ジョージア・ギブス Georgia Gibbs

Red Hot
Georgia Gibbs - Red Hot
Her Nibs, Miss Gibbs
Kiss Of Fire by Georgia Gibbs (1952)

GG: Georgia Gibbs (1919 – 2006)
ボストンのダンスホールと契約したのがプロに入るきっかけで1940年代にはラジオ番組、1946年にMajestic Recordsと契約して数々の録音をしてビッグバンド時代からロックンロール時代のポップ歌手としてスイング・ジャズ(スウィング・ジャズ)からバラードまで幅広いジャンルで活躍していたジョージア・ギブス(もしくはジョージア・ギブズ)です。 1940年代と1950年代に渡って活躍してきたジョージア・ギブスは代表曲の”Kiss Of Fire(火の接吻)”を含めてオリジナル曲というものがなくスタンダードジャズやブルース(ブルーズ)のカバーがほとんどです。 後半は多くの黒人のR & B歌手の曲のカバーをヒットさせていますが、実際に著作権がらみの裁判沙汰もあったらしいです。 これを白人による黒人音楽の搾取と取るかはどうかは意見の分かれるところでしょう。 いずれにせよジョージア・ギブスは背丈が約150cmほどと小柄ですが白人女性歌手にしては威勢の良い独特の歌唱法が魅力です。

Her Nibs, Miss Georgia Gibbs on Your Hit Parade
ロシア系ユダヤ人の移民の子としてマサチューセッツに生まれたジョージア・ギブスは家庭の事情で7歳まで養護施設で過ごしましたが演芸会ではすでに天才ぶりを発揮していたそうです。 13歳にしてボストンのダンスホールで歌うようになりましたが真夜中まで働くビッグバンド生活は当然ながら大変過酷だったそうです。 1936年に初めてスウィング・バンドとレコーディングもしましたが、Buddy Clark(バディ・クラーク)、Tommy Dorsey(トミー・ドーシー)やArtie Shaw(アーティ・ショー)などの楽団と”Melody Puzzles”や”Your Hit Parade”といったラジオ放送の仕事をします。 1943年に現在のGeorgia Gibbs(ジョージア・ギブス)という芸名で人気ラジオショーに出演しますが、このときの司会者の一人でGarry Moore(ギャリー・ムーア)が”Her Nibs, Miss Georgia Gibbs!”と紹介したことから、ジョージア・ギブスに”Her Nibs”というニックネームが付いたのだそうです。
※”one’s nibs”とは辞書によれば”雇用主、優れた人、偉ぶった人”などの意味がありますが、19世紀の英国の学生が使ったスラングに”his nibs”というのがあり、気取っている人や生意気な人を皮肉って言ったそうです。 よって、ちっちゃくて威勢の良いジョージア・ギブスを司会者がユーモアを込めて言ったものと思われます。

Miss Gibbs covers Eileen Barton’s hit tune.
コメディアンとしても才能を見せたジョージア・ギブスは有名な喜劇俳優のDanny Kaye(ダニー・ケイ)の一座に加わり公演をして廻ったそうです。 1947年にはソロの吹き込みをするようになったジョージア・ギブスは、1949年にDeccaレコード会社と契約して、Eileen Barton(アイリーン・バートン)の”If I Knew You Were Comin’ I’d’ve Baked A Cake”をカバーしてヒットパレードの5位にランクされたことから米国内で知られる歌手となりました。
※アイリーン・バートンは若干17歳にしてフランク・シナトラとのラジオ番組やナイトクラブやブロードウェイで活躍していた子役出身の1940年代の歌手ですが、ヒットした1950年のカントリーをアレンジした”If I Knew You Were Comin’ I’d’ve Baked A Cake”は10週トップを続けて一躍センセーショナルとなったそうです。 当時この曲のあまりの人気にジョージア・ギブスのカバー以外にもいくつかのバージョンが出たのだそうです。

Georgia Gibbs With Glenn Osser and His Orchestra
1950年代後期にthe Owen Bradley Sextetをバックに”I Still Feel The Same About You”を吹き込んだ後にMercuryレコードに移籍します。 マーキュリーではFrank Sinatra(フランク・シナトラ)とも仕事をしたビッグバンド時代の有名な編曲指揮者でもあるGlen Osser(グレン・オッサー)が率いるスタジオバンドのGlen Osser orchestra(グレン・オッサー楽団)がバックにつきました。 ペギー・リーレス・ポールなどが取り入れたエコーや二重録音のような当時流行りの最新録音方法はジョージア・ギブスの性に合わないとして手を加えない生の歌唱法で勝負しました。
☆グレン・オッサーは第二次大戦前にBob Crosby(ボブ・クロスビー)やCharlie Barnet(チャーリー・バーネット)やBunny Berigan(バニー・ベリガン)などのアレンジを手掛け、サキソフォンやクラリネットをLes Brown’s Band of Renown(レス・ブラウン&ヒズ・バンド・オブ・レナウン)などの楽団で演奏したそうで、バンドの専属だったドリス・デイのコロンビアレコードの吹き込みでバックをつとめていたそうです。

