カトリーヌ・スパーク Catherine Spaak

Il simbolo di un nuovo tipo di sex appeal: Catherine Spaak
Catherine Spaak in 60s

La giovane attrice: Catherine Spaak
眩しく輝く太陽のもとにスレンダーな肢体を惜しげなく披露して歌って踊る可愛いイタリア映画の新星に目を見張った1960年代、ベルギー出身のフランス女優であるカトリーヌ・スパークとの出会いはもちろん日本での映画デビュー作品の「17才よさようなら(十七歳よさようなら)」でした。 Alberto Lattuada(アルベルト・ラトゥアーダ)が監督した処女喪失映画で、”第二のジャクリーヌ・ササール”としてカトリーヌ・スパークがデビューしたのです。(フランス語のタイトルは”Les Adolescentes”) しかし長髪のイタリア女優のJacqueline Sassard(ジャクリーヌ・ササール)と違う点は、イタリア映画界で活躍したフランス女優のカトリーヌ・スパークは脱ぎまくることでしょうか。 大物脚本家のCharles Spaak(シャルル・パーク)のお嬢さんなんだし、なんでそんなに脱ぐのか?、最初は反抗期かと思ったが、歳を取るごとに脱いでいくが全くセクシーさはない。 スタイル抜群で長い手足のカトリーヌ・スパークを存分に鑑賞する映画が殆どで「17歳よさようなら」以外に私が特に感銘を受けたりする作品はほとんどないのですが、イタリア映画全盛期の1960年代の青春のワンシーンとしてカトリーヌ・スパークの何本かの映画は脳裏に焼きついています。

I Dolci inganni (1960)
原題は「甘い嘘(甘い欺き)」という意味の白黒のイタリア映画「17才よさようなら」は映画のデータベースで見ると制作年が1959年とか1960年になっていますが日本での劇場公開は1961年だったそうです。 この映画のイタリア語タイトルは”Dolci Inganni”ですが、仏語のタイトルが若者という意味の「Les adolescentes」となっています。 映画では、ローマに住むブルジョワ階級のお嬢さまのFrancesca(フランチェスカ)を演じたカトリーヌ・スパークがとても可愛くてそのYe-Ye(イエイエ)ファッションにはちょっと憧れました。 「17才よさようなら」は純情だけど快活な17歳のフランチェスカが憧れていた中年の建築家のエンリコに処女をくれてやるストーリーですが、何でそんなことをするのか納得できず、いつもは熟女を相手にしているセクシーで男前のChristian Marquand(クリスチャン・マルカン)も据え膳を喰ったこの時ばかりは「こんにゃろめ!」と首を絞めてやろうかと思いました。(映画と現実を混同してはいけませんがそれほど純情可憐なカトリーヌ・スパークでした) 映画の冒頭からべびいどーる風ネグリジェで悶える処女喪失願望の女の子が映し出されます。(パンツまで見えちゃうからドキドキ) フランチェスカは子供っぽいボーイフレンドじゃ物足りないと背伸びして本物の大人の恋を期待したのに。 憧れのエンリコに告白できなくて悩むフランチェスカがジュークボックスからMarino Barreto Junior(マリーノ・バレット・JR)の歌でイタリア語で”さようなら”を意味する”Arrivederci(アリベデルチ)”が切なく流れるのに耳を傾けます。 報われぬ愛に落胆して、あげて良かったのか、悪かったのか、甘酸っぱい初体験の後、さようなら、十代の恋への賛歌、と言うよりも教訓でしょうか。
Arrivederci da Marino Barreto jr. su jukebox – YouTube
Marino Barreto Jr. – Arrivederci – YouTube

アルベルト・ラトゥアーダ監督は1951年にイタリアグラマー女優のSilvana Mangano(シルヴァーナ・マンガーノ)やRaf Vallone(ラフ・ヴァローネ)が出演したAnna(アンナ)や、1957年にジャクリーヌ・ササールがデビューしたGuendalina(芽ばえ)などを監督しています。
☆フランチェスカの憧れを演じたクリスチャン・マルカン、ジゴロのレナートを演じたJean Sorel(ジャン・ソレル)などの写真が見られるI dolci inganni Photos – FILM.TV.IT

