Danielle Darrieux (1917 – 2017)
日本には山本富士子のような美人女優が大勢いますがフランスではなんといっても1917年にボルドーで生まれたフランス女優で歌手のダニエル・ダリューでしょう。 ちょっと妖艶ですが若き日の木暮実千代も当時のメイクだとダニエル・ダリューに似て日本人離れした顔立ちでした。 パリのConservatory(音楽学院)でクラシックのセロを学んでいた時、あまりの美しさゆえに14歳で映画に抜擢され1931年の「Le Bal(ル・バル)」でデビューして以来、毎年1~2本の作品に出演してきました。 あどけない乙女から百戦練磨の妖艶な貴婦人まで演じたダニエル・ダリューの最盛期は1950年代と言われますが、2002年にも「8 femmes(8人の女たち)」といった話題作に出演しています。 2007年には90歳を迎えるダニエル・ダリューはフランスで最もご長寿の現役女優で2017年に亡くなった時は100歳でした。 美貌と美声に恵まれ、尚かつ長命とこれ以上望めないほど素晴らしい人生を送っているようで私は常に羨望の眼差しを向けています。 上品とか気品といった形容詞がぴったりの絶世の美女「ダニエル・ダリュー」は貴婦人を演じたら天下一品です。 おまけに声がとても可愛いらしく、ことにグレタガルボ風のメイクをしていない時は「美女」というよりも愛くるしい(キュート)と言うべきか、キョトンとした丸い目とおちょぼ口がとてもチャーミングなおとぼけキャラなのです。 以下はダニエル・ダリューが出演した映画から抜粋して紹介しますが現在では殆どのDVDやVHSビデオなどは入手不可となってしまいました。
ダニエル・ダリューはHenri Decoin(アンリ・ドコアン又はアンリ・ドコワン)とは1941年まで結婚していましたがその後二度の再婚があり合計で三度の結婚となります。(ドコアンはダリューの前に二度で合計四度の結婚) 婚姻中にダリューが出演したドコワン監督の作品には1937年の「Abus de confiance(背信)」と1938年の「Retour à l’aube(暁に帰る)」の二作品だけでしたが、夫にハリウッド進出を勧められたダリューは1938年にHenry Koster(ヘンリー・コスター)が監督する「The Rage of Paris(パリの評判娘)」や1952年の「5 Fingers(五本の指)」に出演しましたが、同年にアンリ・ドコワン監督の「La vérité sur Bébé Donge(ベベ・ドンジュ についての真実)」でJean Gabin(ジャン・ギャバン)と夫婦役で共演しています。
1931年 Le Bal(ル・バル)
ウィーン出身のドイツ映画監督であるWilhelm Thiele(ヴィルヘルム・ティーレ)の「ル・バル(舞踏会)」は 突然金持ちになった食料品屋夫婦が娘そっちのけの生活を送り、それを恨んだ娘は両親が催す予定の「ル・バル/舞踏会」をぶち壊した結果、両親(夫婦)の危機状態を救ったというストーリーです。 「ル・バル」の音楽は後に1931年の「Der Kongress tanzt(Der Kongreß tanzt – 會議は踊る又は会議は踊る)」や1940年の「The Shop Around The Corner(桃色(ピンク)の店)」などを担当したドイツ出身のユダヤ人である作曲家のWerner Richard Heymann(ウェルナー・リヒャルト・ハイマン )です。 現在は「ル・バル」のビデオも情報も見つかりませんが、兎にも角にもダニエル・ダリューのデビュー作品だそうです。
1934年 Mauvaise Graine(悪い種子)
画像はAmazon.comにある「Mauvaise Graine」のDVDですが日本で見つかるかもしれないフランス語英語字幕の輸入版VHS「Mauvaise Graine」もあります。
Mauvaise Graine (ASIN: 630416811X) – Amazon.co.jp
フランス映画「悪い種子」の英語のタイトルは”Bad Blood”といい、William March(ウイリアム・マーチ)の小説をMervyn LeRoy(マーヴィン・ルロイ)監督が映画化した1956年のサスペンス映画の「The Bad Seed(悪い種子)」とは全く別の映画で、悪い子には違いありませんがダニエル・ダリューが窃盗団の姉御役で主演した1930年代のパリを舞台にした元祖ヌーヴェルヴァーグです。 パパの戒めを受けたプレイボーイの金持ち坊ちゃんがこともあろうに車泥棒の一味に加わってしまい、おまけにそのスペイン人の泥棒姉御と恋に堕ちてしまうという話です。