Miss Gibbs’ greatest hit: Kiss Of Fire
1951年には50年代の泣き節バラード歌手のJohnny Ray(ジョニー・レイ)の1951年のデビュー曲で11週チャートでトップだった”Cry” をカバーして決定的なヒットを飛ばしました。 その後が当時のラテン旋風に乗って、1952年(昭和27年)に”El Choclo(エル・チョクロ)”に歌詞をつけて”Kiss Of Fire”として発表し、半年近くもヒットチャートに載るという快挙でした。 ”トウモロコシ”という意味の題名の”El Choclo”はAngel Villoldo(アンヘル・ビジョルド)が1903年に作曲したアルゼンチンタンゴの名曲です。 ”Kiss Of Fire”はCaterina Valente(カテリーナ・ヴァレンテ)の他に、「Driving Miss Daisy(ドライビング Miss デイジー)」で使用されたサッチモことLouis Armstrong(ルイ・アームストロング)のバージョンや”Beso de Fuego”としてConnie Francis(コニー・フランシス)や低音の魅力のBilly Eckstine(ビリー・エクスタイン)なども歌いました。
ちなみにオペラのカルメンのThe Breeze and I(Andalucia)やラテンのMalagueñaなどイタリア語だけでなく色々な言語で歌ったカテリーナ・ヴァレンテは日本語で「情熱の花(Tout l’amour)」や「恋のバカンス(Vacance De L’Amour)」などを歌ってヒットさせています。

I touch your lips and all at once the sparks go flying…と歌われる”Kiss Of Fire”の歌詞はKiss Of Fire – OldieLyrics.com
※ジョージア・ギブスが歌った”Kiss Of Fire”の原曲である”El choclo”はアルゼンチンのタンゴの巨匠の一人”Juan D’Arienzo(フアン・ダリエンソ)”などが演奏していますが、ジョージア・ギブスと同時期の1952年にLouis Armstrong(サッチモ)も吹き込んでいます。
♪ Louis Armstrong – Kiss of Fire

ジョージア・ギブスが1960年に吹き込んだ”Something’s Got To Give”はMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)が撮影中に亡くなったという映画”Something’s Got To Give(女房は生きていた)”のタイトルでもありますがこの映画では出演者のDean Martin(ディーン・マーティン)が歌っています。

大ヒットの”火の接吻”の後に続けてリリースした”So Madly In Love”と”My Favorite Song”はさほど売れませんでしたが、1953年初期にはR & B調の”Seven Lonely Days”が再びヒットしています。 ♪ Seven lonely days make one lonely week…と調子の良い歌で覚え易かったのを記憶しています。 1954年には”The Copacabana Show Of 1954″からカリプソ調のSomebody Bad Stole De Wedding Bellをヒットさせました。
Georgia Gibbs – Seven Lonely Days – YouTube

1954年にアーサー・キットが歌った”ウエディング・ベルが盗まれた”は日本でも江利チエミが歌いましたが、これまた「Who’s got the ding dong who’s got the bell…」と調子が良くて大流行しました。 この後もエルヴィスも好きな”Tweedle Dee”や後の”Jim Dandy”などのヒットで知られる黒人R & Bの女性ヴォーカリストであるLaVern Baker(ラヴァーン・ベイカー)やEtta James(エタ・ジェームス)の曲のカバーを吹き込むというR&R路線を貫きました。
“Work With Me”だの”Roll With Me”などは黒人音楽特有のあからさまな(explicit)R & Bの歌詞を含んでいますが、白人のジョージア・ギブスは白人社会に受けられるようオブラートに包んで表現しており、特別な意味を持つ”ROLL”がつく曲の”Roll With Me”などは”Dance With Me”にタイトルを変更したそうです。 他にはRawhide(ローハイド)で有名なFrankie Laine(フランキー・レイン)のPut Yourself in My Place Baby, Wrap Your Troubles in Dreamsもカバーしています。

