ボビー・ダーリン Bobby Darin

Bobby Darin(1936 – 1973)
ティーン・アイドルから大人のエンターテイナーに
ニューヨーク州のブロンクスでイタリア系の家庭に生まれたボビー・ダーリンは50年代~60年代の米国の伝説のエンター・テイナーと呼ばれました。 ”とっちゃんぼうや(父っちゃん坊やは童顔の意味)”という形容がぴったりのボビー・ダーリンですが、1950年代の終わり頃からレコードの吹き込みを始め、私は当時は全く記憶にありませんでしたが、バシャバシャと風呂に入ってたらギャングやギャルが居間で踊ってたという変なロックの曲を1958年に「Splish Splash(スプリッシュ・スプラッシュ)」をヒットさせ、その後も邦題は” 匕首マッキー”という1959年の”Mack The Knife(マック・ザ・ナイフ)”の9週連続トップという快挙を成し遂げました。 この” 匕首マッキー”という曲は劇中歌の”メッキー・メッサーのモリタート”のことで、ドイツのブレヒト戯曲The Threepenny Opera(三文オペラ)の登場人物であるギャングのMackie Messer(メッキー・メッサー)通称マックという犯罪者の行状記を歌った曲のMoritat(モリタート)をアレンジしたものです。 この他にも”Dream Lover”などのロックンロール調のポップスで一躍ティーンのアイドルとなりました。 このことから今までポップス歌手とみなされていたボビー・ダーリンがジャズのファン層にも認められたのだそうです。 そこで、ロックンロールに見切りをつけたボビー・ダーリンはボビーソクサー・スタイルのセーターを脱ぎ捨ててタキシードを着込みフランク・シナトラのようなエンターテイナーを目指しました。 ボビーダーリンが指パッチンで歌うラスベガスのナイトクラブのショーは大変な人気だったそうです。 ボビーの歌唱スタイルはポスト・フランク・シナトラとも称されたほどで、私も初めて”No Greater Love”を聞いたときは一瞬本当にシナトラかと思いました。 特に大ヒットした”Mack The Knife”はまさにシナトラばり! 私も当時シングル盤を購入したそのMack The Knifeでグラミー賞を受賞しました。 始めは1956年に吹き込んだLazy Riverや1960年のClementineやCaravanなどのスタンダード曲のカバーも沢山あります。

ボビー・ダーリンの”マック・ザ・ナイフ”は1994年にRobert Redford(ロバート・レッドフォード)が監督してRalph Fiennes(レイフ・ファインズ)が出演した「Quiz Show(クイズ・ショー)」の冒頭や2000年にJohn Travolta(ジョン・トラヴォルタ)やTim Roth(ティム・ロス)が出演した「Lucky Numbers(ラッキー・ナンバー)」など映画のサントラでも使用されました。 ちなみに「クイズショー」のサントラにはエンディングで使用されたジュリア・ロバーツとの結婚歴があるLyle Lovett(ライル・ラベット)が歌う”マック・ザ・ナイフ”のスローな原曲”モリタート(Die Moritat von Mackie Messer)”が収録されています。(サントラは「クイズ・ショー/オリジナル・サウンドトラック」ASIN: B000UVA92S、輸入盤はASIN: B000026WB6)
Bobby Darin – Mack The Knife – YouTube (1959)