「悪い種子」はBilly Wilder(ビリー・ワイルダー)が脚本にも関わっています。 車上からカメラでパリの町並みを映した野外撮影だそうですから当時としてはかなり斬新な映像だったでしょう。 オーストリア出身のユダヤ人であるビリー・ワイルダーはドイツで記者をしていましたが、ナチスの脅威によりベルリンからパリに逃げて来ました。 映画活動を控えていましたがこの「Mauvaise Graine(悪い種子)」が映画監督デビューへの良いきっかけとなったそうです。 しかしこの作品の後にすぐ渡米(パリからハリウッドへ)してアルコール依存症をテーマにした1945年の恐ろしい映画「The Lost Weekend(失われた週末)」ではアカデミー監督賞を受賞するに至り、1959年の娯楽映画「Some Like It Hot(お熱いのがお好き)」など多くの笑いとペーソスを交えたアメリカ映画の監督として有名になりました。
1936年 Club de femmes(禁男の家)
Club de femmes VHS (ASIN: B00004VVT1) – Amazon.co.jp
←ダニエル・ダリューと従姉妹に女装したボーイフレンド
作家のJacques Deval(ジャック・ドゥヴァル)が唯一の監督した「禁男の家」に出演しています。 「Cinq fois deux (5X2)(ふたりの5つの分かれ路)」のFrançois Ozon(フランソワ・オゾン)が監督した2002年の「8 femmes(8人の女)」 の登場人物が全て女性だったようにこの映画は女性だけが出演する初めての映画で、当時としては珍しく同性愛(レズビアン)や女装を扱っています。 男子禁制の女子寮には厳格な寮長の監視下に150人もの身寄りの無いうら若き乙女たちが生活しています。 ダニエル・ダリューが演じる娘はボーイフレンドを女装させて従姉妹と偽り寮に連れ込みます。 彼氏が変な歩き方をするので寮長にバレてしまうのですが、男手の無い女子寮での一大事に活躍したので無罪放免になるというおまけ付きです。 守ってあげるべき操などなかったとんだ乙女たちの館でしたというお話。(ビリー・ワイルダー監督の「お熱いのがお好き」で女装したバンドマンたちの歩き方が笑えましたが)
「禁男の家」にはJean Cocteau(ジャン・コクトー)が監督した1946年の「La Belle et la Bête(美女と野獣)」で可憐な末娘のベルを演じたJosette Day(ジョゼット・デイ )が同性に好かれるタイピスト役で出演しています。
“Club de femmes”は1956年にRalph Habib(ラルフ・アビブ)という監督がリメイクしていますが、邦題は「乙女の館」で50年代の売れっ子新進女優のDany Carrel(ダニー・カレル)やNicole Courcel(ニコール・クールセル)やAgnès Laurent(アグネス・ローラン)などフランス若手女優陣が出演しています。 ボーイフレンド役は「Estate Violenta(激しい季節)」のJean-Louis Trintignant(ジャン=ルイ・トランティニャン)です。 ニコール・クールセルは1949年の「La Marie du port(港のマリィ)」でJean Gabin(ジャン・ギャバン)を相手に娼婦を演じた官能的女優です。
色っぽい一方無邪気なキャラクターを持ち合わせたダニー・カレルは母親がベトナム人(仏領インドシナ)なので異国風のまなざし(ちょっとつり目)と素敵な頬で当時のフランス映画では人気がありました。 デビューはHenri Decoin(アンリ・ドコアン)監督の1953年の「Dortoir des grandes(上級生の寝室)」という白黒映画で、Mylene Demongeot(ミレーヌ・ドモンジョ)も出演した「Fantômas se dechaine(ファントム)」コンビのJean Marais(ジャン・マレー)とLouis de Funès(ルイ・ド・フュネス)や、Francoise Arnoul(フランソワーズ・アルヌール)と「死刑台のエレベーター」のJeanne Moreau(ジャンヌ・モロー)までが出演したミステリーです。 