I Dolci inganni – Arrivederci
「17才よさようなら 」の主題歌「Arrivederci(アリヴェデルチ)」はヒットパレードにも登場し、切ない歌声に映画のシーンが重なりました。 映画の音楽はイタリアの作曲家のPiero Piccioni(ピエロ・ピッチオーニ)でしたが、使用された”Arrivederci”は1959年頃にUmberto Bindi(ウンベルト・ビンディ)が作曲したそうです。 映画「17才よさようなら」で終盤にジュークボックスから流れてきた”Arrivederci”は当時イタリアで活躍していたキューバ出身でベース奏者からソロのラテン歌手となったDon Marino Barreto Junior(ドン・マリーノ・バレット・ジュニア)の歌だそうですから、私が持っている当時発売されたビクターのEPシングル盤の”Arrivederci(17才よ さようなら)”はサウンドトラック盤ではないのです。 レコードのジャケット画像は映画のワンシーンではなく撮影中にカトリーヌ・スパークが監督のアルベルト・ラトゥアーダと写っている写真からカットしたらしいです。 ちなみにこのEP盤のB面は1961年にLuna Napoletana(夢のナポリターナ)がヒットしたMarino Marini (Marino Marini Ed Il Suo Quartetto マリノ・マリーニ)のWith All My Heartです。 このEP盤で主題歌のアリヴェデルチを歌っているのがイタリアの女性歌手のFlo Sandon’s(フロー・サンダンス又はフロ・サンドンス)となっています。  ウンベルト・ビンディが作曲した”Arrivederci”は1959年のFestival di San Remo(サンレモ音楽祭)でDon Marino Barreto jr.(マリーノ・バッレート)が歌い、同年夏にはイタリア・ヒットパレードの上位にランクしました。 映画で使用された”Marino Barreto jr.(マリーノ・バルレート・ジュニア)”のArrivederciはアルバム「La Magica Atmosfera Di(La Magica Atmosfera Di Marino Barreto JR)」(ASIN: B00018CYJQ)に収録されています。 ちなみに1925年生まれで50年代にイタリアで活躍したマリーノ・バルレートの名前に付けられたDONとはマフィアのドンと同じくスペインから影響を受けた南イタリアでの尊称だそうです。
☆ Arrivederci, dammi la mano e sorridi senza piangere…と歌われるイタリア語の歌詞はArrivederci Lyrics – Enciclopedia musicale e poesie

Flo Sandon’s (1924 – 2006)
Flo Sandonとも表記されるフロー・サンダンスは1953年のサンレモ音楽祭で”Viale d’autunno”という曲で優勝した後、1951年にAlberto Lattuada(アルベルト・ラトゥアーダ)監督のAnna(アンナ)のサウンドトラックで歌ったことから有名になりました。 「アンナ」の音楽はNino Rota(ニーノ・ロータ)でしたが、映画でSilvana Mangano(シルヴァーナ・マンガーノ)がスペイン語で歌い踊って大ヒットした”El negro Zumbon(Anna)”と、後にNat King Cole(ナット・キング・コール)が”Non dimenticar(Don’t forget)”としてレコーディングした”T’ho voluto ben(Non Dimenticar)”などの吹き替えをフロ・サンダンスが担当したそうです。 一方、フロ・サンダンス夫妻は1958年に学生バンドで歌っていたMina(ミーナ)を発掘したといわれています。
☆ちなみに映画で使用されたMarino Barreto Jr.の”Arrivederci”はDon Marino Barreto Jrのアルバム「La Magica Atmosfera Di」(ASIN: B00018CYJQ)に収録されています。

Urlatori alla sbarra (1960)
「17才よさようなら」の主題歌であるセンチメンタルな”Arrivederci(アリヴェデルチ)”は、1956年にサンレモのジャズ・フェスティバルにも出演したジャズトランペット奏者のChet Baker(チェット・ベイカー)が1960年に出演した日本未公開のイタリア青春映画”Urlatori alla sbarra(Howlers at the bar)”で歌っています。 Mina(ミーナ)の他イタリアの若手歌手がたくさん出演するミュージック映画「Urlatori alla sbarra」には「The Pink Panther(暗闇でドッキリ)」のElke Sommer(エルケ・ソマー又はエルケ・ゾマー、もしくはエルケ・ゾンマー)も出演しています。

