Anthony Perkins and Audrey Hepburn in Green Mansions
Green Mansions 1959年
「緑の館」は南米のヴェネズエラ辺りの奥地(ギアナ)、オリノコ河上流の原住民(インディオ)が住んでいたアマゾンの密林を舞台にしてベネズェラの革命戦争から幻想的なロマンスに発展するファンタジー映画ですが、DVDはリリースされていないしVHSも入手困難です。 この幻の「緑の館」を観るチャンスはなかなか訪れないと思いますが、2006年にNHK-BS2で放映されたそうですから、再びどこかの名画座で放映されるかもしれません。 私は英語が苦手ですが、その私が疑問に思うことは、題名の”Green Mansions”が複数形だということです。 ”Green Mansions”は”大邸宅”という意味がありますが、植物が生い茂り鳥獣たちが放し飼いになっている緑苑という意味なのでしょうか。
「緑の館」の時代は原作では1840年だそうです。 映画の冒頭はなにやら不穏な空気が漂う闇夜、月明かりの下、必死で逃げる男の姿を追う憲兵たちと犬の鳴き声で始まります。 河に潜って通りかかった船に潜んだその男はベネズェラ(Venezuela)の革命戦争を逃がれたAbel(アベル)という23歳の裕福な家庭に育った青年です。 Anthony Perkins(アンソニー・パーキンス)が演じるアベルの父は革命で殺されたそうで、その報復蜂起の資金調達のため無謀にも地図にも載っていないギアナのジャングルに埋もれているという噂の金鉱を探しに来たのだそうです。 豹や大蛇も棲む危険がいっぱいのオリノコ河南岸の密林地帯に入って行こうとしますが、調達したボートの漕ぎ手である現地人(土人)は恐怖のために逃げ去ったためアベルは一人で漕がねばなりませんでした。 急流に飲まれて転覆したボートからうまいこと鰐には食われずに泳いで岸にたどり着いたアベルでしたが赤フンの現地人(インディオ)に拉致され仕留められた豹と共に部落へ連行されます。 酋長(早川雪舟)の命令で炎天下に延々と自己紹介をさせられ、もう駄目かと思ったところに言葉の通じるKua-Ko(クアコ)という酋長の甥が現れてようやく命拾いします。 このクアコを演じているのがOcean’s Eleven(オーシャンと十一人の仲間)でギャングの手下のロジャー・コーニルやJohnny Cool(ひとりぼっちのギャング)で冷酷な殺し屋を演じたHenry Silva(ヘンリー・シルヴァ)なのです。
インディオの部落でブラブラと時を過ごしていたアベルでしたが、森を守る邪悪なThe Daughter of the Didi(ディディの娘)がいるからと酋長が行くことを禁じる美しい森に興味を持ちます。 アベルは警告を無視して部落の向こうにある禁断の森に入っていったのです。 その森では今まで見たこともないようなエキゾティックな動植物に驚き夢心地のアベルでした。 そんなアベルをを見ていたのが小鳥の鳴き声を出せる森の妖精です。 アベルは得も言われぬほど美しい鳴き声を辿っていき、ふと湧き水を覗くとその中に少女の姿が見えたような気がしました。 しかしそれ以上は何も見つけられず、森から出てきたところをクアコに見られてしまいます。 酋長のお気に入りだったクアコの兄のピアケーがある日獲物を取りに森に入ったところ森を守るために狩りを邪魔する魔女に殺されたのだとか。 それでアベルは試練としてディディの娘と呼ばれるその白人の少女を殺すように命じられるのです。 Didi(ディディ)とはベネズエラやギアナの森の戦いの神とも云われる伝説の猿人だとか。(ヒマラヤなら雪男のたぐいでしょうか) なぜリーマが魔女扱いかというとリーマが森の動物を守ってインディオの狩りの獲物にならないようにしていることと、偶然インディオの射った矢が間違って仲間を殺してしまったことがあったからです。
左の画像は私の好きな山梔子(くちなし)の花ですがハタはこのような白い花らしいです。
腰まで届く長い黒髪、細身の身体にまとった蜘蛛の糸で織ったアースカラーのチュニックを着た少女、自然環境保護の精神を宿したベジタリアンの少女、鳥や動物を友として会話でき小鳥のように囀ることができる少女、木の上を裸足で超スピードで駆け抜けることができる、そんな少女をやっと見つけたアベルでしたが、毒蛇にかまれて気絶してしまいます。