ダニー・カレルは「乙女の館」の後、1957年にRene Clair(ルネ・クレール)が監督した「Porte des Lilas(リラの門)」や、Magali Noël(マガリ・ノエル)やRaf Vallone(ラフ・ヴァローネ)と1958年にCharles Brabant(シャルル・ブラバン)が監督した「Le Piège(鍵穴)」に出演しましたが、その後はFrançois Truffaut(フランソワ・トリュフォー)や「勝手にしやがれ」のJean Luc Godard(ジャン=リュック・ゴダール)といったヌーヴェルバーグの監督には注目されず終いで、主に欧州で軽いコメディやB級ホラー映画に出演していました。
1967年の「リラの門」ではGeorges Brassens(ジョルジュ・ブラッサンス)が有名な”Au bois de mon coeur(ぼくの心の森で)”などのシャンソンを歌っています。
1935年 Mayerling(うたかたの戀)
Mayerling VHS (ASIN: 6304270801) – Amazon.co.jp
現在も人気の「うたかたの戀(又はうたかたの恋)」はAnatole Litvak(アナトール・リトヴァク)が監督しました。 映画化のもとになった原作は皇太子の情死事件(マイヤーリンク事件)を実際に近い形でスイス出身のフランス人ジャーナリストだったClaude Anet(クロード・アネ)が書いた悲恋小説です。 ボリシェヴィキ革命中にロシアに滞在していたというクロード・アネは1957年の ビリー・ワイルダー監督のお洒落なロマンスコメディ「Love In The Afternoon(昼下りの情事)」の原作者としても有名です。 歴史的にはヨーロッパでの第一次世界大戦勃発の引き金となったオーストリア皇太子暗殺のサラエボ事件は1914年に起こりましたが、マイヤーリンク事件をもとにしたメロドラマの「うたかたの戀」は17歳のダニエル・ダリューが演じた民間のお嬢さんのマリー・ヴェッツェラとCharles Boyer(シャルル・ボワイエ)が演じた既婚のオーストリア皇太子との叶わぬ恋の末の心中を描いた悲恋物語なので涙なしには観られないそうです。 後の1969年にテレンス・ヤングが監督し、令嬢マリーをカトリーヌ・ドヌーヴが、ルドルフ皇太子をオマー・シャリフが演じたリメイク版「うたかたの恋」があります。 1962年には「Lawrence of Arabia(アラビアのロレンス)」でアラブ人の勇敢なアリ酋長を演じ1965年には「DOCTOR ZHIVAGO(ドクトル・ジバゴ)」では詩人で医者のユーリー・ジバゴを演じたオマー・シャリフは1968年には「Funny Girl(ファニー・ガール)」でもFanny Brice(ファニー・ブライス)を口説くギャンブラー(実際のJulius Wilford “Nicky” Arnstein)を演じています。
アナトール・リトヴァク監督は日本では1961年にFrançoise Sagan(サガン)の小説「Aimez-vous Brahms?(ブラームスはお好き)」の映画化で「Goodbye Again(さよならをもう一度)」が有名ですがAudio-Visual Trivia内には1941年のミュージカル映画「Blues In The Night」があります。
映画音楽はワルツ王と呼ばれた19世紀のウィーンの音楽家であるJohann Strauß(ヨハン・シュトラウス2世)の”G’schichten aus dem Wienerwald(ウィーンの森の物語)”や3大バレエ楽曲(白鳥の湖、眠れる森の美女、くるみ割り人形)の作曲家として知られるPyotr Ilyich Tchaikovsky(チャイコフスキー)の”The Nutcracker(くるみ割り人形)”など有名なクラシック曲が使用されています。
上記の画像はは輸入版VHSですが、国内版のMayerling(うたかたの戀)のDVDは今後も入荷ありの「うたかたの戀」
1938年 Retour A L’Aube(暁に帰る)