Catherine Spaak in I Dolci inganni (1960)
Catherine Spaakpg in I Dolci inganni

Diciottenni al sole & La Voglia matta (1962)
英語のタイトルが「Eighteen in the Sun」という「太陽の下の18才」と「狂ったバカンス」はメランコリックな白黒映画「17才よさようなら」でブレイクしたカトリーヌ・スパークがはじけ飛んだ愉快な夏の青春映画です。 原題のイタリア語では「La Voglia matta」という映画は「狂ったバカンス」の他にも「遊んだだけよ」という邦題で表記されることもあるそうです。(個人的には何の感銘も受けません)  カラフル、カラフル! 当時この2本の映画を観ない若者はいなかったのでは?というくらい流行った「太陽の下の18歳」と「狂ったバカンス」は両方とも音楽がエンニオ・モリコーネですが、Gianni Morandi(ジャンニ・モランディ)が歌う「太陽の下の18歳」のテーマ曲の”Go-Kart(サンライト・ツイスト)”やJimmy Fontana & Gianni Mecciaの”Twist n. 9″、そして「狂ったバカンス」の音楽もヒットパレードで上位をしめ、「太陽の下の18歳」と「狂ったバカンス」はの前作「17才よさようなら」を観ていない人も劇場に押しかけたほどのブームでした。 オリジナルのGianni Morandi(ジャンニ・モランディ)のイタリア語と合わせて日本版ゴーカート・ツィスト(サンライト・ツイスト?)が巷に流れていました。 ”♪ まわれ、まわれ 可愛いゴーカート。 走れ、走れ あたしのゴーカート ♪” 当時は私もゴーカートに乗りに行ったほどゴーカートが流行りました。 この「太陽の下の18歳」と「狂ったバカンス」のヒットによりカトリーヌ・スパークは日本でも不動の人気を獲得し、私はこのイタリア映画の3作品でフランス女優のカトリーヌ・スパークを十分に堪能しました。 「狂ったバカンス」の終盤では若者に翻弄されまくりのウーゴ・トニャッツィをインディアンの酋長に見立てて若者が騒ぐシーンでブリジット・バルドー傘下の”Brigitte Bardot Bardot!”が流れました。(サントラには収録されてない)
Diciottenni al sole – Jimmy Fontana – Twist n. 9 – YouTube
Catherine Spaak in Eighteen in the Sun Trailer (1962) – YouTube

