Eddie Cochran (1938 – 1960)
Twenty Flight Rock
ロックンローラーには伝説的なミュージシャンが多いですがエディ・コクランもその一人です。
エルヴィス・プレスリーなど他の多くのロックンローラーの初期には作詞作曲が他のミュージシャンによる曲を歌っていますが、エディ・コクランはBuddy Holly(バディ・ホリー)やGene Vincent(ジーン・ヴィンセント)などのように自作自演の曲を演奏及び歌った最初のロックンロールのボーカリストでロカビリー・ギタリストとして有名です。
エディ・コクランはポップス歌手ではありません。 むしろR & B色が濃いロック歌手といえるでしょう。
幼い頃からギターに触れていたコクランは16歳でプロのギタリストとなりましたが、1955年にナッシュヴィルでエルビス・プレスリーのステージを見たコクランは衝撃を受け、今までの伝統的なカントリースタイルのHillbilly(ヒルビリー)からRockabilly(ロカビリー)奏法に変えたのでした。 先輩には”Blue Suede Shoes”や”Pink Cadillac”のCarl Perkins(カール・パーキンス)がいます。(カールの事故の後に同じサンレコードのElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)がカバーして大ヒット)
※カントリー(田舎)という意味の南部丘陵地帯の白人大衆音楽であるHillbilly(オールド・カントリーのヒルビリー)と南部黒人音楽のR&B(リズム・アンド・ブルース)を合わせ、さらにブルーズ(西アフリカからの黒人奴隷の労働唄が起源)も加味した新しい音楽がRock-A-Billy(ロカビリー)だそうです。
※華麗なるギター・テクニックを誇ったエディ・コクランは同姓のHank Cochran(ハンク・コクラン)とCochran Brothers(コクラン・ブラザース)を結成しました。 1955年にコクラン・ブラザースとして初めてナッシュヴィルで録音したヒルビリーの曲「Mr. Fiddle」が聴けるwfmuラジオのプレイリスト$mall Change Tuesdays 11 PM – Wednesdays 2AM
Playlist for Aug 22,2000(Listen to this show!をクリック、クリップ・ポジション(再生バー)を2:29:00に移動)
“Mr. Fiddle”のフィドルとはカントリーでいうバイオリンのことでこの曲では作曲もするフィドラーのHarold Hensley(ハロルド・ヘンズリー)が演奏しています。
ハロルド・ヘンズリーの写真はHillbilly Music.com
18歳のエディ・コクランは1956年の初のロックンロール映画でカラー作品の「The Girl Can’t Help It(女はそれを我慢できない)」にLittle Richard(リトル・リチャード)やジーン・ヴィンセントと共に出演して、衝撃的な”Twenty Flight Rock(20フライトロック)”を歌いました。
Eddie Cochran sings “Twenty Flight Rock” in “The Girl Can’t Help It” – YouTube
Cotton Picker
エディ・コクランは1957年にMamie Van Doren(マミー・ヴァン・ドーレン)が主演したHoward W. Koch(ハワード・W・コッチ)監督の「Untamed Youth(直訳だと野生の青春、もしくは非道の若者)」に出演し、Exoticaのジャンルでも知られるビッグバンド・リーダーのLes Baxter(レス・バクスター)が作曲した”Cotton Picker(綿摘み労働者)”を珍しいアカペラで歌っています。
Oh, you ain’t a-gonna make a cottonpicker out of me…Bom-bom-bom