2日後にアベルが気が付いた所はAudrey Hepburn(オードリー・ヘプバーン)が演じるRima(リーマ)という17歳の少女とNuflo(ヌーフロ)というお爺さんが住む小屋でした。 足の傷も癒えたアベルはリーマと森を散策して岩場に咲く造花にも見える梔子のような美しい白い花(Hata flower)を見つけます。 この世でたった一輪しか咲かないというクチナシに似た幻の花の言い伝えを話すリーマ。 この花を森で見つけた者は全ての敵を征服し全ての願望を達成し誰よりも長生きするであろうというインディオ伝説があるそうです。 不透明でぶ厚いのにまるで水晶のような輝きを持つ花びらのこの大輪の花は今咲いたばかりのように新鮮で時が経っても萎れることもありません。 アベルは次第にリーマを愛するようになるのですが、リーマは恋とは何かを知らない環境に育ちました。 それでもアベルに対する奇妙な感情の芽生えに戸惑いをみせます。 アベルはリーマの出生の秘密を知りたいと思うのですがヌーフロ爺は口を閉ざします。
この後のシーンで小屋の外で夜にアベルがギターの弾き語りで”They say that the love is a fragile thing …(恋ははかないものと云われるけれど)”と歌ったのがBronislau Kaper(ブロニスロー・ケイパー)が作曲した”Song of Green Mansions(緑の館のテーマ曲)”でした。
Rima & Abel in Green Mansions – YouTube
Anthony Perkins – Song of Green Mansions – YouTube
Rima and Abel find a Hata Flowe (Green Mansions Trailer) – YouTube
夜にアベルが小屋の外で歌っている時、傍らにやって来たリーマが手にしていた糸巻きにアベルの目は吸い寄せられました。 ヌーフロ爺がリーマにくれたというその糸巻きは黄金製だったのです。 金だっ!とピンときたアベルはお宝の山を知っているらしい老人の後を追跡したのでした。
森から帰ったアベルに酋長は訊ねます。 ディディの娘(リーマ)を殺したか? アベルは毒蛇に噛まれた件を話して実行できなかったことを話します。 するとクラコはミツバチの我慢比べで誰が魔女(リーマ)を殺しに行くか決着をつけるのだと言い出だしたのです。 それを聞いたアベルはこの男が兄のピアケーを殺したのだと確信したのでした(聖書のカインとアベルの物語) このことを酋長に伝えたいが悔しいことに言葉が通じない。 敵対する部族の回し者かはたまた悪魔の仲間かと疑われてアベルは捕虜として縛らわれてしまうのです。 アマゾンのインディオの儀式は大変興味深い。 が、酋長が早川雪舟だから儀式も本物かどうか不明。
縛られた縄をようやく解いたアベルはリーマを殺しに行ったクアコの後を追い、クアコよりも先にリーマの小屋にたどり着いた。 アベルがインディオが殺しに来ると伝えたので、可愛がっていた小鹿を気にしながらも犬だけを連れたリーマとヌーフロ、そしてアベルの3人はカヌーでリーマの母が亡くなったという”Riolama(リオラマ)”の地へと向かいます。 このリオラマはリーマの本当の名前でもあったのです。 3人がカヌーを岸に着けて上陸した所は骸骨や干し首が見える別の部族(首狩り族?)の土地だったらしい。 犬がリーマの手から離れてアルマジロ(tatouay)に向かって吠え立てたのでインディオに見つかってしまいました。 追ってくるインディオから逃れて吊り橋を渡った3人はインディオが渡れないように橋を落として防げたのですが、この地でもリーマの母の手がかりはなかったのです。 洞窟でヌーフロ爺さんは偽善的な過去の出来事を告白をします。 ヌーフロは十数年前に原住民を虐殺して黄金を奪った盗賊の首領だったが、一味は追われて山の洞窟に隠れた。 そこにいたのが小鳥のように話す女で、その女をヌーフロは魂を救ってくれる聖人だと思ったそうだ。 盗賊を抜けたヌーフロはリーマを出産するその女を山から白人のコミュニティに連れていったそうだ。(リーマの父親が誰かは不明、ヌーロフということはないだろうが) 武器を持たない菜食主義の優しい人々は疫病やインディオの襲撃で全滅したそうだ。 その生き残りがリーマだというわけ。 リーマは7歳までは母親と一緒だったとか、母の死後はヌーロフは己の罪を償うためにリーマを育ててきたのだとか。 ようやくリオラマにたどり着いたが、リーマが覚えていた母と遊んだ教会や住居は廃墟となりその跡地でリーマは失望のあまり気絶してしまうのでした。
