ミルドレッド・ベイリー Mildred Bailey

忘れ去られた偉大なるジャズ歌手
「Mildred Bailey(ミルドレッド・ベイリー)」は1930年代から1940年代のアーリー・ジャズ(スウィング)界ではナンバーワンといわれた女性歌手です。 美しく甘い歌声は実にミルドレッド・ベイリーの体型を忘れさせます。 白人女性歌手でジャズを歌った先駆けといえばW. C. Handy(WCハンディ)が作曲した”St.Louis Blues”を1920年に歌ったMarion Harrisがいましたが、ホットジャズ系の歌で成功を収めたミルドレッド・ベイリーはまさに鈴を転がすという形容がぴったりの美声を持つ元祖女性ジャズシンガーです。 男性の元祖ジャズボーカルでは黒人のLouis “Satchmo” Armstrong(ルイ・サッチモ・アームストロング)がいます。(ホットではありますが鈴は転がしません) ミルドレッド・ベイリーの伴奏を務めるのはシカゴが拠点のPaul Whiteman’s orchestra(ポール・ホワイトマン楽団)とピアニストとして所属していたスタ-ダストの作曲者として有名なHoagy Carmichael(ホーギー・カーマイケル)、The Dorsey Brothers Orchestra(ドーシー兄弟楽団)、そしてミルドレッド・ベイリーの夫君で1999年に亡くなったRed Norvo(レッド・ノーヴォ)などなどそれはもう有名どころです。 シロフォン(マリンバより高音の立奏木琴)奏者のレッド・ノーヴォは1960年のOcean’s 11のサウンドトラックでも演奏しています。 ちなみにポール・ホワイトマン楽団に1932年から1937年にはピアニストでボーカリストのRamona Davies(ラモナ)も在籍しており1933年にはポール・ホワイトマンのラジオ番組にも出演したそうです。
Benny Goodman and Red Norvo – The World Is Waiting for the Sunrise (1960) – YouTube

Mildred Bailey sings Ol’ Rockin’ Chair’s Got Me
ミルドレッド・ベイリーは1920年代初期から映画館などで歌い始め、1925年にはハリウッドのクラブのフィーチャー歌手でした。 Ethel Waters(エセル・ウォーターズ)やBessie Smith(ベッシー・スミス)などの黒人女性歌手や、Sarah Vaughan(サラ・ヴォーン)の先輩であるElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)の憧れでもあったConnee Boswell(コニー・ボスウェル)の影響を受け独自のスウィング調の唱法を生み出し色々なタイプの聴衆に気に入られました。 テレビの無い時代ですからミルドレッド・ベイリーの顔も知らず、白人か黒人かも分からなかったのです。 ミルドレッド・ベイリーのフィーリングから黒人と思われていた節もあります。 伴奏のテナーサックスもクールでソフトなLester Young(レスター・ヤング)よりも気取らないテキサス・テナーのホンカーのHerschel “Tex” Evans(ハーシェル・ エヴァンス)を好んだといわれます。 ちょっといたづらっぽくちょっと色っぽいミルドレッド・ベイリーは黒人バンド(コンボ)の”Mildred Bailey and Her Oxford Browns”で歌った白人女性ヴォーカリストの先駆者ともいえます。
1929年にデモテープを送ったことから当時一番人気のダンスバンドのポール・ホワイトマン楽団に籍を置くことになります。 当時一番人気だったポール・ホワイトマン楽団には1927年にBing Crosby(ビング・クロスビー)がコーラスグループとして参加していたそうで、ビング・クロスビーの”The Rhythm Boys”とも一緒に録音したそうです。 ちなみに当時の聴衆は顔どころか体型も知らず、ミルドレッド・ベイリーの美しい声だけを愛でたのでした。 1951年、まだ44歳という若さで糖尿病からきた心臓麻痺で亡くなりました。

ビング・クロスビーがそうだったように、ポール・ホワイトマン楽団での在籍が後にミルドレッド・ベイリー自身のラジオ番組を持つに至らせます。 ミルドレッド・ベイリーの最初のレコードは1929年にギタリストのEddie Lang(エディ・ラング)と吹き込んでいますが、なんといっても名声を得たのはポール・ホワイトマン・コンボと吹き込んだ1932年の”Rockin’ Chair(ロッキン・チェア)”です。 この歌はサッチモも歌っていますが、ピアニストのホーギー・カーマイケルがミルドレッド・ベイリーのために特に書き下ろした曲なのです。 よって「Stardust Melody」というアルバムにはホーギー・カーマイケルの歌う”Rockin’ Chair”も収録されています。
Mildred Bailey Sings Rockin’ Chair – YouTube