当時ダニエル・ダリューの第三番目の夫君だったHenri Decoin(アンリ・ドコアン)が監督したダニエル・ダリュー賛美の映画ですが、当時としては前衛的なフィルム・ノワールなんだそうです。 汽車の旅に憧れたハンガリア人のヒロイン”Anita(アニタ)”は半ば衝動的にハンガリーの田舎の駅長と結婚しますが満ち足りてはいませんでした。 そんな折、親戚の遺産を相続するために憧れの都会だったブダペストへの汽車の一人旅を決行します。 遺産を手にして大変身したアニタですが同郷のプレイボーイとの恋の冒険は退けたものの、ハンサムな宝石泥棒に利用される危ない一件がありました。 結局、貞淑なヒロインは暁には心配する夫君の腕の中に帰ったのでした。
アンリ・ドコアンは「暁に帰る」に続いて同年にダニエル・ダリューが身寄りの無い悪徳の学生を演じた「Abus de confiance(背信)」を監督した他、1935年の「Le Domino vert」、1936年に「Mademoiselle Ma Mère」、1952年の「La Vérité sur Bébé Donge」、1955年に「L’Affaire Des Poisons」などを監督しているそうですが、フランスでは「暁に帰る」と「背信」のビデオは見つかりません。
「暁に帰る」についての情報は皆無で写真も見つかりませんが、私が最もダニエル・ダリューに惹かれたのが「Retour à l’aube(暁に帰る)」の主題歌として歌われた”Dans Mon Coeur(我が心に)”なのです。 このテーマ曲はPaul Misraki(ポール・ミスラキ)の作曲で、歌詞はAndré Hornez(アンドレ・オレネス)で1939年にLucienne Delyle(ルシエンヌ・ドリル)が歌った曲なのですがダニエル・ダリューの歌声といったら筆舌に尽くし難いほど美しいのです。 10年ほど前に”Dans Mon Coeur”を収録した手持ちのカセットテープを一斉処分したことを今ごろ後悔しています。 1950年代にフランス映画音楽で活躍したトルコ出身のポール・ミスラキといえば1956年にBrigitte Bardot(ブリジッド・バルドー)が主演した「En effeuillant la marguerite(裸で御免なさい)」や「Et Dieu… créa la femme (素直な悪女)」の他にもはJean Paul Belmondo(ジャン・ポール・ベルモンド)の「À double tour(二重の鍵)」や「Le Doulos(いぬ)」、Alain Delon(アラン・ドロン)ではデビュー作の「Quand la femme s’en mêle(女が事件にからむ時)」や「Faibles femmes(お嬢さん、お手やわらかに!)」などたくさんの映画音楽を手掛けています。
魅惑のダニエル・ダリューが巻き舌の”R”で歌う「Retour A L’aube(暁に帰る)」のテーマ曲の”Retour à l’aube(暁に帰る)”はこのページトップのCD「Danielle Darrieux/Integrale 1931-1951」に収録されています。
アルバムの試聴はDanielle Darrieux: Intégrale 1931-1951 – AllMusic.com
♪ Danielle Darrieux – Dans mon coeur (Retour A L’aube) (1938) – YouTube
1938年 The Rage of Paris(巴里の評判娘)
The Rage of Paris VHS (ASIN: 630522658X) – Amazon.co.jp
ダニエル・ダリューがお金持ちと結婚しようとする貧乏なパリ娘を演じたHenry Koster(ヘンリー・コスター)監督のコメディです。 ベルリン出身の監督でオーストリアやドイツで映画を監督していたヘンリー・コスターの作品というと、「巴里の評判娘」の前年の1937年に監督した「One Hundred Men and a Girl(オーケストラの少女)」が有名ですが、1965年にブリジット・バルドー が客演したジェームズ・スチュワート主演の「Dear Brigitte(ボクいかれたヨ!)」なんていう作品もあります。
仕事がなくて家賃も滞納しているパリ娘のニコルが女友達のアイデアと助けを得て、パリのお嬢様という触れ込みで結婚相手を探します。 お目当ては豪華ホテルに滞在するお金持ちの紳士! ところが以前ひょんなことから身元を知られてしまったDouglas Fairbanks Jr.(ダグラス・フェアバンクス・Jr)が演じる百万長者に恋路を邪魔をされてしまいます。 傷心のダニエル・ダリューはフランスに帰国しますが、その船上に乗って来たのがなんとあの邪魔男だったのです。 道理で邪魔するハズだわね。
