Sandra Dee
サンドラ・ディー(1942年-2005年)
The Living Doll! The Little Angel Face! 可愛い!キュート!という形容がぴったりのアイドル「サンドラ・ディー」は、12歳でモデルになりTVコマーシャルを経て50年代後期にはティーンアイドルとして映画に出演するようになりました。 50年代には北欧系(スウェーデン)のブロンドでぽっちゃりした天使のようなサンドラ・ディーがアイドルの典型で、Tuesday Weld(チューズデイ・ウェルド)やConnie Stevens(コニー・スティーヴンス)なども人気がありましたが、やっぱりサンディが一番親しみやすく、まるで赤ちゃんのように無邪気なおぼこ娘タイプでした。
生まれた年が1944年といいう説もありますがいづれにせよ、私と”誕生日”が同じなのはシェークスピアとシャーリー・テンプルとサンドラ・ディーなのです。
16歳~20歳頃がピークという早咲きのサンドラ・ディーの映画といえば、アメリカでは1959年のサーフィン映画「Gidget(ギジェット)」、そしてサンドラ・ディーの最大ヒットとされている「A Summer Place(避暑地の出来事)」だそうですが、日本では「Gidget」が劇場公開されなかったので、サンディの映画デビューは「避暑地の出来事」となっています。
カリフォルニアのペブル・ビーチがロケ地だったという「避暑地の出来事」の写真が見られるイタリアの「Scandalo al sole Photos – FILM.TV.IT
サンディは同年「避暑地の出来事」より前に、「Imitation of Life(悲しみは空の彼方に)」で郵便配達は二度ベルを鳴らすでファムファタルを演じたLana Turner(ラナ・ターナー)の娘役を演じています。 当初予定されていたNatalie Wood(ナタリー・ウッド)がごねたとかでで新人のサンドラディーにお鉢が廻ってきたそうです。 とはいうものの共演のスーザン・コーナーが白人に見える黒人娘のサラ・ジェーン役を好演してゴールデン・グローブの助演女優賞を受賞したのでサンディはみごと霞んでしまいました。 1960年にもラナターナーと「Portrait In Black(黒い肖像)」に出演しましたがこれもあまりパットしませんでした。 1961年にナタリー・ウッド主演の「Inside Daisy Clover(サンセット物語)」や1971年にMichel Legrand(ミシェル・ルグラン)の音楽”The Summer Knows”が美しい「Summer of ’42(おもいでの夏)」などを監督したRobert Mulligan(ロバート・マリガン)の「Come September(九月になれば)」に出演して白馬に乗った王子さま(運命の男性)と思ったBobby Ddarin(ボビー・ダーリン)とめぐり合い19歳で結婚したのでした。 この映画ではラヴコメ王のRock Hudson(ロック・ハドソン)とイタリア女優のGina Lollobrigida(ジーナ・ロロブリジーダ)と共演しています。 続けて1962年にボビー・ダーリンとは「If A Man Answers(電話にご用心)」でも共演しました。 「電話にご用心」にはひと夏の情事に出演した私の好きなフランス女優のMicheline Presle(ミシュリーヌ・プレール)も出演していますが、この映画にかかわらず当時大人気だったサンディは共演者に恵まれて大物映画スターのオンパレードです。 サンディは立て続けに毎年1~2本のお軽いロマンティックコメディに出演していますが結婚を売り物にしたくないと拒んでいた二人の共演は最後ともいうべき1965年の「That Funny Feeling(おかしな気持)」で実現しました。
1961年にDodd Mitchell Darinという息子を儲けましたがボビーとの結婚は1960年から1967年までと短期間で終局を迎えました。 離婚と共にサンディのアイドル性も急激に失せましたが、70年代には時々TVドラマなどに出演していました。
サンディが喜んで引き受けた結婚後のお仕事の一つは「Modern Teen Magazine」のSandra Dee’s Chic-Chatだったそうで、読者からの要望に応えるコラムを担当しました。
今時でいえば有名人ブログやアイドル・チャットルームみたいですね。