映画のストーリーはショービズを夢見てロスアンジェルスへヒッチハイクする姉妹が、途中素っ裸で泳いで不良少女として収監されるのですが、刑として判事に取り入った村の有力者の綿畑で経費節減のため労働させられます。 収容者たちはたまったもんじゃありませんが、綿摘み労働者となった判事の息子が姉妹の一人と恋仲となるにしたがいこの不正に気付くというストーリーです。 綿摘みよりマリリン・モンロー似のブロンド・グラマーでトランペッターのRay Anthony(レイ・アンソニー)との結婚歴があるマミー・ヴァン・ドーレンの方が気になる映画です。 姉妹の一人を演じて歌も歌っているマミー・ヴァン・ドーレンは翌年にJoe Lubin(ジョー・ルビン)が作った同名テーマソングが大ヒットしたドリス・ディの「Teacher’s Pet(先生のお気に入り)」でクラーク・ゲーブルの恋人の踊り子を演じたり、”火の玉ロック“のJerry Lee Lewis(ジェリー・リー・ルイス)のテーマ曲として有名な1958年の「High School Confidential(性愛の曲り角)」に出演した他、 1959年には人気ポップス歌手のPaul Anka(ポール・アンカ)や、歌舞伎メイクとアシンメトリックな髪型がユニークな60年代モデルのPeggy Moffitt(ペギー・モフィット)が出演した「Girls Town(非情の青春)」でも主演しています。
「Untamed Youth」のマミー・ヴァン・ドーレンの写真はMamie Van Doren – Hollywood Pinup
Eddie Cochran – Cotton Picker -YouTube
Teenage Heaven
1959年には人気ラジオDJだったAlan Freed(アラン・フリード)がプロデュースしたロックンロール映画「Go, Johnny, Go!(ゴー・ジョニー・ゴー)」にChuck Berry(チャック・ベリー)、Jimmy Clanton(ジミー・クラントン)、”La Bamba(ラ・バンバ)”で有名になったRitchie Valens( リッチー・ヴァレンス)等と共に出演したエディ・コクランは”Teenage Heaven”を歌っています。 チャック・ベリーはもちろんGo, Johnny, Go! , Go! …JOHNNY B. GOODE!
同じくチャック・ベリーはAlan Freed and his Rock ‘N Roll Bandと共に1956年にも「Rock, Rock, Rock(ロック、ロック、ロック!)」にも出演しています。(アイドルだったチューズディ・ウエルドも出演)
白黒映画「Go, Johnny, Go!」の1997年輸入版VHSはGo, Johnny, Go! [VHS] [Import] (1959)
この後、バディ・ホリー等人気のロックンローラー達の飛行機墜落事故死にショックを受けたコクランは音楽活動を一時休止したそうです。
Sittin’ In the Balcony
最初のシングル「Skinny Jim」はチャート入りを逃しましたが、人気の出たコクランは大手のリバティ・レコードと契約がすることが出来て、1957年にリバティ第一弾シングルとしてJohnny Dee(後のJohn D Loudermilk)の曲「Sittin’ In the Balcony(バルコニーに座って)」をリリースして初の大ヒットとなります。 「バルコニーに座って」と映画「女はそれを我慢できない」の評判も加わり、コクランはバディ・ホリー、チャック・ベリー、The Everly Brothers(エヴァリー・ブラザース又はエバリー・ブラザーズ)などと共に57年代のスターとなります。
私が初めてエディ・コクランを知ったのが私の好きな”バルコニーに座って”だったのですが、この曲はシンガーソングライターのコクランにあって数少ない他人の手、つまりJohnny Dee Loudermilk(ジョン・D・ラウダーミルク)が作った曲でした。 ちなみに日本では”ダイアナ”がヒットしたロカビリアンの山下敬二郎(ザ・コースターズ)が1958年に歌いました。(柳家金語楼の息子で2011年死去)
♪ Eddie Cochran – Sittin’ In The Balcony – YouTube
John D. Loudermilk
私の手持ちのレコードの中に唯一あったジョン・D・ラウダーミルクの曲が1950年代後期頃(1962年にヒット)の自作の”Road Hog(おいらはカミカゼ)”というコミカルな曲で、1966年には「Je change un peu de vent」というアルバムでは”Bip Bip”というタイトルでJoe Dassin(ジョー・ダッサン)がフランス語で歌っていて作詞作曲はJean-Michel RivatとFrank. T. Thomasとクレジットされていますがジョン・D・ラウダーミルクの”ロード・ホッグ”のカバーです。 上記の画像は私が持っているレコードジャケットの帽子をかぶり眼鏡をかけたラウダーミルクです。
John D Loudermilk – Road Hog (1962) – YouTube