Teen’s Fashion in Fifties – Bobby-Soxer
ボビー・ソックスはボビー・ダーリンのソックスではありません。
ボビーソクサー(Bobby Soxer又はBobby Sockser)とは1940年代の造語で当時初のteen idol(ティーンアイドル)歌手の「フランク・シナトラ」をキャーキャーと騒いで群集心理で追いかけるファンの”ティーンエイジャーの女の子”を指します。 当時のアメリカの若い女性や女子高生などが履いていた主に白いクルーソックス(Ankle socks)がボビーソックス(bobby socks又はbobby sox)と呼ばれていたことからきた言葉です。 50年代当時の女子高生の定番ファッションはカーディガンやセーターに簡単に家で縫える単色フェルト製スカートにアップリケをしたプードルスカート(Poodle Skirt)と呼ばれるペチコート使用の裾広がりのフレヤースカートを着用していました。 履物はタップダンサーやロカビリアンも愛用したサドル・シューズ(Saddle Shoes – Fifties Shoes)と呼ばれる甲の部分に黒(茶)など馬の鞍をつけたような二色配色の紐つきのコンビ靴も流行りました。 わけが分りませんが実際にプードルのアップリケがついているスカートもあったのですが後に改造自動車や花も登場しました。(当時プードルはステイタスのシンボルだったのか戦後のデザイナーが考案して人気となったとか) 日本でもすそ広がりのスカートが流行り、ゴワゴワした落下傘とも呼ばれたペティコートを何枚も重ねてスカート下に履き、カーディガンを肩で羽織るのがアメリカ風でお洒落でした。 そんな下着を当時はPetticoat(ペティコート)と呼んでいましたが現在ロリータ・ファッションではPannier(パニエ)というのだそうです。(起源は18世紀の横張りスカート) 日本の某女子高校生はきちんと三つ折りした白ソックスはダサイとばかりに、バルキーソックスをクルクル巻いて足首を出したファッションでした。 大量に送られる”Bulk Mail(スパム)”といわれますが、女学生の履くバルキーソックスとは白い木綿の厚手のソックスのことです。

ざっと見たところ私が当時購入したボビー・ダーリンのシングルEPレコードの中にはOo-Ee-Train( オー・イー・トレイン、発売当時の題名はオンボロ汽車ポッポ)とLazy River(レイジー・リバー)、Clementine(いとしのクレメンタイン)とCaravan(キャラバン)の組み合わせがあります。 ”クレメンタイン”という曲も1946年にJohn Ford(ジョン・フォード)が監督した「My Darling Clementine(荒野の決闘)」の挿入曲で日本では雪山賛歌として知られています。

ボビー・ダーリンはロックンロールの王者と呼ばれたElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)とは大変仲良しだったそうですが、そのエルヴィス・プレスリーに匹敵するほどの多くのヒット曲を放ち、その歌のジャンルは広範囲に及んだと言われています。

Somewhere beyond the sea, Somewhere, waiting for me ..
2004年にケビン・スペイシーがボビー・ダーリンを演じた映画「ビヨンド the シー 夢見るように歌えば」の題名にもなったボビーダーリンの1960年のヒット曲「Beyond the sea(海の彼方に)」は”En avril à paris(四月のパリ)”や”Mes jeunes années(わが若かりし頃)”などで有名なフランスの歌手のCharles Trenet(シャルル・トレネ)が1946年に歌った有名なシャンソンのLa Mer(ラ・メール)にJack Lawrence(ジャック・ローレンス)が英語の歌詞を付けたものです。 とはいえ、クラシックのClaude Debussy(ドビュッシー)が作曲したあるコンチェルトが元となっているそうですが交響曲の”La Mer”ではありません。 アメリカでは1948年のスウィングバンドのBenny Goodman(ベニー・グッドマン又はベニイ・グッドマン)や1944年のグッドマン死後にバンドを受け付いだサックス奏者で歌手のTex Beneke(テックス・ベネキー)がスイング時代の歌手であるRonnie Deauville(ロニー・ドービル)のヴォーカルでGlenn Miller(グレン・ミラー)楽団として演奏しています。 よく間違えられますがFrank Sinatra(フランク・シナトラ)は歌ってはいてもレコーディングはしていないらしいです。
ボビー・ダーリンのBeyond The Seaの歌詞はBeyond The Sea Lyrics – Genius.com

Mack the Knife
ページトップのCD画像はオリジナルが1958年録音のボビー・ダーリンのベスト盤で、Mack The Knife、Lazy River、Beyond The Sea、Clementineのヒット曲のほか、Black CoffeeやPete Kelly’s Bluesなどのロマンティックなジャズ・ナンバーをカバーしています。
♪ 試聴はMack the Knife – Archive.org