Diciottenni al sole
太陽の下の18歳」は1960年にMarie Laforet(マリー・ラフォレ)が主演したフランス映画の「Saint-Tropez Blues(赤と青のブルース)」に続く大人気となったイタリアのバカンス映画です。
「太陽の下の18歳」と「狂ったバカンス」の両方に出演しているのがデビューしたばかりのイタリア俳優のGianni Garko(ジャンニ・ガルコ)で1969年にナポレオン側近のドルーオ将軍を演じた歴史劇「Waterloo(ワーテルロー)」や「生血を吸う女」のジョルジョ・フェローニが監督した1972年の怪奇ホラー映画「La notte dei diavoli(悪魔の微笑み)」では森で吸血鬼一家と出会うニコラ役で主演しています。 カトリーヌ・スパークが演じるニコール・モリノと似た名前のホテルの宿泊者のニコラ・モリノの役です。 その他は知られていない若手がわんさかなのでカトリーヌ・スパークはいやでも目立ちます。 こちらも「狂ったバカンス」にも出演している当時22歳のイタリア俳優のFabrizio Capucci(ファブリツィオ・カプッチ)が登場します。 当時のニュースによると、イタリアのファッションデザイナーであるRoberto Capucci(ロベルト・カプッチ)の弟で俳優のファブリツィオ・カプッチはパリでの撮影中に18歳のカトリーヌ・スパークと出会って1963年に電撃結婚して子供(Sabrina Capucci)が生まれましたが離婚したそうです。(データでは6年ほどの結婚歴、カトリックだったのか出来ちゃった婚?) この後1968年に、カトリーヌ・スパークはAntonello Falqui(アントネッロ・ファルクィ)監督のミュージカルテレビドラマ「La vedova allegra(陽気な未亡人)」でイタリア俳優でカンツォーネ歌手のJohnny Dorelli(ジョニー・ドレッリ/本名はGiorgio Guidi)と共演して1972年から1979年まで結婚し、ドレッリの息子(Gabriele Guidi Figlio)を産んだ他にもう二人と結婚しています。
「太陽の下の18歳」のサウンドトラックの音楽はモリコーネ作曲でJimmy Fontana(ジミー・フォンタナ)作詞した”Go-Kart Twist(ゴーカート・ツィスト/サンライト・ツイスト)”でGianni Morandi(ジャンニ・モランディ)がデビューし日本でもゴーカートが流行りました。 ジミー・フォンタナが歌った”Twist No.9″もエンニオ・モリコーネの作曲です。
☆”E gira e gira e vai, E non fermarti mai… “と歌われたジャンニ・モランディの”Go-Kart Twist”の歌詞はGo-Kart Twist – Lyrics Mania
「太陽の下の18才」や「狂ったバカンス」のサウンドトラックは見つかりませんが、1960年代に日本で流行ったポップスのコンピレーション・アルバムの「ベスト・オブ・S盤アワー60s 」(ASIN: B00009V9KZ)にジミー・フォンタナの「Twist No.9(太陽の下の18才)」とジャンニ・モランディの「Go-Kart Twist(サンライト・ツイスト)」が収録されている他、エニオ・モリコーネの10枚組CD「クロニクル」(ASIN: B00004SYPP)には「太陽の下の18才」と「狂ったバカンス」からサントラで使用された曲やカトリーヌ・スパーク、ジャンニ・モランディ、ジミー・フォンタナなどの曲がたくさん収録されています。 在庫切れの場合は2枚組CDの「ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・エンニオ・モリコーネ」に「太陽の下の18才」のサンライト・ツイスト、Tony Del Monaco(トニー・デル・モナコ)が歌う「狂ったバカンス」の”La tua stagione(あなたの季節)”が収録されています。
「サンライトツイスト」が収録されているカンツォーネのコンピレーションCDの「愛のカンツォーネ50」は全曲試聴できます。
☆2010年に発売になったのDVDは「太陽の下の18歳」が見つかりますが、なぜか「 17才よさようなら」はVHSビデオすら販売されていません。

Gli italiani e le vacanze (1963)
イタリア人は夏に不要の家財を質に入れてもバカンスを楽しむ! 質草の無い人は窓を閉め切ってバカンスに行っているふりをする。
ベネチア、サンレモ、シシリア、カプリ!
ジャンニ・モランディが1963年に出演した映画でイタリア観光映画的「Gli italiani e le vacanze(太陽のバカンス)」はバカンスつながりで「狂ったバカンス」と混同してしまいそうですが、「太陽のバカンス」のサントラは音楽がマリオ・カンティーニで、14曲のカンツォーネを使用し、ジミー・フォンタナをはじめ「Il Rossetto(くち紅)」の主題歌を歌ったMiranda Martino(ミランダ・マルティーノ)など若手歌手を動員しているより音楽的な映画です。
Quand dinsch L’estate /Pinne, fucile ed occhiali
VICTOR ss – 1441