低音の声が魅力のラウダーミルクですが、レコードにはConnie Francis(コニー・フランシス)の”(He’s My) Dreamboat(夢のボート)”やエヴァリー・ブラザースの”Ebony Eyes(エボニー・アイズ)”などを書いたソングライターです。 レコードの解説書には「最近歌手としてもめきめき売り出してきた有望な新人」と書かれています。
※写真が見られるJohnny Dee Loudermilk(ラウダーミルク)のサイトはSongwriter John D Loudermilk – bio, songs
シンガーソングライターのエディ・コクランに”Sittin’ In the Balcony”を作詞作曲したジョンDラウダーミルクへのトリビュートとして吹き込んだ”Three Stars”はコクランの自動車事故死の1966年にイギリスでリリースされたそうです。 コクランがカバーした”Three Stars”はTommy Deeが1959年の音楽が死んだ日(飛行機事故の日)に事故死したRitchie Valens、Buddy Holly、Big Bopperという3人のロックンローラーへの追悼歌として書いたそうです。
エディコクランの音楽はコクランの死後もずっとJohn Lennon(ジョン・レノン)がリーダーの英国グループサウンズであるBeatles(ビートルズ)をはじめ多くのミュージシャンにカバーされ続け、レコードからCDに替わった現在もなお世界中で、特にイギリスそして日本で人気を保っています。 コクランは1987年にThe Rock n’ Roll Hall of Fame 殿堂入りを果たしました。
※コクランが影響を与えたイギリスのバンド「ビートルズ」のギタリストであるGeorge Harrison(ジョージ・ハリソン)も欲しがったコクランのGretsch Guitar(ロカビリー・ギターのグレッチ)はG6120w-1957 Model Guitar
エディ・コクランのオールタイム曲目人気ランキングで常に一位が”Somethin’ Else”で、私の好きな”Sittin’ In The Balcony”は20位あたりです。 この曲はかなりエルヴィスを意識した歌唱法でエコーを効かせてますね。 この年代はエコー大流行で私もVICTORの最新式エコーマシン(残響付加装置)付き木製キャビネのステレオを購入しましたが弟がエレキ・ギターに接続して壊してくれました。(どんな曲でもエコーがかけられました)
そういえば、日本でもこの2年後から石原裕次郎がエコーたっぷりのヒット曲を連発していました。 錆びたナイフ! 嵐を呼ぶ男!(おいらはドラマー!) 俺は待ってるぜ! 夜霧よ今夜もありがとう!
Summertime Blues You can’t use the car ‘cause you didn’t work a lick…
1958年6月、エディ・コクラン19歳の時にリリースした”Summertime Blues(サマータイム・ ブルース)”がビルボードで最高8位を記録し、エディ・コクラン初のミリオンセラー、Gold Record(ゴールド・レコード)となったそうです。 歌詞が当時のティーンエイジャーの”理由なき反抗”精神を代弁して受けたようです。 よって後の自動車事故死でも”Guitar-playing James Dean”と、ゴーカート事故で24歳で死亡したJames Dean(ジェームス・ディーン)に例えられたこともありました。
この曲は当時17歳のソングライターであったSharon Sheeley(シャロン・シーリー又はシェリー)が書いた”Love Again”のB面に予定されていたのだそうです。 シャロン・シーリーはその後コクランのガールフレンドとなり一緒に曲を作ったり、ツアーに同行したりしてしていたので、気の毒にも死亡事故当時も一緒でした。
カントリー・シンガーのGlen Campbell(グレン・キャンベル)などに歌を提供していたシャロン・シーリーは1965年の”What The World Needs Now Is Love(愛を求めて)”で知られるJackie DeShannon(ジャッキー・デシャノン)とも組んだり、The Ronettes(ロネッツ)やBrenda Lee(ブレンダ・リー)などの曲も書いています。
☆シャロン・シーリーが手拍子を入れている”サマータイム・ ブルース”」を聴けばどなたもきっと思い出しますよ。