The Hit Singles Collection
ロックやポップスからジャズまでボビー・ダーリンのヒットしたシングルを集めたCD
The Hit Singles Collection - Bobby DarinThe Hit Singles Collection
♪ 試聴はThe Hit Singles Collection – Archive.org
Splish Splash、Dream Lover、Mack The Knife、Beyond The Sea、Clementine、Artificial Flowers、Lazy River、Multiplication、Things(初恋の並木道)などを収録。 1961年のシングル盤「初恋の並木道」のB面は”Jailer Bring Me Water(錆びた手錠)”でした。
限定盤のアルバムはLost Love(失われし恋)や’ll Be There(いつでも君と)やSorrow Tomorrow(涙の夜明け)など12曲を収録した「初恋の並木道」(ASIN: B00D3OV0D6))です。
♪ 試聴はThings & Other Things: 初恋の並木道 – Hmv.co.jp
ちなみにI’ll be there, When all your dreams are broken…Don’t you worry darling, I’ll be thereと歌われるスローバラードの”I’LL BE THERE”はボビー・ダーリンが書いたオリジナル曲で1960年に吹き込みビルボードにチャートインしました。 路線が違いましたがボビーと仲が良かったエルヴィス・プレスリーも1969年に吹き込み、The Mamas and the Papas(ママス・アンド・パパス)のCass Elliot(ママ・キャス)も1972年にカバーしています。 キャスのバージョンはテレビシリーズの「 Big Love “D.I.V.O.R.C.E.”」でのストリップシーンのBGMに使用されました。

That’s All
Mack the KnifeとBeyond the Seaなどが収録されているグラミー賞受賞のアルバム
That's All Nature BoyThat’s All
オリジナルの発売が1961年というアルバム「The Bobby Darin Story」にはSplish Splash、Dream Lover、Mack the Knife、Beyond the Sea、Clementine、Artificial Flowers、Lazy River など代表曲の12曲を収録しています。

This Is Darin
山とあるボビー・ダーリンのアルバムですが、私が所有しているヒット曲のCaravan(キャラバン)はなかなか収録されていません。 キャラバンはボビー・ダーリンのオリジナルではなく、Duke Ellington(デューク・エリントン)楽団のトロンボーン奏者のJuan Tizol(ファン・ティゾール)の作曲ですが、ボビー・ダーリンがグラミー賞を受賞したアルバム「That’s All」の続編で1960年のアルバム「This Is Darin」には入っています。
アルバムに収録されている”Pete Kelly’s Blues”はJack Webb(ジャック・ウェッブ)が監督及び主演した1955年の犯罪映画「Pete Kelly’s Blues(皆殺しのトランペット)」のテーマ曲で映画ではPeggy Lee(ペギー・リー)と共に出演したElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)が”Hard Hearted Hannah”や”Ella Hums the Blues”とともに歌っています。 映画には「The Hitch-Hiker(ヒッチ・ハイカー)」のEdmond O’Brien(エドモンド・オブライエン)や翌年に「The Girl Can’t Help It(女はそれを我慢できない)」でブレイクする前のJayne Mansfield(ジェーン・マンスフィールド)も出演しています。
Pete Kelly’s Blues – Ella Fitzgerald – YouTube
This Is DarinThis Is Darin
試聴はThis Is Darin – Amazon.com(6番がCaravan)

レアなEdith Piaf(エディット・ピアフ)のシャンソン”Milord”や”Golden Earrings”などジャズのスタンダードナンバーを収録したアルバム
Winners by Bobby DarinWinners


Bobby Darin Story
日本のAmazon.co.jpでは情報がない2008年発売の輸入盤「Bobby Darin Story」にはSplish Splash、Dream Lover、Mack the Knife、Beyond the Sea、Clementine、Lazy River他全12曲が収録されています。
試聴はBobby Darin Story – CD Universe