失神状態から目を覚ましたリーマはアベルへの愛にも目覚めたのです。 リーマはこうなったからにはアベルとの生活を始めようとその準備のために気が急いて二人より早く去って行ったのでした。(なぜ独りで準備せねばならないかは多分リーマの属していた人種の掟だったのかも) 帰る途中でアベルは再びインディオに捕らわれてしまったので、一人で森の小屋に戻ったヌーフロは埋めておいた例の砂金を掘り返します。 外では森に入り込んだクラコの一族が小屋に火を放っています。 アベルより先に小屋に戻ったリーマは燃え尽きた小屋と倒れている瀕死のヌーフロのを見つけたのです。 ヌーロフはリーマにさっき掘り出した金を渡すと息絶えたのでした。 そこにやって来たクラコの一族を見て危険を察知して大木の上に逃れるリーマ。 松明を手に追うインディオたち。 リーマが登った大木の根元に枯れ枝を積み重ねて火をつけるインディオたち。 大掛かりな魔女の火炙りさながらのシーンです。
やっと戻ってきたアベルが最初に見つけたのはリーマが可愛がっていた小鹿の亡骸。 あちらこちらと探し回り以前リーマーを見た湧き水までたどり着いた。 今度水に映ったのはリーマならぬクラコの姿。 「もう魔女はいない」 ここでクラコとアベルの一騎打ち。 普通なら部族の戦いで鍛えたインディオに勝てるはずのない白人のアベルだがリーマを按ずるがゆえ戦い抜いた。 そしてやっと燻っている大木にたどり着いたアベル。 灰以外には何もない。 あまりの悲しみに泣き崩れるアベル、その耳にリーマの美しく囀るような声が聞えた。 あの伝説の花。 ハタと呼ばれるあの白い花を探すアベル。 あった! 以前とは違う場所に。 するとその時、向こうの方に微笑んで手を差し伸べているリーマの姿を見たのでした。
映画のストーリーは小説のラストとは違います。 ”Sin Vos y sin dios y mi.”
Abel collects Rima’s ashes in a pot. Trekking homeward, despondent and hallucinating, Abel is helped by Indians and Christians until he reaches the sea, sane and healthy again. Now an old man, his only ambition is to be buried with Rima’s ashes.
鳥のように木から木へと飛び移れるリーマが本当に死んだのか。 本当にアベルはクラコに勝てたのか。 エンディングは曖昧なので色々と想像できます。
Green Mansions VIDEO
ページトップの画像は日本で販売されている輸入版VHS(英語)ですが現在は入手困難となり、「緑の館」として日本語字幕版のVHS(ASIN: B00005HD32)(ASIN: B00005IKY0)やレーザーディスク(ASIN: B00005L1E9)もあります。 今後DVD化されるかどうかは疑問です。 なぜなら世界的に人気のあるオードリー・ヘプバーンとアンソニー・パーキンスが出演している異色作品ですが、不評を受けて映画ビジネス界から抹殺の憂き目をみているようなのです。 通常はオードリー・ヘプバーンが出演した映画なら数年ごとに新版のDVDがリリースされるはずなのですが。 映画「緑の館」は原作とはちょっと違いますが観ても損はないはず。
Green Mansions SOUNDTRACK
Green Mansions [Original Motion Picture Soundtrack]
1930年代から映画音楽を手掛けているポーランド出身のBronislau Kaper(ブロニスラウ・ケイパー)が作曲した「緑の館」のオリジナル・スコアをCharles Wolcott(チャールズ・ウォルコット)の指揮で演奏されたサウンドトラックです。 オープニングの”Main Title/Chase/River Boat”から”Fire/Dead Fawn”までストーリーを追った全21曲を収録しているサントラは日本でも見つかるかもしれません。(ASIN: B0009UCEZK)
上記の画像は当時MGMからリリースされた国内盤のサントラですが、もうオークションでしか手に入らないでしょう。
試聴はGreen Mansions [Original Motion Picture Soundtrack] – AllMusic.com
Green Mansions BOOK
Green Mansions (Dover Books on Literature and Drama) [ペーパーバック]