この映画はロマンチックなリボンやサテンで飾られたクレジットに続きダニエル・ダリューが演じる娘ニコルが仕事探しをするシーンに続きます。 テーブルの上にあった名刺の所に行けば仕事にありつけると勘違いした娘は到着するや否や脱ぎ始めます。 カメラはどこ?とスリップ姿になったダニエル・ダリューのニコルが可愛いし、喜んでそれを見ているダグラス・フェアバンクス・ジュニアが演じるジムも愉快なシーンです。 ニコルは間違いに気づき住まいに戻ったのですが週7ドルの家賃が払えないので大家にどなられます。 女友達のグロリアに助けられたものの、明日には仕事を見つけねばというニコルにグロリアは「結婚が一番よ。」とホテルの給仕長をしているボーイフレンドを紹介しますがキッチンで働くより着飾って社交界入りした方が手っ取り早いと決定! 芸達者なロシア人俳優のMischa Auer(ミシャ・オウア)が演じる給仕長が面白いキャラです。
さて、高級スイートに入室したニコルの有頂天ぶりも可愛い。 フカフカのベッドで目覚めたニコルがベッドの上で朝食を食べると言うシーンも可愛い。 そしてここからが腕の見せ所、給仕長が自分のレストラン用の資金3000ドルを借り受けて準備をし、ホテルに滞在しているお金持ちをカモにするのです。 ところがこのお金持ちのビルが友人のジムを紹介したのです。 ジムはすぐにあの時のニコルだと気づいて「友人のビルにモンキー・ビジネス(インチキ)などするな。」と釘を刺します。 ジムの住まいで夕食後に部屋に閉じ込められたニコルが逃れようと見張りの執事から鍵を取り上げるために演じてみせる手品も可愛い。 ニコルとビルの婚約祝いの会場となったホテルに駆けつけたジムは例の3000ドルの件を話してビルから一発お見舞いされたジムを案じて車に乗り込んだままニコルは森の別荘に連れて行かれる。 車中「下ろしてくれなくてもこれで帰るからいいわ。 ヒッチ、ヒッチ」と突き出したニコルの親指が可愛い。 ジムの花嫁と勘違いした管理人の言葉に乗ってその気になるニコルだったが気安く呼ぶなとお冠のジムは帰るには歩いて4日かかるとニコルを脅して放置してお休み。 ジムのパジャマを着たニコルが可愛い。 翌朝トラックをヒッチヒッチしてようやくホテルに戻ったニコル。 計画は全て水に流れて傷心の思い出帰国の船にのったニコルだったが二等船室の荷物をボーイが手にして豪華客室に案内するとそこにはなんとジムが。。。総体的にダニエル・ダリューがとっても可愛いとっても他愛ない映画です。 ちなみにダグラス・フェアバンクス・Jrは後に「ギルダ」が大ブレークするリタ・ヘイワースと1940年の「紐育の天使(ニューヨークの天使)」で詐欺師コンビとして共演しています。
1952年 L’affaire Ciceron(シセロの恋)
5 Fingers VHS (ASIN: 6303102433) – Amazon.co.jp
英語のタイトルは5 Fingers又はFive Fingers(五本の指)といいますが、ダニエル・ダリューが伯爵夫人役で出演したハリウッド製スパイ映画です。 実際にあった事件を書いたL.C. Moyzisch(L・C・モイズイッシュ)の原作をJoseph L. Mankiewicz(ジョゼフ・L・マンキーウィッツ)監督が映画化しました。 1947年にCarol Reed(キャロル・リード)監督の「Odd Man Out(邪魔者は殺せ)」に出演したJames Mason(ジェームズ・メイソン)がリオでの豪華生活を夢みるトルコの英国大使館執事のUlysses Diello(ディエロ)に扮し一攫千金を企む売国奴となりますが、ドイツに財産を没収され一文無しになったポーランドの伯爵夫人にディエロが手にするはずの金を横取りされてしまいます。 メイソンの映画では1954年の「20,000 Leagues Under the Sea(海底二万哩)」のネモ船長が面白かったのですが、Judy Garland(ジュディ・ガーランド)が歌う”The Man That Got Away”が素晴らしかった同年の「A STAR IS BORN(スタア誕生)」では人格の問題で映画会社から解雇され自分が発掘したスターの将来を守るために海で泳ぐと言って入水する(溺死、自殺)元ハリウッドスター役で酔っ払っての傍若無人ぶりがコミカルでした。
さて、スパイには恋は禁物! 恋は盲目!
