Frank Sinatra (1915 – 1998)
ボギーからFrank Sinatra(フランク・シナトラ)が引き継いだシナトラ一家はThe RatpakとかThe Rat Pak(ザ・ラット・パック)などと表記されることもあります。 1950年代始めに女性問題でバッシングを受け2年ほどのスランプを経験したシナトラが結成したシナトラ軍団(ラットパック)の50年代から60年代の当初のメンバーはシナトラ親分を中心に、早くからマフィアとは歌手生活を通してお付き合いのあった飲み過ぎのDean Martin(ディーン・マーチン)はJerry Lewis(ジェリー・ルイス)との「底抜けコンビ」から同じイタリア系のシナトラに引き抜かれたと聞いたがマーティン自身が決裂を望んだとか。 黒人だけど芸達者なSammy Davis Jr.(サミー・デイヴィス・ジュニア)はグループになくてはならぬ存在。 ケネディ家と決裂した最期は仲間から外されたが美男子のハリウッドスターでケネディ家と親戚関係だった紳士的なPeter Lawford(ピーター・ローフォード)、そしてコメディアン専門のJoey Bishop(ジョーイ・ビショップ)という五人組が基本でした。 メンバーが歌う曲はまともですが合間には声帯模写や形態模写などの物真似やコント、酔っぱらいのどつき漫才のような悪ふざけも入れて笑いを取るというより三分の一がアドリブで仲間内で楽しんでいるかのようです。 公演によってははマリリン・モンローなどが加わったりとメンバーもその時々色々だったようですがシナトラとマーティンとサミーの3人は外せません。 このラットパックで組んでHollywood(ハリウッド)やLas Vegas(ラスベガス)でブイブイいわせていました、いいえ、Casino Hotel(カジノホテル)やThe Sands(サンズホテル)でショーを公演をしていました。 マフィアの資金源である賭博場に金持ちギャンブラーを呼び込むために。
1939年にHarry James(ハリー・ジェイムス)楽団を振り出しにTommy Dorsey(トミー・ドーシー)楽団などの専属歌手として人気のあったフランク・シナトラは歌だけでなく俳優としても活躍していました。 50年代に入ってからはアイドルとしてキャーキャー言われていたのが女性関係でもブイブイ言わすようになりますがキリキリ舞いさせられたのは大柄な美人女優のAva Gardner(エヴァ・ガードナー)で再婚するに至りましたが、すったもんだの挙句に今度は30歳も年下の子供のようなMia Farrow(ミア・ファロー)と再々婚したのです。 ちなみに歌手として大成したNancy Sinatra(ナンシー・シナトラ)は最初の結婚で生まれた子供でした。 シナトラの結婚は4度ですが交際した女性は数知れず。
1972年の映画「The Godfather(ゴッドファーザー)」でマフィアに育てられた歌手のジョニー ・フォンテーンはシナトラのことだとか言われていて、これが周知の事実とはいえマフィアとシナトラの関係について触れることはタブーでした。 そんなフランク・シナトラが放ったヒット曲も初期のI’ve Got You Under My Skin(あなたはしっかり私のもの)からStrangers in the Night(夜のストレンジャー)など数知れず。 特に大勢の歌手がカバーしたMy Way(マイ・ウェイ)はカラオケなどでも歌えるとあって人気があるようです。
Dean Martin, Frank Sinatra, Sammy Davis Jr. and Peter Lawford, et.al.