映画「緑の館」はイギリスの博物学者として名高い、アルゼンチンで生まれたアメリカ人の作家で鳥類学者でもあるWilliam Henry Hudson(ウィリアム・ヘンリー・ハドソン)の代表作品となった1904年の長篇小説”Green Mansions: A Romance of the Tropical Forest”を元にしています。
日本語版の「緑の館―熱帯林のロマンス (1959年)」は現在品切れなのでリンクは1989年に発売となった英語版になっていますが、他にも「Green Mansions: A Romance of the Tropical Forest (Dover Books on Literature and Drama) (ペーパーバック)というタイトルがあるようです。 ※日本語版では1959年に永井比奈子翻訳の「緑の館―熱帯林のロマンス」(ヴィンテージ価格)が出版されたそうですが、「緑の館―熱帯林のロマンス」がちくま文庫や岩波文庫でも見つかります。
☆英語版ですがイラスト入りで”Green Mansions”がオンラインで読めるGreen Mansions – Ibiblio.org
アメリカでは既に著作権が切れたという”Green Mansions”がオンラインでダウンロードできるらしいGreen Mansions BOOK – Project Gutenberg(注!未確認 私はダウンロードを試していなくて保存方法も分かりませんので分る方限定。ですがRead This Book Onlineもあり)
「緑の館」は公開当時に私は劇場で観たのですがなんとなく期待外れだった映画でした。 現在のようにインターネットで情報を得ることはできない時代だったので、ディズニー映画の御伽の国を想定してオードリー・ヘプバーンがネヴァーランドのティンカーベルにでもなっているのかのように勝手に思い込んでしまったことが原因でした。 アンリ・ルソーの絵のような禁断の森の美しさに比べてヘプバーンがさほどファンタジーのように幻想的な美しさには描かれてはいませんでした。 父の恨みを晴らすための資金調達に伝説まがいの不確実な金鉱を探しにアマゾンの奥地に踏み込むなんて無謀かと思われますから、革命を逃がれた夢想家で冒険好きな若者がアマゾンの奥地を彷徨って熱病に侵されて見た幻覚だと思えば納得できます。 珍しいことに舞台が密林だからか二人とも全編通して同じ服装です。(濡れたり乾いたり) ちなみに1963年に「L’Ape regina(女王蜂)」に出演したMarina Vlady(マリナ・ヴラディ)の1956年の映画「La Sorcière(野性の誘惑)」に大変よく似た映像の設定なので、ひょっとするとメルファラー監督はこの映画にもヒントを得たのではないかと思いました。
※マリナ・ヴラディについてはAudio-Visual Trivia内のカトリーヌ・スパーク Catherine SpaakとRobert Hossein(ロベール・オッセン)
Mel Ferrer
ヒロインの野性の少女を演じたオードリー・ヘップバーンと結婚したメル・ファーラーの監督3作目の、そして最後の監督作品です。 生涯で5度結婚したメル・ファーラーは1954年に舞台のOndine(オンディーヌ)で水の精を演じたオードリー・ヘップバーンと共演して4度目の結婚をしました。(この時、私は何で!と納得できませんでした) ※ちなみに「オンディーヌ」とはJean Giraudoux(ジャン・ジロドゥ)が1939年に書いた戯曲で、日本では1958年に劇団四季が初演したそうですが、私の記憶が正しければ日生劇場で1965年の公演を観ました。 オードリー・ヘップバーンが演じたオンディーヌは加賀まり子でメル・ファーラーが演じたハンスは北大路欣也でした。
メル・ファーラーが妻のオードリー・ヘップバーンを主役に据えて監督した1960年の「緑の館」の後に息子が誕生しましたが、1967年にスリラー映画の「Wait Until Dark(暗くなるまで待って)」でプロデューサーとして共に仕事をしたのを最後に1968年に離婚しています。 オードリー・ヘップバーンは1993年に亡くなりましたがメル・ファーラーの方は2008年に90歳で亡くなりました。