Con le pinne fucile ed occhiali私の持っている「太陽のバカンス」のサントラです。 ”Quand dinsch L’estate(ひと夏の恋)”は映画のラスト近くのレストランのシーンで登場する女性歌手のLosy(ロズィー)が歌う”Quand dinsch L’estate”ですが、イタリア語の意味は”夏が終わる時”という意味の甘くせつない夏の恋を歌った曲です。 コンクールでの優勝から1958年にイタリアRCA専属になり、新星といわれながら短命であったRosanna “Rosy” Negri(ロズィー)は23歳の1964年にシングルでAnna Maria(アンナ・マリア)の”Il Segreto(ひみつ)”のB面の”Minuetto Twist(メヌエット・ツイスト)”が知られています。
(クリックで画像拡大可)
「太陽のバカンス」のサントラのB面はコミカルな”Con le pinne fucile ed occhiali(水中メガネと鉄砲と水かき)”という曲で、「太陽の下の18歳」ではカトリーヌ・スパークがおどけて水中メガネをかけたシーンで流れました。 歌っているのは1963年のイタリア映画「Sedotta e abbandonata(誘惑されて棄てられて)」でトランジスタラジオから流れたツイスト曲の”Guarda come dondolo”でお馴染みのEdoardo Vianello(エドアルド・ヴィアンエルロ)というイタリアの当時若手歌手です。(ちなみにCarlo Rustichelli作曲のテーマソングのL’onuri Di L’Ascaluniを歌ったのはPino Ferrara)
Edoardo Vianello – Pinne, fucile ed occhiali in Gli italiani e le vacanze – YouTube

La Voglia matta
ビデオの日本語タイトルが「遊んだだけよ」というのでしょうか、「狂ったバカンス」とダブって映画サイトのデータベースにリストアップされています。 「狂ったバカンス」が日本での映画デビューだったUgo Tognazzi(ウーゴ・トニャッツィ)が主演した映画で、バカンス中の若者たちの親父狩りの餌食となった男が年甲斐も無くその仲間の若いカトリーヌ・スパークに夢中になってしまうというストーリーです。 おじん転がしにあった中年男の悲哀を描いた人類学的な人間(男)の考察映画です。 いえ、カトリーヌ・スパークを鑑賞する映画といってもいいです。 他の出演者は歌手のジミー・フォンタナ、「太陽の下の18才」にも出演しているジャンニ・ガルコとファブリツィオ・カプッチです。
「狂ったバカンス」のサントラはMina(ミーナ)の”Due notte”や、Miguel Gustavo(ミゲル・グスターヴォ)が作曲したベベ賛歌の”Brigitte Bardot(ブリジット・バルドー)”が使用されたそうですが私が持っている”Brigitte Bardot”はサントラではなく賑やかなコーラス入りのLuis Ferreira(ルイス・フェレイラ)楽団の演奏です。 60年代に新カンツォーネの創始者といわれるGino Paoli(ジーノ・パオリ)がイタリアン・ポップス界のベテラン女性歌手のOrnella Vanoni(オルネラ・ヴァローニ又はオルネッラ・ヴァノーニ)に捧げた”Senza fine(恋に終わりなく)”や”Sapore di sale(恋は塩味)”が有名ですが、そのジーノ・パオリが歌う”Sassi(サッシ)”も使用されたそうです。
☆「狂ったバカンス」の日本語字幕版DVDとVHSは現在でも入手可能です。

Ugo Tognazzi
ウーゴ・トニャッツィはAlberto Bevilacqua(アルベルト・ベヴィラックァ)監督自身が書いた同名小説の後半を映画化した1970年の「La Califfa」(Ennio Morricone(エニオ・モリコーネ)のサントラが印象的な社会派ドラマ)でRomy Schneider(ロミー・シュナイダー)と共演した後、Edouard MolinaroLa(エドゥアール・モリナロ)監督のゲイ・コメディ映画である1978年のCage aux Folles(Mr.レディ Mr.マダム)が有名です。 1963年にフランスのタイトルは「Le lit conjugal」という「L’Ape regina(女王蜂)」で哀れな雄蜂のアルフォンソとしてフランス女優のMarina Vlady(マリナ・ヴラディ)と共演しました。 マリナ・ヴラディはギャング役で名高いRobert Hossein(ロベール・オッセン)と結婚していた時期にフレンチノワール(フィルム・ノワール)にも出演しましたが、この「女王蜂」でカンヌ主演女優賞を獲得しました。 これ以前には「女王蜂」とはまったく趣の違う「La Sorcière(野性の誘惑)」で1959年の「Green Mansions(緑の館)」のAudrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)風な森の妖精を演じています。
AlFonso Al Cimitero / Tango Hawaiano – Seven Seas HIT-84
左の画像は私が持っている「女王蜂」のEP盤サントラです。 「女王蜂」の音楽はTeo Usuelli(テオ・ウスエリ)で、オープニングとエンディングで流れる哀愁のタンゴ曲が魅力です。
蜂の世界を人間に当てはめた「女王蜂」はその当時は問題シーンを編集してやっと公開に漕ぎ着けたという過激な映画で、念願の子供を身篭った時には夫は昇天してしまいます。(タンゴは下記のビデオの最後)
Marina Vlady and Ugo Tognazzi in L’Ape regina – AlFonso Al Cimitero Theme – YouTube