ラットパックの始りは1955年のこと、当時ハードボイルド映画で大人気だったボギーことHumphrey Bogart(ハンフリー・ボガート)が夜に飲み歩いたHolmby Hills Rat Pack(仲間)のことでシナトラもそのメンバーの一人だったのです。 ホーンビー・ヒルズというのはロスアンゼルス西方の地域でJudy Garland(ジュディ・ガーランド)などの大スターたちの邸宅があったサンセット大通りの高台に位置する高級住宅地だそうでビバリーヒルズに隣接しています。 1957年のボギーの死後、シナトラがボスとなって結成されたのがシナトラ一家の「ラット・パック」です。 ボガートが57歳で肺がんで亡くなった時ローレン・バコールは33歳でした。 ボギーの死後すぐにシナトラがボギーの奥様までもついでにと頂いちゃうのかと思ったが、事実は以前からバコールの方がプレイボーイのシナトラに惹かれていたのだとか。(ボギーが死ぬ前から関係が?とも噂された)
後々にはMilton Berle(ミルトン・バール)、モモ(マフィア)の招待を拒絶して暴力を振るわれたというShirley MacLaine(シャーリー・マクレーン)だのTony Curtis(トニー・カーティス)だのジュディ・ガーランドの娘のLiza Minnelli(ライザ・ミネリ)が参加したこともあるそうです。
☆1954年にLewis Allen(ルイス・アレン)監督の「Suddenly(三人の狙撃者)」で朝鮮戦争のヴェテランで雇われ殺し屋のJohn Baronを演じているフランク・シナトラですが、シナトラ一家のRat Packには「犯罪者仲間」とか「小悪党」的な意味があるようです。 いうなれば不良グループですね。 又一説には、Ratとはドブネズミのことで、いつも黒いタキシード姿だったから、そう呼ばれたそうです。 ニュアンスとして、日本でもリクルートやサラリーマンの地味な背広姿をそんな風に表現することがありますね。
☆ご注意!Are You A Pack Rat? でのPack Ratというとなんでもしまい込むネズミ、つまり物を捨てられない人になってしまいます。
Frank Sinatra and Billy Ruth
驚いたことに生まれつきシナトラ親分の声にそっくりな物真似歌手のビリー・ルースがいてそっくりさんショーで実演しています。 なにげに顔まで似ています。 ビリーさんはフランク・シナトラの他にもTony Bennett(トニー・ベネット)やNat King Cole(ナット・キング・コール)なども真似るそうです。
Billy Ruth sings Frank Sinatra’s Come Rain or Come Shine – YouTube
参考までに、シナトラ亡き後のラットパックそっくりさんのラスヴェガス・ショーは The Rat Pack – Live from Las Vegas
Ocean’s Eleven – Ocean’s 11(オーシャンと11人の仲間)
2004年に公開されたスティーヴン・ソダーバーグ監督の「オーシャンズ12」は、前作「オーシャンズ11」の続編ですが、共に1960年のLewis Milestone(ルイス・マイルストン)監督の犯罪アクション映画「「Ocean’s Eleven(オーシャンと十一人の仲間)」のリメイクです。 ルイス・マイルストン監督といえば戦時中の反戦映画としてアカデミー賞を受賞した1930年の「All Quiet on the Western Front(西部戦線異状なし)」や1946年にKirk Douglas(カーク・ダグラス)がデビューした「The Strange Love of Martha Ivers(呪いの血)」、そして「西部戦線異状なし」と同じくドイツ人作家のErich Maria Remarque(エリッヒ・マリア・レマルク)の原作を映画化したIngrid Bergman(イングリッド・バーグマン)主演の1948年の「Arch of Triumph(凱旋門)」などが有名です。
砂漠の歓楽街であるラスベガスの当時の雰囲気を最も良く描いたといわれる「オーシャンと11人の仲間」については、ガソリンスタンドで働いていたJack Golden Russell (ジャック・G・ラッセル)という人物が自作の原案を給油している間にシナトラに手渡したのだと伝えられていますが真意のほどは不明です。 この原作が1960年と2001年の「オーシャンズ11」がその後のオーシャン・シリーズの元となっているそうです。 2004年の「オーシャンズ12」と2007年の「オーシャンズ13」はリメイクの続編及び続々編のようです。
