルが絶賛したガルボのCamille(椿姫)の原作は、「三銃士」やThe Iron Mask(鉄仮面)で有名なAlexandre Dumas pére(アレクサンドル・デュマ・ペール)の息子であるAlexandre Dumas (fils)(アレクサンドル・デュマ・フィス)が書いた1848年の恋愛小説です。 19世紀パリの社交界を舞台に椿姫と呼ばれた美貌の高級娼婦Marguerite_Gautier(マルグリット)と若き法学士Armand_Duval(アルマン)の悲恋物語です。 ニューヨーク批評家協会の最優秀女優賞を受賞したジョージ・キューカー監督の作品で、ガルボのお相手は1940年の「Waterloo Bridge(哀愁)」で知られる美男俳優「Robert Taylor(ロバート・テイラー)」です。 グレタ・ガルボの類希な美しさと1940年代のパリのレヴュを堪能できる映画です。 デカダンなカンカンも!