実際にスターをゲストにチャットするなんてイベントがインターネットであったんですよ。 まだAlly McBeal (アリー my ラブ)が放映されていた2001年頃だったか、MSNチャットでCalista Flockhart(キャリスタ・フロックハート)がゲストになった日にリアルタイムでロム(傍観)していた私でした。
1965年にJames Stewart(ジェームズ・スチュワート)が主演した映画「Take Her, She’s Mine(恋愛留学生)」ではサンドラ・ディーがギターを弾きながら”Hava Nagila(ハバ・ナギラ)”や1957年にDinah Shore(ダイナ・ショア)で流行ったシャンソンの” Chantez Chantez”を歌っています。
My Worst Marriage Mistakes by Sandra Dee
40人ものお付きに毎日囲まれて全てを任せていた人気アイドルの最盛期に19歳で結婚し、赤ちゃんが赤ちゃんを産んだといわれるサンドラ・ディーですが、アイドル時代の自分を乗り越えられなかった結婚に関する失敗について1962年の映画誌のインタビューで語っていました。 若い女性へのアドバイスとして結婚は思惑通りにはいかないものであるから、困難を乗り越えることと相手を思いやることが一番大事。 結局はスケジュールが合わせにくい人気スター同士のすれ違い生活も離婚の一因なのでしょう。 前夫のダーリンは37歳にして持病の心臓病が悪化して1973年に亡くなりました。
この辺りの二人のエピソードはKevin Spacey(ケビン・スペイシー)のボビーダーリン伝記映画「Beyond the Sea(ビヨンドtheシー)」で語られています。この「ビヨンドtheシー」ではケビン・スペイシーが念願だったボビーダーリンに扮し、「Gidget」ならぬ2002年の「Blue Crush(ブルー・クラッシュ)」でサーフィンに情熱をかけるを少女を演じたKate Bosworth(ケイト・ボスワース)がサンドラ・ディー役でした。 そして当のサンディはこの映画製作に協力した後61歳にして肝臓障害で亡くなっています。
Look at me, I’m Sandra Dee
Don Weis(ドン・ワイス)監督の「The Gene Krupa Story(ジーン・クルーパ物語)」や1955年の「Rrbel Without A Cause(理由なき反抗)」、オスカーの助演男優賞を受賞した1960年の「Exodus(栄光への脱出)」などに出演したシシリー出身の元ブロンクスのチンピラで小粒ながらも超売れっ子アイドルだったSal Mineo(サル・ミネオ)が主演したブロードウエイのヒットミュージカル「Grease(グリース)」でBetty Rizzo(ベティ)役を演じたStockard Channing (ストッカード・チャニング)やSandy Olsson(サンディ)役のOlivia Newton-John(オリヴィア・ニュートン・ジョン)が歌っているフィフティーズ風な曲「Look at me, I’m Sandra Dee」としてサンディの名前は残っています。 ロックンロール&オールディズのパロディである「グリース」の脚本を担当したJim Jacobs(ジム・ジェイコブス)と共同脚本家でもある作曲家のWarren Casey(ウォーレン・ケーシー)によるこの曲は、「Look at me, I’m Sandra Dee, lousy with virginity…Just keep your cool, now you’re starting to drool Hey, fungu, I’m Sandra Dee」と歌われる歌詞の中にRock Hudson、Doris Day、Annette、Elvisなどのスター達の名が出てきますがその中のSal Mineoの部分は、1978年に「サタデー・ナイト・フィーバー」で有名になったJohn Travolta(ジョン・トラヴォルタ)で映画化される前にサル・ミネオが殺害されてしまったので歌詞にあるサル・ミネオという文句はTroy Donahue(トロイ・ドナヒュー)と代えられたそうです。 永遠なれ、サンドラ・ディー!
Gidget
カリフォルニアのLos Angeles(ロスアンジェルス)を象徴するのはBlue Crush?、Roxy gear?、Sally Field? そのもっと以前にGidgetがいた!