Bobby Darin on ATLANTIC EP
私はボビー・ダーリンのアトランチック盤のEPレコードを数枚持っています。
Clementin & Caravan ATL-1052
Clementin and Caravan by Bobby Darin“いとしのクレメンタイン”と”キャラバン”が収録されたこのレコードの解説にはボビー・ダーリンは今年23才と記してあるので1959年か1960年の発売だと思います。 ”Oh my darlin’ oh my darlin’ oh my darlin’ sweet Clemantine(オーマイダーリン、オーマダーリン)”と歌われるアメリカ西部の民謡として親しまれている曲をWoody Harris(ウーディ・ハリス)がボビー・ダーリンのために歌詞を付けてアレンジしたそうです。 ”Night and stars above that shine so bright The myst’ry of their fading light That shines upon our caravan …”と歌われるキャラバンのオリジナルはデューク・エリントン楽団の演奏で有名ですがIrving Mills(アーヴィング・ミルズ)の歌詞で1957年にElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)がChick Webb & His Orchestra(チック・ウェッブ楽団)と1938年にDeccaで吹き込んだそうです。
Bobby Darin – Caravan – YouTue
Bobby Darin – Clementin Live(1960)- YouTue

Oo-Ee-Train & Lazy River ATL-1069
Oo-Ee-Train / Lazy Riverサンドラとの結婚後にヒットした”オンボロ汽車ポッポ”と”レイジー・リバー”を収録してある1961年のEP盤です。 当時はニール・セダカの”恋の片道切符”やポール・アンカの”恋の汽車ポッポ”などがヒットしていましたからボビー・ダーリンも負けじと”汽車ソング”を発表したのでしょうか。 ”Oo-ee come on train carry me home”と歌われた自作のOo-Ee-Trainは1962年のアルバムの「Things & Other Things」(日本では入手不可ですがアメリカのAmazon.com ではASIN: B00GIKI3MI ☆試聴はhttp://www.allmusic.com/album/things-other-things-mw0000336186)などにも収録されています。 ”(Up A) Lazy River”は1930年にHoagy Carmichael(ホーギー・カーマイケル)が1930年に作曲したジャズのスタンダード・ナンバー(実際はNew Orleans Jazzのクラリネット奏者だったSidney Arodin(シドニー・アローディン)の作品でしたが貧しさゆえに権利を譲渡)で、ホーギーがホーマーの叔父ブッチを演じた1946年の映画「The Best Years of Our Lives(我等の生涯の最良の年)」でのバーのシーンでも使用された曲です。
Bobby Darin – Lazy River – YouTube

Theme from Come September & Nature Boy ATL-1074
Come September and Nature Boy“九月のテーマ”と”ネーチャー・ボーイ”を収録したレコードの解説は電撃結婚後のおしどり夫婦の初顔合わせにふれているのでおそらくボビー・ダーリンとサンドラ・ディーが出演した映画「九月になれば」が公開された後にリリースされたと思います。 ボビー・ダーリンが自己のバンド”Bobby Darin & His Orchestra”を結成したことも書かれていました。 ”Come September”はボビー・ダーリンの作曲でダイナミックなギターを弾いているのもボビー・ダーリンだそうです。 インストの方はロバート・マーセイの編曲及び指揮であると書かれていますが情報は見つかりませんが、B面のNature Boyの作者である”Eden Ahbez”が昔風なのかエデン・アーベツとなっているので上記のマーセイもスペリングが判明しません。(Robert Marsey ?) ボビー・ダーリンのネイチャーボーイはイントロが女性コーラスの”Sha-la-la-la-lu…”が印象的なアレンジとなっています。 ”Sha-La-La “といってもAl Green(アル・グリーン)が放った1974年のシングル・ヒット曲”Sha-La-La (Make Me Happy)(シャ・ラ・ラ・)”とは無関係。
☆エデン・アーベの”Nature Boy”についてはAudio-Visual Trivia 内のエデン・アーベ Nature Boy by Eden Ahbez

Multiplication & Irresistible You ATLANTIC JET-1056
Multiplication「いかす!ボビー・ダーリンのツイスト」と銘打ってA面B面ともにツイストの曲でMultiplication(恋の掛け算)は特にノリの良い曲で、映画では酒場のシーンでこの”恋の掛け算”に合わせてロック・ハドソンとジーナ・ロロブリジーダが踊ります。 ツイストは1960年に紹介されたダンスのリズムで当時18歳のChubby Checker(チャビー・チェッカー)のヒット曲である”The Twist(ツイスト NO, 1)”からフランスで当時はジョニー・ハリディと呼ばれたJohnny Hallyday(ジョニー・アリディ)がツイストを歌ったことから人気が急上昇して世界に広まりました。
Bobby Darin – Multiplication – YouTube