ジョージア・ギブスはその後出現したロックンロール旋風に押されて泣かず飛ばずの状態となり、1958年にRoulette Records(ルーレット・レコード)で吹き込んだCarl Maduri III (カール・マドゥライ)とDonna Kohler(ドナ・コーラー)の作った”The Hula Hoop Song(フラ・フープ・ソング)”(B面がThe Keep In Touch)が日本でも同年後期に大流行しましたがこの曲が最後のヒットとなりました。 フーラフープ、フーラフープ、みんなで回そう、フラフープ!
ちなみに1952年にはTeresa Brewer(テレサ・ブリューワー)も同年フラフープ・ソングを歌っています。 当時は45回転シングルでRouletteから発売されたジョージア・ギブスのフラフープ・ソングがドリス・ディのケセラセラからボビー・ダーリンのドリーム・ラヴァーまで懐かしい曲がいっぱいのOpusCDs2枚組みCD”Memories Are Made Of This”に収録されていますが入手困難です。 他にはR&BのコンピレーションアルバムのThe Roulette StoryというR&Bコンピレーション3枚組みCDにも収録されています。
試聴はThe Roulette Story – CD Universe
フラフープ・ソングはDisc: 1の15番、19番のThe Hucklebuckもジョージア・ギブスの歌です。(The HucklebuckについてはHot’n Cool内のポール・ウィリアムズ Paul “Mr. Hucklebuck” Williams) この他にはJimmie Rodgers(ジミー・ロジャース)のHoneycomb、Pier Angeli のTorero、Joey DeeのPeppermint TwistやThe Rock-A-Teensが歌うキルビルのサントラにもあったWoo Hooのオリジナルなどが収録されています。 ※収録曲の”If I Knew You Were Comin’ I’d’ve Baked a Cake”や”Honeycomb”は”Mambo Italiano”や”How Much Is That Doggie In The Window?”などのヒット曲で有名なBob Merrill(ボブ・メリル)の作詞作曲ですが。ちなみに歌のタイトルはスラングで”超セクシーな女”とか”女性をひきつける男性のかっこいい髪型”とか”コカイン(麻薬)”などという意味があるとか。
昭和30年代に流行りましたね。 ♪フラフープ、フラフープ、みんなで回そう、フラフープ! 一時は腸捻転を起こすからと廃ったフラフープですが現在は再び幼稚園などで使用されているようです。
※ジョージア・ギブスは惜しくも白血病による合併症から2006年12月に87歳で亡くなりました。

Teresa Brewer
テレサ・ブリューワーは1950年代に独特の歌唱法で人気だったポップス歌手で、1949年に陽気なジュークボックスがテーマの曲”Music Music Music“がミリオンセラーとなりました。 黒人ブルースの女王である”Bessie Smith(ベッシー・スミス)”を歌い、ジャズのCount Basie(カウント・ベイシー)とも共演したテレサ・ブリューワーですが、私が一番好きな曲は1952年の”Till I Waltz Again with You(想ひ出のワルツ)”です。 テレサ・ブリューワーの紹介ページによく書かれているのが「ブリューワーのキンキン声」ですが私はハスキーがかっているとは思いますがキンキンとは聞こえません。
私の好きな”By The Light Of Silver Moon”は見つかりませんが、1953年の”Till I Waltz Again with You”や1950年の”Music Music Music”や1955年の”Let Me Go, Lover! “などが聴けるTeresa Brewer – Jazz-on-line.com(検索窓にTeresa Brewerと入力、開いたページで曲目をクリックするとRealPlayerで聴けます)

Red Hot
ページトップの画像はジョージア・ギブスのアルバム”Red Hot”で試聴できます。
代表曲の「Kiss of Fire(火の接吻)」は収録されていませんが、ジョージア・ギブスがもっとも人気のあったMercuryレコード時代の78回転ヒット曲を集めてありビング・クロスビーの弟のBob Crosbyとのデュエットもあります。 アルバムタイトルの”RED HOT”とは19世紀後期にニューオリンズで誕生した黒人が演奏したラグタイムやマーチングバンドなどから始まった初期のジャズ”red hot jazz”のことでジョージア・ギブスはかなりあからさまな内容をちょっと落として威勢良く歌っています。 このCDに収録されているRED HOTな曲はRed Hot MamaとA-Razz-A-Ma-Tazzですが、Red Hot Mamaとはセクシーなブロンドのボデコン女のことだそうです。
SP78回転のシングル盤に収録されていのチャチャチャ風シャンソンのCherry Pink and Apple Blossom Whiteとブルース調のGot Him Off My Handsが入っています。
※オリジナルがシャンソンのCherry Pink and Apple Blossom White(バラ色の桜んぼと白いリンゴの花)はセレソローザとしてマンボ王のPerez Prado(ペレス・プラード)の演奏で有名です。
※”Red Hot”に使用されているジョージア・ギブスの写真は白人というよりスペインのジプシーのように見える写真があります。 事実このアルバムには収録されていませんがジョージア・ギブスのレパートリーには”Gypsy Love Song”という歌があります。 CD化されていませんが1950年代のRoyale盤の30cmLPでGeorgia Gibbs Ballin The Jack、又はGibbs, Georgia / Georgia Gibbs & OrchestraのB面に収録されています。