1989年リリースの国内版のVHSは「五本の指」(ASIN: B000064VN8)
ジェームズ・メイソンは1962年にStanley Kubrick(スタンリー・キューブリック)監督の「Lolita(ロリータ)」の教授役や、Richard Fleischer(リチャード・フライシャー)監督の「Mandingo(マンディンゴ)」や1954年の「20000 Leagues Under the Sea(海底二万哩)」ではメイソンがニモ船長で出演しています。
Richard Fleischer(リチャード・フライシャー)監督が北アメリカの奴隷牧場を扱った1975年の映画「Mandingo(マンディンゴ)」の音楽は「Isadra(裸足のイサドラ)」を手掛けたMaurice Jarre(モーリス・ジャール)ですが映画ではHi Tide Harris(ハイ・タイド・ハリス)作曲のテーマ曲”Born in This Time”をMuddy Waters(マディ・ウォーターズ)が歌っているそうです。 マンディンゴとは西アフリカの優性の奴隷のことらしいですが、ついでに奴隷牧場なるものについて記述すると、これは実際にアメリカの南部にあったらしく、奴隷を買うより白人男の種付けで新種奴隷を量産する方が安上がりもしくはミルクチョコレート色の肌をした混血奴隷はより儲かるという恐ろしいシステムだそうです。 1962年の「Mondo Cane(世界残酷物語)」が代表作品のイタリアのGualtiero Jacopetti(グァルティエロ・ヤコペッティ)監督の1971年の「Addio zio Tom(Uncle Tom/残酷大陸)」にもドキュメンタリーもどきに描かれていました。
「五本の指」の音楽はBernard Herrmann(バーナード・ハーマン)です。 日本ではOrson Welles(オーソン・ウェルズ)の1941年の「Citizen Kane(市民ケーン)」や1944年の「Jane Eyre(ジェーン・エア)」、1947年の「The Ghost and Mrs. Muir(Aventures de Mme. Muir/幽霊と未亡人)」、そしてAlfred Hitchcock(アルフレッド・ヒッチコック)監督の1958年の「Vertigo(めまい)」や2003年のQuentin Tarantino(クエンティン・タランティーノ)が監督した「Kill Bill Vol.1(キル・ビル1)」の”Twisted Nerve”などの怖い音楽で知られています。
☆映画の英語タイトルの「五本の指」とは、①渇望、②強欲、③激情、④欲望、⑤罪悪を意味するそうですが一般的には泥棒のことだとか。 Cicéron(Cicero)とはスパイのコードネームだそうです。
史実としては、第二次世界大戦中にナチスに秘密文書を手渡したスパイのElyesa Bazna(エリザ・バズナ)はアンカラに赴任した英国大使の従者だったそうです。 英国の諜報機関はエリザ・バズナは英語が分からないオバカ扱いして気がつきませんでしたので、金に目が眩んだバズナはドイツの雇われ諜報員として活動していました。 その時与えられたコードネームがCicero(キケロ)だったのです。 後の1962年に「 I was Cicero(わが名はキケロ)」という本を出版しました。
1953年 Earrings of Madame De…(たそがれの女心)
The Earrings of Madame de… VHS (ASIN: 6303593194)
「うたかたの戀」で共演したシャルル・ボワイエとダニエル・ダリューが夫婦役を演じる「たそがれの女心」にはVittorio De Sica(ヴィットリオ・デ・シーカ)がダリュー奥様に取り入る紳士の一人として出演しています。 「たそがれの女心」は、1948年にJoan Fontaine(ジョーン・フォンテイン)とLouis Jourdan(ルイ・ジュールダン)が出演した「Letter From an Unknown Woman(忘れじの面影)」を監督したMax Ophuls(マックス・オフュルス)の代表作品となっています。 ちなみにルイ・ジュールダンはAlida Valli(アリダ・ヴァリ)とグレゴリー・ペックが出演した1947年の「The Paradine Case(パラダイン夫人の恋)」や1955年のGrace Kelly(グレイス・ケリー)最後の主演映画の「The Swan(白鳥)」などたくさんの映画に出演したフランスの二枚目俳優です。
ただ単にMadame(夫人)としてだけで登場するダニエル・ダリューは合意の上での結婚とはいえ愛無き生活に拘束された欲求不満から若い取り巻き連中と遊ぶために借金までこしらえてしまいます。 紳士の典型のようなご主人に甘やかされて放蕩三昧の挙句にとうとう夫君から贈られたイヤリングを手放す羽目に陥ちいる貴族の奥様です。 「あ~、これも駄目。 あ~、これを手放したら死んじゃうわ …」とダニエル・ダリューが質草を選ぶ場面がとても可愛いです。 結局旦那様に買って貰ったイアリングを手放すことにしたのですが・・・