アツアツだったサンドラ・ディーとボビー・ダーリン
Bobby and Deeポピュラー歌手、ショーのエンターテイナー、TV司会者と七面ロッピで活躍したボビー・ダーリンですが、何本かの映画にも出演しています。 特筆すべきは1962年にJohn Cassavetes(ジョン・カサヴェテス)が制作・脚本・監督をしたジャズ映画「Too Late Blues(よみがえるブルース)」でジャズ・ピアノのバンドリーダーをボビー・ダーリンが演じています。(一説にはギリシャ系アメリカ人のジョン・カサヴェテスの監督的立ち位置を重ねた自伝的なストーリーだとか) その後の1963年のGregory Peck(グレゴリー・ペック)主演の「Captain Newman, M.D.(ニューマンという男)」ではJim Tompkins(ジム)役を演じアカデミー助演男優賞にノミネートされたほどボビー・ダーリンの演技力も評価されていました。 ボビー・ダーリンは1960年に映画「九月になれば」で共演した60年代のティーン・アイドルのサンドラディにひと目惚れして1960年に結婚しています。 19歳の幼さないサンドラ・ディーと結婚したのですが、人気スター同士のスケジュールがかみ合わなかったのか10年経たない内に離婚しています。 原因はボビーの結婚前の熱愛の相手でイタリア人の厳格な父親に裂かれたConnie Francis(コニー・フランシス)が忘れられなかった? サンドラ・ディーは子役時代から甘やかされたので超我侭だった? サンドラ・ディーのアルコール依存症のせい? えぇ!サンディと離婚調停中にあのブロンドグラマーのJayne Mansfield(ジェーン・マンスフィールド)とボビーが?(噂だけで証拠はなし!あり得ない)
☆サンドラ・ディーについてはAudio-Visual Trivia内の「Sandra Dee

馴れ初めは9月になれば
Come Septemberサンドラ・ディーとボビー・ダーリンが初共演した1961年のロマンティック・コメディ「Come September(9月になれば)」は当時のティーンの多くは観たのではないでしょうか。 音楽も含めてとても他愛なくかつ楽しいコメディ映画でした。
ボビー・ダーリンが作詞・作曲したという軽快なテーマ曲「Come September」をBilly Vaughn Orchestra (ビリー・ヴォーン楽団)の演奏バージョンも有名です。
ビリー・ヴォーンは主に1950年代に活躍した作曲家及び編曲者ですが、自分の楽団であるBilly Vaughn Jazz Orchestraを結成してヒットを次々と出しました。1957年の”Sail Along Silv’ry Moon(浪路はるかに)”をはじめ、1960年の”Red Sails In The Sunset(夕日に赤い帆)”や、スティールギター演奏者のJimmy Torres(ジミー・
トーレス)が作曲した1961年の”Wheels(峠の幌馬車)”や”Harbor Lights (港の灯)”など沢山の曲が日本でも大ヒットしています。
映画「9月になれば」のなかでボビー・ダーリンは陽気な挿入歌のMultiplication(恋の掛け算)も歌っています。

サンドラ・ディとボビー・ダーリン共演の「九月になれば」イタリアロケの楽しいロマンス映画です。
これまでに発売されたDVDは入手困難となりリンクは2014年12月発売の商品になっています。
DVDカバー画像はサンドラ・ディとボビーではなく、主演のラブコメ王「ロック・ハドソン」とイタリア女優の「ジーナ・ロロブリジーダ
Come September9月になれば
☆上記に画像がありますが、私の手持ちのEPレコードで映画「九月になれば」からボビーダーリン楽団をバックにボビー・ダーリンが歌う”Theme From “Come September(九月のテーマ)”のB面はNature Boy(ネーチャー・ボーイ)です。そして映画「九月になれば」よりの”Multiplication(恋の掛け算)”のB面が”Irresistible You(恋にダウン)”でした。