La Noia (1963)
カトリーヌ・スパークが出演した映画はこれだけじゃありません。 この映画はカトリーヌ・スパークの小悪魔的な魅力を堪能できますが主役は富豪の馬鹿息子で一人の青年が成長する過程を描いています。
1963年には17歳のモデルのセシリア役を演じたカトリーヌ・スパークがドイツの貴公子と呼ばれたHorst Buchholz(ホルスト・ブッフホルツ)を虜にし破滅させたLa Noia(L’Erotisme 禁じられた抱擁)があります。  驚いたことにホルスト・ブッフホルツが演じた描くものがないという画家で何事にも興味が持てない放蕩息子のディノガが嫌う富豪の母親はアメリカから来た伯爵夫人という設定でBette Davis(ベティ・デイヴィス)でした。 老画家の死後にディノと交際するが妻子持ちのハンサムとも関係を持ち富豪のディノとは結婚しないという自由奔放な女の子が主人公のこの映画はイタリアの作家のAlberto Moravia(アルベルト・モラヴィア)が1960年に書いた超ベストセラーの「La Noia(倦怠)」を映画化した作品で、私の好きな映画の1本である1960年の「Il Rossetto(くち紅)」を監督したDamiano Damiani(ダミアーノ・ダミアーニ)が脚本にも参加しています。 ディノ(ホルスト・ブッフホルツ)は富豪とでも結婚はしないと貢いでいるハンサムボーイとカプリ島に行くセシリア(カトリーヌ・スパーク)に嫉妬して大金を母親の金庫から持ち出し大きなイタリア札(リラ)で彼女の裸体を覆うシーンは圧巻です。(小さな日本円じゃ覆いきれない)
Catherine Spaak & Horst Buchholz in La Noia – YouTube
egli mette Lire per il suo corpo nudo in La Noia – YouTube

Horst Buchholz
「禁じられた抱擁」では坊ちゃん画家を演じたホルスト・ブッフホルツは1982年にValérie Kaprisky(ヴァレリー・カプリスキー)がデビューした「Aphrodite(聖女アフロディーテ)」などに出演していますが、なんといっても音楽をBernhard Eichhorn(ベルンハルト・ウィルヘルム)が担当した1957年の「Monpti(モンプチ わたしの可愛い人)」で一躍世界中で人気者となりました。 その後は1960年の「The Magnificent Seven(荒野の七人)」と、「パリのアメリカ人」のLeslie Caron(レスリー・キャロン)と共演した1961年の「Fanny(ファニー)」などが評判です。
☆ちなみに小説家のアルベルト・モラヴィアというと、映画化された作品は1960年にブリジット・バルドーが出演した「Le mepris(軽蔑)」をジャン=リュック・ゴダールが監督した他、Sophia Loren(ソフィア・ローレン)とJean Paul Belmondo(ジャン・ポール・ベルモンド)が出演した「La Ciociara(ふたりの女)」を1960年にVittorio De Sica(ビットリオ・デ・シーカ)が監督、1954年にはGina Lollobrigida(ジーナ・ロロブリジーダ)が主演した「La Romana(ローマの女)」をLuigi Zampa(ルイジ・ザンパ)が監督しています。