主役の元空挺部隊員のDanny Ocean(ダニー・オーシャン)をFrank Sinatra(フランク・シナトラ)が演じています。 軍隊で仕込まれたテクニックを役立てなきゃ損々とダニーが計画したカジノの襲撃に参加するダニーの第二次大戦時の戦友にはその一家のDean Martin(ディーン・マーティン)やSammy Davis Jr.(サミー・ディヴィスJr)などが出演しました。 ラスヴェガスでのショーの出演者が何人も出演しており、ツーカーだったので台本よりアドリブが多かったそうです。 出演者達の夜のヴェガスのショーが終わってから明け方に撮影が行われたそうです。 犯罪映画とはいえかなりコメディ的な要素もあり、黒人のサミー・デイビスみたいにラットパック連中が顔を黒くして変装したり、ラストの護送車に次々と仲間がぶち込まれてくるシーンが笑えます。 その泥棒どものニュースを流したTVはほんもののラスベガス局だったそうです。
☆「悲しみよこんにちは」など映画のタイトルデザインをたくさん手掛けたSaul Bass(ソウル・バス)のタイトルがお洒落な60年の犯罪コメディ、サミーが”Eee-O-11″を歌うシーンも見られる元祖「Ocean’s Eleven(オーシャンと11人の仲間)」のトレーラーはOcean’s Eleven – Turner Classic Movies(画像右のclipとtrailerをクリック)
元祖「オーシャンと11人の仲間」は1943年に話題作「Outlaw(ならず者)」を製作したあの有名な飛行機野郎のHoward Hughes(ハワード・ヒューズ)が買収したので何でもやれたんだとか。(ハワード・ヒューズの伝記映画は「The Aviator(アビエイター)」) ミュージシャンではシナトラとは20年来の付き合いがありミルドレッド・ベイリーの夫君だったシロフォン演奏家のRed Norvo(レッド・ノーヴォ)も出演しているそうですが、1960年当時「The Apartment(アパートの鍵貸します)」を撮影中だったラットパックの友人でもあるシャーリー・マクレーンが酔っ払い女としてカメオ出演しています。
1970年の「Two Mules for Sister Sara(真昼の死闘)」で暴漢に襲われ半裸にされたり若い時はヌードやピンナップなどで結構セクシーだったシャーリー・マクレーンが出演した素晴らしい映画には昇進を餌に上役の浮気場所として自分の部屋を提供せざるを得ないしがない会社員を演じたジャック・レモンと共演した「アパートの鍵貸します」や「あなただけ今晩は」、その他に「愛と喝采の日々」、「ハリーの災難」や「カン カン」などがあります。 日本関連の映画ではフランス俳優のイヴ・モンタンが出演した1962年の「My Geisha(青い目の蝶々さん)」があります。 マクレーンは白塗りに島田の芸者姿で夫役のYves Montand(イヴ・モンタン)や谷洋子などと共演していますが、「ふうらい坊留学記」のミッキー安川もホテルのフロント係で出演していたような。 2週間芸者たちと寝起きを共にして見番で勉強したというマクレーンが胸元を押さえてヒョイト襟を抜く滑稽な仕草を何度もしていますがこれは芸者というよりも品のない遣り手婆さんみたい。 ちなみに「青い目の蝶々さん」を監督したのは撮影の方が多いJack Cardiff(ジャック・カーディフ)で異色の監督作品といえば1974年の「The Mutations(悪魔の植物人間)」があります。 植物と人間の合体実験を試みる教授のストーリーで江戸川乱歩的気味悪さ。 自分の学生達を化け物にしてしまうなんて!
Dean Martin
イタリア移民の子として生まれたディーン・マーティンは60年代にシナトラ一家に入るまではコメディアンのジェリー・ルイスと1947年にお笑いコンビを組んで大活躍し、1949年から1956年の間に16本の映画に出演したほどです。その後も沢山の映画に出演して、John Wayne(ジョン・ウエイン)と共演した1959年の「Rio Bravo(リオ・ブラボー)が有名ですが、シャーリー・マクレーンとは1958年に「Some Came Running(走り来る人々)」でフランク・シナトラと共に共演しています。 1967年には「The Ambushers(サイレンサー第3弾/待伏部隊)」でウイーン出身のグラマー女優Senta Berger(センタ・バーガー)とも共演しました。
Shirley MacLaine and Rat Pack – Some Came Running Trailer – YouTube
Dean Martin – I Love Vegas (Paris) Medley – YouTube
Ocean’s Eleven DVD
シナトラ一家層出演の元祖’60「オーシャンと11人の仲間」(2006年や2007年リリースの日本語字幕版DVDは現在入手困難なのでリンクは2002年版です)
オーシャンと11人の仲間 特別版
「オーシャンと11人の仲間」の2002年リリースの輸入版VHSビデオ
Ocean’s 11 (1960)
Eee-O Eleven: The Best of the Rat Pack
オリジナル「オーシャンと11人の仲間」のサウンドトラックはありませんが、輸入ベスト盤の「Eee-O-11: The Best of the Rat Pack」に何曲か収録されています。
Eee-O-11: The Best of the Rat Pack