ミルドレッド・ベイリーのIt’s a Woman’s Prerogative、The Lonesome Road、Lover Come Back to Me、Down Hearted Bluesが聴けるwfmuラジオのプレイリスト Playlist for Marc Grobman – July 11, 2003 (Listen to this show (RealAudio)をクリックしてクリップ・ポジションを1:41:57に移動)
1947年にMel Tormé(メル・トーメ)が作曲しRobert Wells(ボブ・ウェルズ)が作詞したBorn To Be Blueも収録しているミルドレッド・ベイリーの1945年のアルバム「Sings “Me and the Blues”」から「It’s a Woman’s Prerogative」が聴けるwfmuラジオのプレイリスト Give the Drummer Some(上のHear the show in RealAudioをクリックしてクリップ・ポジション(再生バー)を1:00:03に移動)

Hot Jazz
「ホットジャズ」とは1920年代にシカゴで始まったデキシーランドジャズを指します。(ルーツはラグタイム、ブルース、マーチのニューオリンズに出現した黒人コンボバンド演奏のことはニューオリンズ・ジャズだそうです) ニューオリンズ・ジャズ(ホットジャズ)の黒人ミュージシャンにはJelly Roll Morton、King Oliver、Johnny Dodds、Louis Armstrong、Sidney Bechetなどがいます。
一方、White Hot Jazz(ホワイト・ホット・ジャズ)というのはいわゆるホットジャズのことで、1920年代から1940年代の白人バンドのデキシーランドジャズ(後のスイング・ジャズ)のことで、ミュージシャンとしてはBix Beiderbecke(ビックス・バイダーベック)、Jack Teagarden(ジャック・ティーガーデン)、Pee Wee Russell(ピー・ウイー・ラッセル)、Mezz Mezzrow(メズ・メズロー)やEddie Condon(エディ・コンドン)などが有名だそうです。 黒人が始めた南部のニューオリンズ・ジャズを都会のシカゴで1920年代から白人が真似た音楽なので、陽気なニューオリンズ・ジャズにギャングのもぐり酒場の暗さを加味したような曲が多いんだとか。

ミルドレッド・ベイリーのアルバム
Mrs. Swing
ページトップの画像はミルドレッド・ベイリーの1929年~1942年吹き込みの珠玉100曲からなる4枚組CDアルバム「Mrs. Swing」です。 編曲者にはGlenn Miller(グレン・ミラー)も名を連ねていて、クラリネットはBenny Goodman、Artie Shaw、Edmond Hall、Jimmy Dorsey(アルトサックスも)などで、ピアノはHoagy Carmichael、Teddy Wilson、Fletcher Hendersonなどで、トランペットがBunny Berigan、Buck Clayton、Roy Eldridgeなど、そしてドラムがGene KrupaやJo Jones、それにそれにJohnny Hodgesのアルトサックス、テナーサックスがChu Berry、Ben Webster、Coleman Hawkins、Tommy Dorseyがトロンボーン、当時ご主人のRed Norvo(レッド・ノーヴォ)がシロフォン、変わったところではJohnny Mercer(ジョニー・マーサー)が口笛を吹いています。 すごい豪華メンバーですが、スイング(スウィングジャズ)時代のバンドは踊るための演奏か歌手の伴奏であって、後に大物になったジャズマン達がセッションなどというものではなくごく普通に歌手のバックをその他大勢で務めていました。 とはいうもののやはりミルドレッド・ベイリーはまた別格で押しも押されぬ花形歌手だったのですが、一貫してジャズで通してポップス(流行歌)に走らなかった稀有な存在でもあります。
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The Rockin’ Chair Lady
オリジナル録音は1931年~1950年の1994年盤にはRockin’ Chairはもちろん、Sometimes I’m Happy (Sometimes I’m Blue)、It’s So Peaceful in the Country、More Than You Know、All Too Soonなどが収録され、スイング調からしっとりと聴かせるバラード調までうっとりする20曲を収録したアルバムです。ちなみにこのレコードジャケットのミルドレッド・ベイリーは写真というよりも肖像でしょうか。
Mildred Bailey - The Rockin' Chair LadyThe Rockin’ Chair Lady (1931-1950)
試聴はRockin’ Chair Lady (1931-1950) – Amazon.com
※レコーディングにはEnsembleとして”Dry Bones(ドライ・ボーンズ)”のヒットで有名なThe Delta Rhythm Boy(デルタ・リズム・ボーイズ)が参加していました。
別のアルバムで「1945-1947」は上記のアルバムに含まれていない”These Foolish Things”、”Summertime”、”All of Me”や”Born to Be Blue”などを収録しています。