Kevin Spacey’s Favorite: Bobby Darin
ボビー・ダーリンの歌は度々ケビン・スペイシーが出演する映画のサウンドトラックに使用されています。
ボビー・ダーリン伝記の「ビヨンドtheシー ~夢見るように歌えば~」はもちろんのこと、クリント・イーストウッド監督の1997年の「真夜中のサバナ」ではボビー・ダーリンに捧げる歌としてThat Old Black Magicをケビン・スペイシーが歌い、1999年のAmerican Beauty(アメリカン・ビューティー)にはボビー・ダーリン作曲・演奏のAs Long As I Singingが使用されています。
「9月になれば」の他にはサントラが素晴らしい1995年の映画「Apollo 13(アポロ13)」ではボビー・ダーリンが歌手として”Beyond the Sea”を歌っている映像があると聞いたのですがおそらく映画の中のテレビ映像かもしれません。見逃しました。

☆ボビー・ダーリンが歌うMack The Knifeを始め映画のテーマ曲やジャズのスタンダードのカバー、そしてもちろん、”ビヨンド・ザ・シー”が収録された人気のアルバムは「ビヨンド・ザ・シー~伝説のボビー・ダーリン(CCCD)」です。
※(CCCD(Copy Control CD)とは、コンピュータに搭載されているCD-ROMドライブ等での読み込みに制限をかけた音楽CD)

ラスヴェガスのライヴ盤には1963年にThe Flamingoで録音したMack the KnifeをはじめMy Funny Valentine、I Walk the LineやWork Songなどを収録した「The Curtain Falls: Live at the Flamingo」と、”Beyond the Sea”やをはじめBeatles(ビートルズ)ナンバーのメドレーに加え、自作の反戦歌”Sing a Simple Song of Freedom”も収録した1971年のラスヴェガスのクリスタル・ルームでのライヴ盤の2005年版は「Live! At the Desert Inn」があります。

最近では、小学生の社交ダンス教育を描いた2005年のドキュメンタリー「Mad Hot Ballroom(ステップ!ステップ!ステップ!)」の「ステップ!ステップ!ステップ!」オリジナル・サウンドトラック」 にペギー・リーのFeverと共にボビー・ダーリンのスタンダードのカバー曲「It’s Only A Paper Moon」が収録されています。

エンターテイナーからヒッピーになったボビー・ダーリン
70年代の始めには、タキシードからGパンに着替えてフォーク歌手に変身し反戦歌を歌いました。 政治活動も開始しましたが、応援していたRobert Kennedy(ロバート・ケネディ)の暗殺事件以後は政治活動を中止して歌手活動に戻りました。 若い頃からリューマチ 熱のために心臓を病んでいたボビー・ダーリンは、この頃に心臓病の手術を受けましたが、成功ならずして37歳という若さで亡くなってしまいました。
甘いマスクのボビー・ダーリンはもちろん女の子の憧れでしたが、なぜか「男の中の男!」と男性陣にも人気でした。 セクシー!
☆ボビー・ダーリンが憧れた「フランク・シナトラ」が歌った「That Old Black Magic」の歌詞は1942年にHarold ArlenとJohnny Mercerが作りました。 歌詞はThat Old Black Magic LYRICKS FREAK

☆Audio-Visual Trivia内の関連記事ではケビン・スペイシーがボビー・ダーリンを演じた「ビヨンドtheシー ~夢見るように歌えば~

どう?貴方もファンになったでしょ!
darin.jpg

ボビー・ダーリン Bobby Darin」への2件のフィードバック

  1. DCP より:

    「九月になれば」は4人がそれぞれ特徴が良く出ていたような楽しい映画でしたね。
    昨年DVDを買って観ていますが、ロロブリジーダの輝くような美しさ、サンドラ・デイーのチャーミングな可愛らしさ、ロック・ハドソンとボビー・ダーリンのズッコケなど笑わせるシーンもあって、まあ昔のアメリカ映画はのどかでさわやかで良かった。
    理屈が多い最近の映画と違いリラックスして楽しめましたよ。

  2. koukinobaaba より:

    本当に60年代のハリウッド映画は単純に娯楽作品として楽しめる作品がたくさん有りました。実にゴージャスでノーテンキでした。

コメントは受け付けていません。