※ゴールド・レコードとはRCA Victorレコード会社が1941年に録音した”Chattanooga Choo Choo(チャタヌーガ・チュー・チュー)”が百万枚売れた記念に金色にスプレーしたそのレコードをGlenn Miller(グラン・ミラー)に贈ったのだそうです。(サックス奏者で歌手のTex Beneke(テックス・ベネキー)& The Modernaires(ザ・モダネアーズ)の混声コーラスをフィーチャー) ”Chattanooga Choo Choo”は1941年のミュージカルコメディ映画「Sun Valley Serenade(銀嶺セレナーデ)」のために作曲された曲ですがコーラスが入っています。 チャタヌガ汽車ポッポという意味の”Chattanooga Choo Choo”は1880年にチャタヌガに機関車が開通したことを歌ったそうです。 演奏だけでなく1941年にCab Calloway(キャブ・キャロウェイ)や、陽気な姉妹ボーカル・グループのThe Andrews Sisters(アンドリュース・シスターズ)、1942年には黄金時代のハリウッドでエキゾチックな魅力を振りまいたCarmen Miranda(カルメン・ミランダ)もポルトガル語で歌いましたが、なんと1954年には元祖ロックンロールのBill Haley & His Comets(ビル・ヘイリー)や1972年の「YELLOW MAGIC CARNIVAL」や1975年の「Tropical Dandy(トロピカルダンディー)」で細野晴臣が日本語歌詞で歌っています。
※
ちなみに2度目のゴールドディスクは1956年にElvis Presley(エルヴィス・プレスリー)の”Hound Dog(ハウンドドッグ)”だったそうです。
シャロン・シーリーと共作の1959年の”Somethin’ Else”の前に出した”C’mon Everybody(カモン・エヴリバディ)”がそれまでとは逆転してイギリスでの方が評判が良いと聞き、エディ・コクランは、これ又本国よりイギリスで人気の高いジーン・ヴィンセントとシャロン・シーリーも同行しての1960年英国公演ツアーに出掛けます。余りに評判だったので予定を延ばしたほどでしたが、イースター祭のため帰国しようと空港へ向かう途中で自動車事故に遭いました。 ジーン・ヴィンセントは肋骨と鎖骨の怪我に留まりましたが、21歳のコクランは脳に損傷を受けて翌日帰らぬ人となりました。
イギリスではRay Charles(レイ・チャールス)のオリジナルをカバーした曲「Hallelujah I love her so」やThree steps to heavenが大ヒットとなっています。
Gene Vincent sings “Love of a man” with photos of Eddie Cochran – YouTube
コクランの他にも当時のロックンロール歌手の中には若くして亡くなった”短命の偉人”が何人かいました。 1959年の2月、小型飛行機の墜落事故でツアーの一行が死亡しています。 Chantilly LaceのThe Big Bopper(ビッグ・ボッパー)、La Bambaのリッチーバレンスはなんと17歳、”Peggy Sue”のバディ・ホリーは22歳でバンド共々全員死亡しました。 これについては「50年代と60年代のオールディーズとロックンロール」にも書いてあります。
エディ・コクランのバイオなど情報満載で写真も見られるRemember Eddie Cochran(英語のサイト)
エディ・コクランのサイト内でエディ・コクランとシャロン・シーリーのツーショット写真が見られるEddie Cochran with Sharon Sheeley Photos – eddie-cochran.info
☆ページトップの画像はアメリカのAmazon.comにあるエディ・コクランのアルバム「Somethin’ Else」で、アルバムタイトル曲のSomethin’ Elseをはじめ、ヒット曲のSummertime Blues、C’Mon Everybody、私の好きなSittin’ In The Balconyなどが収録されています。(Three Starsはなし)
※いづれにせよ音楽活動期間が短かったエディ・コクランの主要なLPアルバムというのが、生前の一枚、1957年の「Singin’ To My Baby」 (Liberty LRP-3061)と死後の1960年ににリリースされた追悼アルバムとしての「12 of His Biggest Hits」(Liberty LRP-3172)の一枚という計2枚だけと言われています。
日本のAmazonにあるアルバム「Somethin Else」
Somethin Else