スペインとアイルランドの血をひくインテリでハイソなメル・ファーラーの芸暦は1930年代にブロードウエイのダンサーから始まりましたがそのジャンルは幅広く、天才との評判もありましたが特別に長けた分野がなく器用貧乏だったらしいです。 人種差別を歌ったBillie Holiday(ビリー・ホリデイ)の”Strange Fruit(奇妙な果実)”を下敷きにした女流作家のLillian Smith(リリアン・スミス)の1944年の同名小説をもとにブ1945年のロードウエイの舞台でメル・ファーラーは南部の町医者の息子役で出演しました。 Sidney Poitier(シドニー・ポワチエ)が医師を演じた1967年の「Guess Who’s Coming to Dinner(招かれざる客)」のように当時はご法度の白人と黒人の恋愛をテーマにしている悲劇です。 その延長か1949年にはAlfred L. Werker(アルフレッド・L・ワーカー)監督が実話に基づいて映画化した白黒映画の「Lost Boundaries」で白人として20年間を生きた白い肌の黒人医者のScott Carter(スコット)を演じて注目されました。(メル・ファーラー初の準主役出演映画) 自分では選べないのに肌の色が中途半端だと黒いよりもっとさらなる悲劇が起こったそうです。
この後の1953年にはZsa Zsa Gabor(ザ・ザ・ガボール)も出演した人種差別とは全く無関係のミュージカル映画の「Lili(リリー)」で足の悪い人形遣いを演じていますが、「緑の館」と同じく「リリー」の音楽を担当したブロニスラウ・ケイパーが作った”Hi-Lili, Hi-Lo(ハイ・リリー・ハイ・ロー)”を共演者である「An American In Paris(巴里のアメリカ人)」のLeslie Caron(レスリー・キャロン)と歌いました。(パペットとして) 1952年に発表された”Hi-Lili, Hi-Lo”は映画で使用された他、ロックのGene Vincent(ジーン・ヴィンセント)やThe Everly Brothers(エヴァリー・ブラザーズ)、そして”North Wind(北風)”で有名なカントリー歌手のSlim Whitman(スリム・ホワイトマン)も1963年に歌ったヨーデルを取り入れたカントリー曲です。
このメルヘンチックで心優しい人形遣いにオードリー・ヘプバーンは惚れて結婚したのです。
映画では長身でお洒落なメル・ファーラーがプレイボーイを演じた時にワン、トゥー、ワン、トゥーと踊るシーンが時々取り入れられています。(メルは私生活でもプレイボーイ)
Audrey Hepburn (1929年-1993年)
映画界の妖精として一世を風靡したオードリー・ヘプバーン(又はオードリー・ヘップバーン)はオランダの貴族だった母親とオーストリア系の父親から生まれた混血児だそうで、第二次大戦中はオランダでレジスタンス活動にも参加したことがあったとか。 「Gigi(ジジ)」の大抜擢から「オンディーヌ」で舞台女優として地位を確立、その後の大物監督の映画への出演が続きました。 メル・ファーラーと離婚後に再婚してからは子育てに専念して一時映画界から消えていましたが、晩年は1989年にSteven Spielberg(スティーヴン・スピルバーグ)監督の『Always(オールウェイズ)』が最後の映画出演で以降は引退した後、国際連合児童基金(ユニセフ)の親善大使に就任しました。 1993年に大腸がんで亡くなるまでメディアに取り上げ続けられた世紀の大女優です。 そして花園に住む妖精です。
「緑の館」は1950年代には眩しいくらい輝いていたオードリー・ヘプバーンが1959年の「The Unforgiven(許されざる者)」と「The Nun’s Story(尼僧物語)」という話題作の間に出演したファンタジー映画です。 「燃えよドラゴン」で有名になったJohn Saxon(ジョン・サクソン)がカイオワ族の牧童ジョニー・ポルトガルを演じますが活躍せず仕舞い、登場人物の中では兄妹として育つも恋仲になったバートランカスターとヘプバーンの二人なのか、赤ん坊の出生の真実を隠蔽した母親か、いったい誰が「許されざる者」(許されざること)なのかは議論の余地があるこの映画でヘプバーンは赤ん坊の時にインディアンの居留地から連れ去られたカイオワ族の女レイチェルを演じましたが「緑の館」での森の精より西部劇のインディアン役がミスキャストだったようです。 これらの前に私が映画館で観たオードリー・ヘプバーンの映画は1953年の「Roman Holiday(ローマの休日)」、1954年の「にSabrina(麗しのサブリナ)」、イタリア俳優のVittorio Gassman(ヴィットリオ・ガスマン)がアナトール役で出演した1956年の「War and Peace(戦争と平和)」、ロマンスグレーになったGary Cooper(ゲイリー・クーパー)と共演した1957年の「Love In The Afternoon(昼下りの情事)」、1957年のミュージカル映画「Funny Face(パリの恋人)」といったロマンス映画でした。 