日本で入手出来る「Madame de…(たそがれの女心)」のDVDもVHSも殆ど入手不可となっていますが、2001年版DVDなど少数が見つかります
たそがれの女心 DVD (ASIN: B00005HVTC) – Amazon.co.jp
2003年版DVDは「たそがれの女心」(ASIN: B0000ABBXH)
1954年 Le Rouge et Le Noir(赤と黒)
The Red and The Black (Le Rouge Et Le Noir) (VHS) (ASIN: B00008OK1D) – Amazon.co.jp
その他の出演映画としては、「La Chartreuse de Parme(パルムの僧院)」でも有名なフランスの作家のStendhal(スタンダール)が書いた1830年の原作をClaude Autant-Lara(クロード・オータン=ララ)監督が映画化した「Le Rouge et Le Noir(赤と黒)」があります。 ダニエル・ダリューが37歳の1954年に、ため息の出るようなハンサムなGerard Philipe(ジェラール・フィリップ)やイタリア女優のAntonella Lualdi(アントネラ・ルアルディ)と共演しました。
国内版のDVDは赤と黒 DVD
男と女のAnouk Aimée(アヌーク・エーメ)がデビュー間もない顔を見せているJulien Duvivier(ジュリアン・デュヴィヴィエ)監督の1957年の「Pot-Bouille(奥様ご用心)」でもダニエル・ダリューと共演したジェラール・フィリップは惜しくも日本公開映画としては1959年の「Les Liaisons Dangereuses(危険な関係)」を最後に亡くなっています。 ちなみに「赤と黒」の音楽は「肉体の悪魔 」や「七つの大罪」のRené Cloërec(ルネ・クロエレック)ですがサウンドトラックは見つかりません。
クロード・オータン=ララ監督は1947年にMicheline Presle(ミシュリーヌ・プレール)が貴婦人役で主演した「Le Diable au Corps(肉体の悪魔)」や1958年にブリジッド・バルドーが主演した「En cas de malheur(可愛い悪魔)」など私の好きな恋愛映画を監督しています。
この後も円熟したダニエル・ダリューは1955年の「L’Amant de Lady Chatterley(チャタレイ夫人の恋人)」、日本女優の岸恵子が監督のYves Ciampi(イヴ・シャンピ)と結婚に至った1956年の「Typhon sur Nagasaki (忘れえぬ慕情)」、1961年に「The Greengage Summer(女になる季節)」、1962年の「Le diable et les dix commandements(フランス式十戒)」と次々と出演しています。 ちなみに「女になる季節」では主役はイギリス女優のSusannah York(スザンナ・ヨーク)でダリューはスザンナと恋人(ケネス・モア)の仲を妬くホテルのオーナー役です。(ひと夏で成長して”女になる”のは若いスザンナ)
「チャタレイ夫人の恋人」の映画ポスターが見られるL’Amant de Lady Chatterley – LE CINEMA FRANCAIS
「Les Parapluies de Cherbourg(シェルブールの雨傘)」に続いてJacques Demy(ジャック・ドゥミ)が監督し、ミシェル・ルグラン作曲の”Arrivée des camionneurs(キャラバンの到着)”がBGMとして使用され、南仏の港街を舞台にした1966年のミュージカル映画「Les Demoiselles de Rochefort(ロシュフォールの恋人たち)」ではフランスの俳優であるMaurice Dorléac(モーリス・ドルレアック)の娘たちFrancoise Dorléac(フランソワーズ・ドルレアック)とCatherine Deneuve(カトリーヌ・ドヌーヴ)が演じた姉妹の母親役をダニエル・ダリューが演じています。(この3年後に25歳のフランソワーズ・ドルレアックは自動車事故で急逝) 他の出演者には「An American In Paris(巴里のアメリカ人)」のGene Kelly(ジーン・ケリー)、「West Side Story(ウエスト・サイド物語)」では紫のシャツでブレイクしたGeorge Chakiris(ジョージ・チャキリス)、ドヌーヴの恋人役には美青年のJacques Perrin(ジャック・ペラン)、そしてMichel Piccoli(ミシェル・ピッコリ)と豪華キャストです。 「ロシュフォールの恋人たち」の音楽は「シェルブールの雨傘」と同じくMichel Legrand(ミシェル・ルグラン)です。