Her Nibs
Glenn Osser(グレン・オッサー)楽団をバックにジョージア・ギブスが歌うThe Kiss of Fireや”Seven Lonely Days”が収録されているアルバム
Her Nibs - Georgia GibbsHer Nibs
試聴はHer Nibs, Miss Georgia Gibbs – CD Universe
ジョージア・ギブスが歌った”The Wallflower”という曲は又の名を”Dance with Me Henry”とか”Roll with Me Henry”とも呼ばれるアンサーソングで、2012年1月に90歳で亡くなりましたが、1958年に”Willie and the Hand Jive”が大ヒットした白人(ギリシャ系)R&BのJohnny Otis(ジョニー・オーティス)とHank Ballard(ハンク・バラード)が書いた曲ですが、 Etta Jamesが歌ってヒットしました。 元歌はハンク・バラードの1954年のミリオンセラーの”Work With Me Annie”で、「a-um, a-um…Ooo-wee!, So good, so good, so good, so good」とR&B特有のきわどい歌詞でしたので続編の”Annie Had a Baby”などを含めて連邦通信委員会は放送禁止にしたのだそうです。
Georgia Gibbs – Dance With Me Henry (The Wallflower) – YouTube

Greatest Hits
ジョージア・ギブスのタイトル曲である”Kiss Of Fire“が収録されている”Georgia Gibbs / Greatest Hits”には最盛期のトップヒット曲が網羅されています。
Greatest Hits by Georgia GibbsGreatest Hits
試聴はGreatest Hits Plus Bonus Tracks – AllMusic.com

Sentimental Journey: Pop Vocal Classics Vol. 3 (1950-1954)
1950年から1954年のヒット曲を集めたアルバム”Sentimental Journey: Pop Vocal Classics Vol. 3″には試聴はもちろん、Glenn Osser & Orchestraをバックに歌うジョージア・ギブスの”火の接吻”が収録されています。 ”Just Walking in the Rain(雨に歌えば)”で有名な”Cry”のご本家Johnnie Ray(ジョニー・レイ)や日本でも江利チエミのバージョンが人気だったRosemary Clooney(ローズマリー・クルーニー)のCome On-A My House(家においでよ)や、1956年に”Rock and Roll Waltz”がヒットしたKay Starr(ケイ・スター)のWheel Of Fortune(幸せの輪)も収録されています。 ちなみに1956年にRock and Roll Waltz(ロックン・ロール・ワルツ)をリリースした特異な声のケイ・スターの歌では”What Is This Thing Called Love”が好きです。
日本では入手不可のようですが、上記のアルバムの試聴はSentimental Journey: Pop Vocal Classics Vol. 3 (1950 – 1954) – CD Universe

ジョージア・ギブスは代表曲であるKiss Of Fireを1966年に”Kiss Of Fire 66″としてモノラル・レコードの”Georgia Gibbs / Great Balls Of Fire”に録音しています。
Great Balls Of Fire(火の玉ロック)というのはロックンロールのJerry Lee Lewis(ジェリー・リー・ルイス)が放った1957年の大ヒット曲です。

Like a Song
Jo Stafford(ジョー・スタッフォード)も歌っているIrving Berlin(アーヴィング・ バーリン)の名曲”You Keep Coming Back Like A Song”(このCDタイトル”Like A Song”はこの曲名から)やフランキー・レインのWrap Your Troubles In Dreamsのカバーなど終戦直後のレアものが収録されているアルバム
Georgia Gibbs-Like a SongLike a Song
試聴はLike a Song – CD Universe

Georgia Gibbs with Paul Whiteman Orc. – Dream (1945)- YouTube

ジョージア・ギブス Georgia Gibbs」への2件のフィードバック

  1. まったく未知のシンガーでした。いつも学ばせていただき、ありがとうございます。新しいPCの調子はいかがですか?

  2. koukinobaaba より:

    NOVAさんは生まれていなかったかも?きっとご主人はGibbsのKiss Of Fireをご存知ですよ。日本では私と同年代の、特に女性にはギブスのファンがいるようです。

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