1938年にMad About Music(アヴェ・マリア)でアカデミーの原案賞にノミネートされたことがある脚本家で作家の「Frederick Kohner(フレデリック・コーナー)」の1957年の小説「Gidget, The Little Girl With the Big Ideas」を元にPaul Wendkos(ポール・ウェンドコス)がサーフィン映画のハシリとなった「ギジェット(ギジット)」を1959年に監督しました。
※金髪グラマーのJane Mansfield(ジェーン・マンスフィールド)と学生結婚したポール・ウェンドコス監督は映画デビューした1957年の「The Burglar」でまだ原石状態のジェーン・マンスフィールドを起用していました。
当時のアイドルスターのサンドラディーや歌手でもあるJames Darren(ジェームス・ダーレン又はダレン)が出演したサーフィン根性ものは、「ギジェット」シリーズとして1961年と1963年にも製作されました。 ジェームス・ダレンが演じたギジェットのボーイフレンドのサーファー野郎のMoondoggie(ムーンドギー)は3作品とも同じですがギジェット役はそれぞれ違います。 ちなみにロックンロールの名づけ親とも言われるAlan Freed(アラン・フリード)のDJ時代の別名が盲目の作曲家と同じMoondog(ムーンドッグ)だったそうです。
サンドラ・ディーはサーフィンに夢中になるカリフォルニアの快活なお転婆娘のギジェット役です。 本名はフランシス・ローレンスというお嬢さんですが、ちっちゃくて可愛い女の子だからGirl Midget=Gidgetなのです。(日本で流行った車はダイハツ・ミゼット!) 男の子たちが楽しそうにサーフィンしているのを見てるだけなんて「もうイヤッ!」とギジェットがボーイフレンドからサーフィンを学ぶこの映画「ギジェット」のヒットによりそれまではサーフィンは男子だけだったのが女の子にも広まったそうです。 よってアメリカではサンディーは水着で飛び跳ねているティーンエイジャーの印象があるようです。
ジェームス・ダーレンが演じたボーイフレンドでギジェットにサーフィンを教えるMoondoggie(ムーンドギー)の名が、宇宙サーフィンをするSFロボット・アニメ「EUREKA SEVEN(エウレカセブン)」にMoon Doggieとして取り入れられているそうです。(Gecko=月光号)
英語版リージョン1 エンコード (米国、カナダのみ)DVDですがPCなら設定を変更すれば視聴可。
Gidget: Complete Collection (2pc) (Full)
※1979年に社会派ドラマ「Norma Rea(ノーマ・レイ)」や1984年の「Places in the Heart(プレイス・イン・ザ・ハート)」でアカデミー主演女優賞を受賞したSally Field(サリー・フィールド)は映画デビュー以前の1965年~1966年のテレビシリーズの「GIDGET(ギジェットは15歳)」で注目されていました。 日本では70年代になって放映されたそうです。
2006年発売のリージョン1 エンコード (米国、カナダのみ)の再生に問題が有るというDVD「Gidget: Complete Series (4pc) (Full)」というのもあり。
※ Roxyとはスポーツ用品のサーフ・ブランドQuiksilverの女子サーフィン用品ラインです。
Sandra Dee on Two Beach Movies in 1959
A Summer Place
上記の画像は原語版VHSビデオの「Gidget」と「A Summer Place(避暑地の出来事)」です。
映画「避暑地の出来事」ではHugo Winterhalter(ヒューゴ・ウィンターハルター又はヒューゴ・ウィンターホルター)が演奏するMax Steiner(マックス・スタイナー)作曲のテーマ曲「A Summer Place(夏の日の恋)」が大ヒットしましたが、主題曲の作曲者であるマックス・スタイナーは戦前から数々の映画で音楽を手掛けていてテレビシリーズの77 Sunset Strip(サンセット77)でもいくつかの曲を提供しています。
監督は1957年の「An Affair to Remember(めぐり逢い)」の脚本を担当したDelmer Daves(デルマー・デイヴス)です。 サンディの相手役は当時のアイドル・ナンバーワンの金髪俳優だったTroy Donahue(トロイ・ドナヒュー)です。 トロイ・ドナヒューのママ役はDorothy McGuire(ドロシー・マクガイア)です。 ドロシー・マクガイアは1950年代の初期にコカコーラの宣伝で有名なポップスグループの”The McGuire Sisters(マクガイア・シスターズ)”の3人姉妹の真ん中として人気だったそうです。 サンディのパパ役は1956年にElvis Presley(エルビス・プレスリー)が主演したLove Me Tender(やさしく愛して)でエルヴィスの兄を演じたRichard Egan(リチャード・イーガン)です。 それぞれの親に同伴した避暑地で情熱に身を任せた若者たち二人の恋の結末を描いたラブストーリーですが、なんと結婚前に恋人同士だった彼等の片親同士も焼け木杭に火が点いて不倫状態となるおまけ付きです。
現代では失われつつあるサンディの純真無垢(無知か)の処女ぶりが共感を呼びました。