試聴はEee-O-11: The Best Of The Rat Pack – CD Universe (必聴は18番の”Sammy Davis, Jr.”が歌う”Eee-O Eleven”)
The Legendary Rat Pack: A Night on the Town
「The Legendary Rat Pack: A Night on the Town」はFrank Sinatra(シナトラ)とSammy Davis Jr(サミー)とDean Martin(ディノ)の歌を38曲収録した2008年発売の3枚組みCD「Night on the Town with the Rat Pack」ライヴ盤になっていますが現在はあまりお目にかかれません。 レトロな1960年代のラスヴェガス、ハイボールを飲み煙草をふかして美女にちょっかいを出しまくってネオン街で豪快に遊び歩いたというクールなラトパックを堪能できるでしょう。 雰囲気を知るには映像(ビデオ)が一番ですが、酒と女、そしてお洒落な歌の数々を聴くことが出来ます。
試聴はNight on the Town with the Rat Pack – AllMusic.com
☆ラトパックの真髄を追求した2006年の2枚組みCD(海外では全60曲を収録した4枚組みもあり)で「Simply Rat Pack」というアルバムがあります。 フランク・シナトラ、ディーン・マーティン、サミー・ディヴィス・ジュニアが盛況時のステージでのライヴとスタジオ録音を集めた全39曲の試聴はSimply Rat Pack – AllMusic.com
Rat Pack Collection
2012年1月発売の輸入盤6枚組CD「Rat Pack Collection」(ASIN: B0002XK528)は格安でザ・ラット・パックの醍醐味を堪能できそうです。
例えばCDの1には1964年のBillboard Top 10 Singlesで8月に大一位となった”Everybody Loves Somebody(誰かが誰かを恋してる)”、Pennies From Heaven、Takes Two To Tango、When You’re Smiling、Bye Bye Blackbird、Rambling Rose、Deep Purpleなどと各CDに有名な全160余曲が収録されています。
The Rat Pack CD
ページトップの画像は18曲を収録した2004年発売の国内盤CDでしたが試聴ができる2010年のMP3ダウンロードアルバムにリンクしてあります。 サミー・ディヴィスの歌は1962年の”You’re Out Of This World”しか収録されてなく、特にラスヴェガスのショーの雰囲気はなくて寄せ集めの感がします。 シナトラの”Stardust”はJo Stafford(ジョー・スタッフォード)を含むPied Pipers(パイド・パイパース)のコーラスとTommy Dorsey(トミー・ドーシー)楽団の演奏での1940年代の録音のようです。 ともかく勢揃いした五人組のラットパックの写真と試聴が聴けます。
☆ショーの雰囲気も楽しめるアルバムとしては、現在は入手不可に近いCDですがラスヴェガスのサンズホテルでのラットパック・ラウヴでの24曲を収録した2001年販売の輸入盤「The Rat Pack: Live at the Sands」(ASIN: B00005RKUM)は主に1960年から1065年のジョークや笑い声の入ったラットパック・トリオの曲が聴けます。
☆他にも、シカゴあたりのクラブで公演したショーから20曲を収録した「The Summit: In Concert」(ASIN: B00000I5FH)は1999年にリリースされましたが現在は入手困難となりました。
the rat pack 10 cd-set
上記の他にもザ・ラット・パックのアルバムには185曲を収録した10枚組ボックスセットの「the rat pack 10 cd-set」(ASIN: B000PWRBR8)が2007年に発売されています。
収録曲目で定番でない曲の抜粋としては、Inka Dinka、Azure、Here Lies Love、Smile, Darn Ya, Smile、Dreamy Blues、Be/Bop The Beguine、No Love, No Nothin’、 Sweetheart Of Sigma Chi、Memory Lane、My Own, My Only, My All、Baby, Obey Me、Tonda Wanda Hoy、Bella Bimba、Night Train To Memphis、Sentimental Baby、Bonnie Nuit、Birth Of The Blues、Hey! Jealous Lover、Tarra, Talarra, Talar、Zing A Zing A Zing Boom、Vieni Suなど。
Sammy Davis, Jr.