1960年以降も1961年のお洒落な「Breakfast at Tiffany’s(ティファニーで朝食を)」や「麗しのサブリナ」のWilliam Holden(ウィリアム・ホールデン)と1963年に再共演したRichard Quine(リチャード・クワイン)監督の「Paris – When it Sizzles(パリで一緒に)」やStanley Donen(スタンリー・ドーネン)が監督したラストで唖然とするミステリー映画「Charade(シャレード)」では笑えるCary Grant(ケイリー・グラント)と共演、サロメみたいに首を取りたいほど憎いエンリー・イギンズ教授に淑女の教育を受ける下町の花売り娘(35歳で19歳の役)を演じた1964年のミュージカル「My Fair Lady(マイ・フェア・レディ)」、1966年の「How to Steal a Million(おしゃれ泥棒)」や1967年の「暗くなるまで待って」までの話題作は全部観ました。 事故で失明した女性が麻薬を隠した人形を探す悪党どもに翻弄される映画ですがなかでも黒めがねのロートを演じたAlan Arkin(アラン・アーキン)が怖かった。
1967年の作品ではStanley Donen(スタンリー・ドーネン)が監督してAlbert Finney(アルバート・フィニー)と共演した倦怠期夫婦のシリアスな愛の物語である「Two for the Road(いつも2人で)」があります。 評判となったHenry Mancini(ヘンリー・マンシーニ)の美しいテーマ曲はPat Metheny(パット・メセニー)とCharlie Haden(チャーリー・ヘイデン)のデュオが映画音楽をカバーした「Beyond the Missouri Sky (Short Stories)」というアルバムに収録しています。
☆私のお気に入りのオードリー・ヘプバーン映画はなんといってもロマンティックな「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」です。 公開当時はお洒落と話題となったので「ティファニーで朝食を」を劇場に観に行きました。 劇中ではヒロインのホリー(ヘプバンが演じるルラメイ)もギターの弾き語りで歌ったヘンリー・マンシーニの”ムーン・リバー”が流れるオープニングでは、タクシーをティファニー宝飾店で降りたヒロインのホリーがショーウィンドウを眺めながらの朝食とやらに、テイクアウトのコーヒーを飲みながらデニッシュを食べるのに手袋をしていたのに驚きました。(赤い気分の時にはタクシーで大好きなティファニーに行く習慣なんだとか) 生きる術として中年男性を念頭に置いている女優の卵兼何でも屋を生業とする奔放な女性という設定はヘプバーンには珍しい役柄です。
Anthony Perkins (1932年-1992年)
愛称は”Tony Perkins(トニー)”と呼ばれたアンソニー・パーキンスは同性愛者の噂があり、どことなく繊細で神経質そうなキャラクターをたくさん演じています。 ハンサムですがなぜか1960年の「Psycho(サイコ)」のようなホラー映画にはまりました。 歌手としては1950年代に自分名義のレコードもリリースしたアンソニー・パーキンスは「緑の館」でも得意の喉を聞かせていますが、1957年に吹き込んだMoon-Light Swim(月影の渚)が空前の大ヒットでした。
☆アンソニー・パーキンスについてもうちょっと詳しくはHot’n Cool内のアンソニー・パーキンス Anthony Perkins
そうだすか~「緑の館」は小学生の頃、少女向けに書かれているものを読みましたが、衝撃的な結末に夜眠れなくなった覚えがあります。
確か彼女は焼き殺されちゃうんですよね。
映画は未見ですが、オードリーは「都会の妖精」のほうが合っているとも、どっかのレビューにありました。
本作のように「自然の世界に生きる妖精のような存在」を演じると、逆に妖精度合いが低くなるんだそうで・・、そのあたり、見て確認したいところですね
anupamさんのおっしゃるオードリー・ヘプバーンは”都会の妖精”とは実に言い得て妙です。オードリーは1954年にメル・ファラーの舞台で水の精のオンディーヌを演じてトニー賞を受賞経緯があるのですが、緑の館を撮影した時には既に30歳でした。
舞踊や舞台ならいざしらず、アニメ以外の実写映画となると難しくてオードリー・ヘプバーン以外にいったいどんな女優が森の妖精にふさわしいのか全く思いつきません。