Il sorpasso (1962)
当時はナイーブな青年を演じてひっぱりだこだったJean-Louis Trintignant(ジャン=ルイ・トランティニャン)とカトリーヌ・スパークは「追い越し野郎」(Il sorpasso もしくはThe Easy Life)と1968年の「La Matriarca(女性上位時代)」との2作品で共演しています。 もっとも二人の絡みがあるのは1976年の「Autostop rosso sangue (ヒッチハイク)」を監督したPasquale Festa Campanile(パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ)の「女性上位時代」の方でした。 ちなみにDino Risi(ディノ・リージ)が監督したイタリアン・コメディの「追い越し野郎」は1963年にMauro Morassi(マウロ・モラッシ)監督がディノ・リージと組んだ「Il successo(成功野郎)」が前年の「追い越し野郎」の完結編的続編で、前作のVittorio Gassman(ヴィットリオ・ガスマン)とトランティニャンのコンビにカトリーヌ・スパークではなく1966年に「男と女」でトランティニャンと共演したAnouk Aimée(アヌーク・エーメ)が登場します。
ジャン・ルイ・トランティニャンは1968年に「Caligula(カリギュラ)」で知られたTinto Brass(ティント・ブラス)監督の実験的作品といわれるミステリー映画の「Col cuore in gola(危険な恋人)」に異常性格者の若い女を演じたEwa Aulin(エヴァ・オーリン)と出演していますが、代表作の一つとしては1966年の「Un homme et une femme(男と女)」が人気があります。 私としてはやはりジャン・ルイ・トランティニャンといえば「Estate Violenta(激しい季節)」が一番です。
1959年の「Les Liaisons Dangereuses(危険な関係)」でトランティニャンと共演したAnnette Vadim(アネット・ヴァディム、旧姓アネット・ストロイベルグ)も出演の「追い越し野郎」はイタリアが国をあげてのバカンスの季節、だからって窓を閉め切ってリゾートに行っているフリをしているのではなく、バカンスだというのに法学試験の勉強をしていた真面目で哀れなジャン・ルイ・トランティニャンのお話です。 それまで真面目に暮らしてきた法学生が自分と何の共通点もくない陽気なカーキチ男にドライブに誘われたのが運の尽き。 携帯電話がない時代ですからこんなストーリーが生まれるのですが、アパートの4階にあるジャン・ルイ・トランティニャンの部屋に電話を借りに行く時にカーキチ男が口づさむ歌は上記でも紹介した愉快な”Con le pinne fucile ed occhiali(水中メガネと鉄砲と水かき)”で、よほど気に入っているのか車に乗っている時も歌っています。 1950年に発売されたV6エンジン搭載GTカーのLancia Aurelia B24(ランチア・アウレリア)に乗っているこのカーキチ男は名優のVittorio Gassman(ヴィットリオ・ガスマン)が演じています。 そのスピード好きな男のティーンエイジャーの娘がカトリーヌ・スパークなのです。 それにしても昨今は自動車で音楽を聴くにはiPodやCDプレヤーを使用しますが、この当時は高級スポーツカーだってCDでもなくカセットテープでもなくEPレコードなんです。 さて、哀れなのは勉強をほっぽってバカンスを楽しんだばかりに惨劇に遭ったジャン・ルイ・トランティニャンでした。 そう、助手席は一番危険なのです。 カトリーヌ・スパークが主役じゃないからか、一種のロード&バディムービーの「追い越し野郎」はDino Risi(ディノ・リージ)監督の傑作といわれイタリア映画のカルト・ムービーとなったそうです。 この映画にヒントを得たDennis Hopper(デニス・ホッパー)が1969年にバイク版の「Easy Rider(イージー・ライダー)」を制作したとも云われています。
「追い越し野郎」の音楽は多くのイタリア映画の音楽を担当しているRiz Ortolani(リズ・オルトラーニ)ですが、カトリーヌ・スパークが出演した「太陽の下の18歳」で使用されたEdoardo Vianello(エドアルド・ヴィアンエルロ)が歌う”Con le pinne fucile ed occhiali(水中メガネと鉄砲と水かき)”と”Guarda come dondolo”の他、Peppino Di Capri(ペッピーノ・ディ・カプリ)の歌う”St. Tropez Twist”、Emilio Pericoli(エミリオ・ペリコーリ)が歌う”Quando Quando Quandoist”、Domenico Modugno(ドメニコ・モドゥーニョ)の”Vecchio Frak”、Miranda Martino(ミランダ・マルティーノ)の”Gianni”などが使用されたそうです。
Jean-Louis Trintignant in Il sorpasso – YouTube