常時人気ナンバーワンの”Somethin’ Else”が聴けるwfmuラジオのプレイリストMusic to Spazz By with Dave the Spazz January 9, 2003(it’s gonna get loud! RealAudioをクリックしてクリップ・ポジション(再生バー)を2:35:30に移動)
言葉の部分がちょっと初期のJohnny Cash(ジョニー・キャッシュ)やJerry Lee Lewis(ジェリー・リー・ルイス)流です。
上記のアルバムにはないTwenty Flight Rock、Three Starsなどイギリスでヒットした曲が収録されているアルバム「Best of Eddie Cochran」
The Best of Eddie Cochran
インタビューも含むモノクロの貴重なライヴ映像が2003年に発売されました。 いったいどんなバンドかは情報がありませんが、”Dick D’Agostin & The Swingers”をバックにエディ・コクランが歌った1959年のThe Town Hall Partyでのテレビで放映されたライヴだそうです。
Town Hall Party
※introduction (Jay Stewart)/Instrumental (Dick D’Agostin & The Swingers) /Introduction (Dick D’Agostin)/C’mon Everybody/Have I Told You Lately That I Love You/Don’t Blame It On Me/Summertime Blues/Interview (Johnny Bond)/Introduction (Jay Stewart)/Night Walk (Dick D’Agostin & The Swingers) /Introduction (Dick D’Agostin)/School Day/ Be Honest with Me/Money Honey/C’mon Everybody
Eddie Cochran on The Town Hall Party TV Shows (1959) – YouTube
Audio-Visual Trivia内のエディ・コクラン関連記事
ロックンローラーがいっぱいの50年代と60年代のオールディーズとロックンロール
またもや懐かしい名前を見ました。Rockn’ Rollは久しく聞いていませんが、20代のころはよくターンテーブルの上でレコードが回っていました。ここでは往年の青春ソングとしてよく流れていますし、その当時ツイストを踊った人たちが、気持ちよさそうに踊っていますよ。音楽って永遠なんだなって思わせてくれる一瞬です。
NOVAさんも懐かしいですか、ターンテーブルの上のレコード盤ね、貴重なダイヤモンド針でした。その頃は余命のことなど頭をかすることもありませんでしたワ!最も今現在が一番楽しいです。コクランの曲もインドボードに合いますよ!
こんちは!
今度ですね、知り合いのRock’n Rollバンドのお手伝いでライブでギターを弾く羽目になったんですよ。んはは!
ま、ロケンローラーのボクとしては「任せとけっ」ってなもんですが。
あ、
聞いてない?
そですか・・・すいません。
エディのナンバーも演りたいな~、なんて思ってたりして・・・。
ken-sannさんもシェケナベイベー!をやるんですか、ロックンロールの時代はほんの少しだったのにオールディズとしてずっと人気ですね。私はその頃は銀座、新宿、池袋とあちこちのジャズ喫茶という名のライブハウスに通っていました。その後は弟が売れないグループサウンズだったのでよくステージを見に行きました。ですが私には日劇のウエスタン・カーニバルのようなのは向いていなかったようです。ぜひ、エディ・コクランのバルコニーをやって下さいよ!
Eddie Cochran の代表作3曲の歌詞と訳詞です。
・C’mon Everybody
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20051103
・Summertime Blues
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20050721
・Three Steps To Heaven
http://d.hatena.ne.jp/komasafarina/20041211
komasafarinaさん、英語の歌詞を日本語に訳すサイトは滅多にありませんね。
私は英語で苦労しているので大変参考になります。