Sandra Dee in A Summer Place – YouTube
Scandalo Al Sole – Percy Faith
”避暑地の出来事”のテーマはボーカル・バージョンとしてAndy Williams(アンディ・ウィリアムス)やPatti Page(パティ・ペイジ)、白人3人グループのThe Lettermen(ザ・レターメン)や4人姉妹グループのThe Lennon Sisters(ザ・レノン・シスターズ)の他にイギリスのポップス歌手のCliff Richard(クリフ・リチャード)などが歌っています。
☆「There’s a summer place, Where it may rain or storm…」と歌われる”A Summer Place(夏の日の恋)”の歌詞はTheme from “A Summer Place” Lyrics – STLyrics
Percy Faith – A Summer Place (1960)
カサブランカ (1942) 、三つ数えろ (1946) 、キー・ラーゴ (1948)などボギーの映画音楽も多く担当したMax Steiner(マックス・スタイナー)作曲のロマンティックなテーマ曲は現在も人気の「夏の日の恋」です。 その他にも懐かしい曲の数々を演奏したピアニストでバンドリーダーのパーシー・フェイスが演奏するロマンティックな映画音楽を収録したアルバムがあります。
Theme From a Summer Place
CD画像はサンディとトロイではありません。
収録曲目は、 Lara’s Theme(ドクトル・ジバゴのテーマ)、Man & A Woman(男と女)、Love Theme(ゴッドファーザーのテーマ)、Moon River(ムーンリバー)、Tara’s Theme(風とともに去りぬ)、Never On A Sunday(日曜はダメよ)、L’eau Vive(河はよんでいる)など36曲ですが試聴なし、パーシー・フェイスの演奏である確証なし。
※ 1994年発売の16曲収録CDTheme from “A Summer Place”
☆ちなみにこの”Theme from A Summer Place”という曲が1997年の米連邦保安局の空輸隊を舞台に起きた囚人によるハイジャック映画「Con Air(コン・エアー)」の中盤で殺された囚人の死体が飛行機から投げ落とされ地上の自家用車に激突するシーンで使用されなんでここで流れる?と疑問でした。(死者の衣服にニコラス・ケイジ演じる囚人ポーが連邦捜査官のラーキン宛にメッセージを記す)
Come September
1961年の「九月になれば」は恋をしているサンドラ・ディーが一番楽しそうに演じているラブコメで、サンドラ・ディーが演じるSandy(サンディー)とボビー・ダーリンが演じるTony(トニー)がイタリアロケの間に実生活でも恋が芽生えて結婚に至った記念すべき映画です。 ミュージカルではありませんがボビー・ダーリンが’Come September’ ThemeやMultiplicationなど自作自演で何曲か歌い、酔ったロックハドソンがロロを相手に変てこ踊りを披露します。 日本公開当時に映画館に足を運んだのは私みたいなボビー・ダーリンのファンではなかったかと思います。
Dancing Rock Hudson – YouTube
2005年に発売された日本語字幕版のDVDです。
9月になれば
下の画像は英語版VHSです。
Come September
Audio-Visual Trivia内のサンドラ・ディー関連記事は
ケビン・スペイシーのボビー・ダーリン伝記映画「ビヨンド the シー 夢見るように歌えば」
こんにちは。一昨日日本に帰国し、昨日ふるさとに帰ってきました。今日のエントリー、映画はからっきしわからないのに、音楽はよ~く知ってますよ。やっぱり映像よりは音人間だったんだなって改めて思いました。
NOVAさん、お帰りなさ~い!日本ですか。 日本の・・・夏!味わえますね。
それよりお嬢さんやお孫さんたちに会えるのが楽しみね。私と母と娘はいつも会っているのでうるさいくらいですが。
今年は例年より暑くはないから過しやすい夏です。
こんにちは♪ koukinobabaaさん。
いつもながら、読み応えがある記事で、感動してしまいます♪
サンドラ・ディーのことも知りませんでした。(あっ、でも、ビヨンド・ザ・シーをみているのに、、。なぜか、、、忘れてます。)
いやーー。いかにもアメリカ娘って、感じが、しますね〜♪
chandelierさん、サンドラ・ディーは珍しいくらい芸能界では短命でしたが、砂糖菓子のように甘くポップなアイドルでしたよ。 フワッフワッ!
洋の東西を問わずここ数年どんどん亡くなって淋しいです。そう言う人たちばかり集めた映画でも誰か作って欲しい。俳優編、作曲家編、監督編とかに別けて。
サンドラ・ディーは、永遠の憧れの女優さんです。
あんなキュートな方は、アメリカ人では、そういらっしゃらないと思います。
華奢で、清楚で、愛らしい。
もっともっと、活躍してほしかったのですが、あDVDでしか、見られないんですね。
いろいろなお話が聞けて、ここまで来て良かったです。
「ひめゆり」さんもサンドラディーの永遠なるファンなんですね。女優というよりは1950年代の愛くるしいアメリカ少女像を代表しているような女の子でした。ページトップの写真は私が半世紀も大事にしまっておいたものです。可愛いでしょう。