1917年生まれのダニエル・ダリューはこの後もさらにさらに映画に出演し、2002年にはフランソワ・オゾン監督の「8 femmes(8人の女)」に85歳で出演して相変わらず美しい声でGeorges Brassens(ジョルジュ・ブラッサンス)の”Il n’y a pas d’amour heureux(幸せな愛はない)”を歌っているのですから驚きです。
2003年にはJosée Dayan(ジョゼ・ダヤン)監督の仏TVドラマ「Les Liaisons Dangereuses」ではダニエル・ダリューはロズモンド婦人を、カトリーヌ・ドヌーヴがメルトイユ侯爵夫人を演じたそうです。 この後も2011年頃までテレビドラマに出演していた記述がありますから94歳でも現役ということになります。 美容はもとより、いったいどんな健康法を実践しているのでしょうか。
Posters and Photos of Danielle Darrieux
☆Club de femmes(禁男の家)やRetour A L’Aube(暁に帰る)などのダニエル・ダリュー主演の映画ポスターが見られるフランス映画女優のサイトでダニエル・ダリューはDanielle Darrieux – Films de France – French cinema and movies(左にある出演作品のリストをクリックすると各映画のポスター画像が見られます)
ダニエル・ダリューのシャンソン
ダニエル・ダリューは女優であると共にシャンソン歌手としても有名で、”Dans Mon Coeur”以外にもいくつかの映画で歌いサントラに収録されているそうです。 1942年には「Le premier rendez-vous」、「La chanson d’amour 1958 – 1962」などに収録されていた”Garde Moi la Derniere Danse(ラストダンスは私に)”などのヒット曲があります。
☆ページトップのCD画像はダニエル・ダリューの2枚組のアルバムで「Danielle Darrieux: Integrale 1931-1951」です。 ダニエル・ダリューが歌う映画「Retour A L’Aube(暁に帰る)」で歌われた私の大好きなテーマ曲”Dans Mon Coeur“が収録されています。
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“Quand tu est parti” par Danielle Darrieux avec des photos – YouTube
♪ Danielle Darrieux – Premier rendez-vous (1941)- YouTube
♪ Danielle Darrieux – Tango dans La Fausse Maîtresse (1942) – YouTube
koukinobaabaさん、こんばんは。
いつの間にコメント欄、TBなど復帰されていたのでしょう?良かったですよ。また、いろいろ書き込ませていただきます。
ダニエル・ダリューはジェラール・フィリップとの共演が素晴らしかったと思います。ジャン・ギャバンと恋人同士だったこともあったとか?美男・美女ばかりだと、いつも恋愛をしていなきゃならないですよね。
それから「Hot’n Cool」も、勝手にリンクさせていただいています。
ジャクリーヌ・ササールは、好きな女優(ササール)を1名増やして直リンしちゃいました。
よろしくね。
では、では。
トム(Tom5k) さん、ダニエル・ダリューは大好きな女優なのですが最盛期が1950年代ということもあり、ビデオなどの情報が少なく今までj保留状態にしていました。ダリューのCDの試聴が見つかったので記事を書いたしだいです。
お久しぶりぶり!
ダニエル・ダリューは「夢の中に出てくる美しい人」って感じです。
先日、ちょっと似ている年配の女性にお会いして、ご本人も大のフランス好き、私が「ダニエル・ダリューにそっくりですね!」と言ったら「あなた~~~また古い方をご存知ね~~」と笑われました。
こういう美女はもう今後も出てこないかも・・
なんせミス・ユニバースがああいう顔なんだもの・・(失礼)
「anupam」さんにコメント頂くのは本当に久しぶりで嬉しいです。RSSで更新状況を見ていますが一時停滞気味で心配しましたよ。いつも大笑いしながら読ませて頂いています。
ダリューは永遠の美女ですが今現在でも活躍しているのでしょうか。私の母なんて家に篭りがちですよ。
うん、うん、ユニバースね・・・私のような素人には判断できないのですが、彼女はウオーキングや英語も綺麗で予選から光っていたらしいですよ。かなりの現代っ子で外人受けがするのでしょう。
もう田中絹代や山本富士子の時代じゃないですものね。