上記のミュージシャンについて
Louis “Satchmo” Armstrong: サッチモ(ガマ口)の愛称で知られるルイ・アームストロングはニューオーリー ンズ・ジャズのトランペッターですが歌も素晴らしいジャズマンです。
King Oliver: キング・オリバーはサッチモの師匠でもあるニューオリンズを代表するコルネット奏者です。
Bix Beiderbecke: アドリブの創始者といわれる革新的なコルネット奏者です。
Hoagy Carmichael: 名曲のStardust(スターダスト)を作曲したことで有名な20世紀を代表する作曲家です。 元々ラグタイム・ピアノが好きだった、ホーギーカーマイケルはビックス・バイダーベック楽団がカーマイケルの曲”Riverboat Shuffle”をレコーディングしたのをきっかけにジャズ界に入り、1927年にはポール・ホワイトマン楽団のピアニストとなりました。
Red Norvo: ミルドレッド・ベイリーと結婚したXylophone(シロフォン)奏者で二人は”Mr. and Mrs. Swing”と呼ばれ、離婚後も一緒に仕事は続けていました。
Ethel Waters: アメリカで最初の黒人女性ジャズ&ポップス歌手で映画スターでもあり白人ファンも多かったエンターテイナーです。
Bessie Smith: 1920年代に活躍した偉大な黒人女性ブルース(ブルーズ)歌手で「ブルースの女帝」と呼ばれました。
Connie Boswell: 1930年代の人気ボーカルグループThe Boswell Sisters(ボスウェル・シスターズ)のメンバーでいくつかの楽器もこなす車椅子の歌手です。ソロとしては1925年の”I’m Gonna Cry”がヒットしました。
Eddie Lang: ポール・ホワイトマン楽団などに所属していたジャズギターの開祖といわれるギタリストで、1929年のアルバムの「Stringing the Blues」ではトランペットのTommy Dorsey(トミー・ドーシー)やヴァイオリンのJoe Venuti(ジョー・ベヌーティ)と組んでいます。 白人でありながらエディ・ラングのブルースギターは黒人にも認められた腕前でエディ・ラングのギター奏法を解説した教本が出版されるほどだそうです。
Artie Shaw: 1938年にアーティ・ショウが録音した「ビギン・ザ・ビギン」が大ヒットし、Benny Goodman(ベニー・グッドマン又はベニイ・グッドマン)に並ぶスイング時代の人気ジャズ・クラリネット奏者でしたが40代にして突如、筆(笛)を折ってしまいました。
Edmond Hall: ”Petit Fleur(小さな花)”や”Besame Mucho(ベサメムーチョ)”で知られるエドモンド・ホールは1920年代からのニューオリンズのデキシーランド・ジャズのクラリネット奏者で、スイング時代には野性的かつ情熱的なダーティサウンドともいえる独自の奏法でサックスとクラリネットの実力者だとベニー・グッドマンも認めたほどです。 エドモンド・ホールは1928年にトランペッターのCootie Williams(クーティ・ウィリアムス)と共にArthur “Happy” Fordの楽団に入り、1941年にはテディ・ウィルソン・セクステットやEddie Condonバンドにも参加したがなぜかDuke Ellington(デューク・エリントン)楽団からの誘いは断ったとか。 その後1950年代にはLouis Armstrong All Stars(ルイアームストロング・オールスター)に入団したもののハードスケジュールのため引退を決意したそうです。 エドモンド・ホールの楽団には1949年にトランペッターでコルネット奏者のRuby Braff(ルビー・ブラフ)が参加したそうです。
Fletcher Henderson: スウィング・ジャズ(ビッグ・バンド)時代には”Mr. Swing King”と称され、1920年代まで台頭していたフレッチャー・ヘンダーソン楽団にはルイ・アームストロング、ベン・ウェブスター、ロイ・エルドリッジなどが演奏していました。 30年だい中頃にはアレンジャーとして初めて白人のベニー・グッドマンと合流しました。
Bunny Berigan: 1930年代のスイング全盛期にはハリー・ジェイムズと並んで人気が有った白人トランペッターであったバニー・ベリガンはスウィング・トランペットの父と呼ばれたそうです。
Buck Clayton: 1936年からカウント・ベイシー楽団、1947年からニューヨークのSavoy BallroomでJimmy Rushingバンドなどに在籍したバック・クレイトンはスタンダードなアルバム「The Buck Clayton Jam Sessions」で知られるトランペット奏者です。
Gene Krupa: スイング初期にベニー・グッドマンバンドで演奏して名声を得たドラマーで、ラジオや映画に出演しジーン・クルーパのドラムソロが一般にも人気となりました。50年代になってスイングが衰退した後はジェリー・マリガンなどのクール派をメンバーに加えて活動を続け、ドラマーの後輩の育成にも貢献しました。
Chu Berry: スイング時代の3大テナー・サックス奏者の一人チュー・ベリーはフレッチャー・へソダーソソ楽団に参加してエネルギッシュな演奏でロイ・エルドリッジと双璧をなしたほどでしたが、不慮の事故で若干31歳で亡くなっています。
Ben Webster: 30年代~40年代にはデューク・エリントン楽団をはじめ数多くのミュージシャンと演奏したベン・ウェブスターは豪快なプレイからメローなバラードまでこなすテナーサックス奏者です。
Herschel Evans: 奏法が相対するレスター・ヤングと共にカウントベーシー楽団の初代リードテナーを務めましたが、30歳で亡くなった作曲もする天才黒人テナーマンです。
ハーシェル・ エヴァンスが参加しているBillie Holiday(ビリー・ホリディ)のアルバムは「The Lady Sings」です。

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Coleman Hawkins
Johnny Hodges
The Dorsey Brothers (Jimmy Dorsey & Tommy Dorsey)
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Roy Eldridge
Sidney Bechet