La Calda vita (1964)
「追い越し野郎」の英語タイトルの”The Easy Life”に対して”The Warm Life”と付けられた「恋のなぎさ」にもカトリーヌ・スパークと結婚したファブリツィオ・カプッチが出演しています。 美貌のJacques Perrin(ジャック・ペラン)とカトリーヌ・スパークを取り合うも中年男に先を越されて絶望し自殺してしまう若者の役でした。 「恋のなぎさ」で死んでしまったからファブリツィオ・カプッチはこれを最期にもうカトリーヌ・スパークと共演することはありませんでしたが60年代後期までは映画に出演していたようです。
「恋のなぎさ」の音楽は1959年の「Un Maledetto Imbroglio(刑事)」の音楽で有名なCarlo Rustichelli(カルロ・ルスティケリ)が担当しましたが、ルスティケリが作曲した”Non è niente(恋のなぎさ)”や”I giorni azzuri(最後の夏)”をカトリーヌ・スパークが歌っています。
このあたり、1965年頃がカトリーヌ・スパークのピークだったと思いますが、私は「女性上位時代」以降はカトリーヌ・スパークが出演する映画を全く観ていません。 映画に出なくなったとはいえカトリーヌ スパークはテレビの司会などで活躍し、現在でもその美貌が衰えることなく、かえってシックなマダム風で素敵に歳を取った代表的な例です。

Catherine Spaak’s Soundtrack
カトリーヌ・スパークが出演した「恋のなぎさ」や「女性上位時代」の他、Luigi Comencini(ルイジ・コメンチーニ)他3人が監督した3話でカトリーヌ・スパークがそれぞれ違う役を演じた1964年のオムニバス映画の「Tre notti d’amore(愛してご免なさい)」の「La Moglie bambina」編や、日本未公開の1965年の「La bugiarda」、同じく日本未公開の1966年の「Madamigella di Maupin」などのサントラ画像と曲目リストが見られるCatherine Spaak – Italian Soundtracks.com

Catherine Spaak
Catherine Spaak
Catherine Spaak

 

Catherine Spaak canta canzoni
60年代のフランス映画界で活躍し歌もヒットした若手女優のBrigitte Bardot(ブリジット・バルドー)やMarie Laforet(マリー・ラフォレ)に負けじとカトリーヌ・スパークも歌います。 1961年にはジーノ・パオリも歌っているPerdono(許して)をはじめに、Prima di te, dopo di te(恋する思い)、 I giorni azzurri(最後の夏)、音楽がエンニオ・モリコーネの1964年のパオロ・カヴァーラ監督の「I Malamondo(ゼロの世代)」のサントラから編曲した”Penso a Te(あなたを想って)”と”Questi vent’ anni miei(わたしたち20才)”はカトリーヌ・スパークの代表作ともいわれているそうですが1965年頃まで歌手としても活躍していました。

☆このページで使用した画像は全て1960年代に私がスクラップした写真と手持ちのレコードのジャケット画像ですが、肖像権や著作権はそれぞれの被写体と撮影者に帰属するものです。

カトリーヌ・スパーク Catherine Spaak」への2件のフィードバック

  1. ご報告です。
    随分前の記事ですが、カトリーヌに関するモノだったので、御記事をリンクさせていただきました。
    顔立ちは今頃のギャルにも人気の出そうな感じですよね。

  2. koukinobaaba より:

    十瑠さま、リンクをありがとうございます。私が映画館で観たスパークの映画は数本ですがやはり白黒の「17才よさようなら」が一番印象的です。スパークは脱いでもセクシーじゃない点が残念です。お洒落なスパークはTVのインタビュー番組などに最近まで出演していますが、バルドーとは違って美しく年取った女優の一人だと思います。

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