ハーレムに生まれたサミー・デイヴィス・ジュニアは黒人の父もプエルトリコ人の母もダンサーでしたが、両親の離婚後は父と3歳からダンスショーのツアーに出ました。 交通事故で左眼を失った頃にユダヤ教に改宗していましたが、1960年にスウェーデン出身の女優のMay Britt(メイ・ブリッド)」と結婚しましたが、サミーの浮気により二人は1968年に離婚しています。
Rat Pack Confidential (Paperback)
ラットパックの大家(?)である俳優で2006年の「The Pink Panther(ピンクパンサー)」などを監督したShawn Levy(ショーン・レヴィ)著のペーパーバック版「ラットパック・コンフィデンシャル」(英語)があります。
Rat Pack Confidential: Frank, Dean, Sammy, Peter, Joey and the Last Great Show Biz Party
中身が覗けるLawrence J. QuirkとWilliam Schoell (著)のThe Rat Pack: The Hey-Hey Days of Frank and the Boys (Hardcover)にはボギーのオリジナル・ラット・パックについても書かれているそうです。
All-Time Greatest Dorsey/Sinatra Hits
フランク・シナトラが芸能界のボスになる以前のアイドル時代にトミー・ドーシー楽団をバックに甘い声で歌う頃のアルバムが私は好きです。 下記はオリジナル録音は1940年という1990年の輸入ベスト盤です。(シリーズは1から4まで)
All-Time Greatest Dorsey/Sinatra Hits, Vol. 1-4
試聴はAll-Time Greatest Dorsey/Sinatra Hits, Vol. 1-4 – AllMusic.com
The Rat Pack DVD
☆現在入手可能なオリジナル・ラット・パックのDVDは2006年発売のカラー国内版「THE RATPACK / Frank Sinatra Dean Martin・Sammy Davis.J. [DVD]」(Rat Pack – Most Famous Hits)があるのですが、字幕版で1時間の白黒映像とカラー映像が収録されているようです。(出演者はFrank Sinatra、Dean Martin、Sammy Davis Jr.、Joey Bishop、Peter Lawfordで、試聴はできませんが曲目リストはRatpack Most Famous Hits – AllMusic.comで見られます) 輸入版だとリージョン1の「The Rat Pack’s Las Vegas」(ASIN: B00008G5ST)があります。 残念ながら全盛期から半世紀経過した現在、本家ラット・パック関連のメディア類はあまり残っていません。
THE RAT PACK 1998
1998年にRob Cohen(ロブ・コーエン)が監督した「The Rat Pack(ラット・パック)」は日本では劇場未公開のHBOテレビ用映画です。 配役としてDon Cheadle(ドン・チードル)のサミー・ディヴィス・ジュニアは納得ですが、ダニー・オーシャンのイタリア系フランク・シナトラを「Goodfellas(グッドフェローズ)」のRay Liotta(レイ・リオッタ)、イタリア系ディーン・マーティンを「Things Change(週末はマフィアと!)」のJoe Mantegna(ジョー・マンテーニャ)、イギリス系のピーター・ローフォードを「5ive Days to Midnight(5デイズ)」のイギリス系Angus Macfadyen(アンガス・マクファーデン)、テレビ番組を持ったコメディアンだったユダヤ系のJoey Bishop(ジョーイ・ビショップ)を「Bandits バンディッツ」のBobby Slayton(ボビー・スレートン)とマフィアに関係した映画の出演者たちが演じているのです。 タイトルにあるケネディ大統領には「The Kennedys of Massachusetts(若き日のJFK)」でケネディ大統領の父親Joseph P. Kennedy(ジョセフ・P・ケネディ)を演じたたWilliam Petersen(ウィリアム・ピーターセン)です。 イタリア系のシナトラ親分といえどもイタリアン・フードは好みじゃないサミー・ディビスJRに扮したドン・チードルは歌声はGunnar Madsenの吹き替えだったそうですが、歌やタップダンスの他、ドラムやトランペットの他にも六連発拳銃の手さばきまで練習したのだそうです。 映画の冒頭からシナトラに扮したリオッタが歌います。 長くて濃いまつ毛の持ち主だが182cmと大柄なリオッタは 1995年の「Nixon(ニクソン)」でニクソンを演じたAnthony Hopkins(アンソニー・ホプキンス)に倣ってシナトラに似せることなくシナトラを表現しました。(それにしてもThe Icemanのような殺し屋の方が適役だが怪傑ゾロはどう?) 次は黒い眼帯をしたサミーに扮したチードルのドラム演奏、続いてトランペットを吹き鳴らし、タップを踏みならし歌う離れ業を演じた後、誇大賛辞でシナトラを舞台に迎えるとサミーの真似のつもりが右に黒眼帯をしたシナトラがこけて笑いを取るシーンです。 それからブロンドのスウェーデン女優のMay Britt(マイ・ブリット、昔はメイ・ブリットと表記)に出会い、シナトラがケネディ上院議員の妹と結婚した英国生まれのピーター・ローフォードと会うシーン。(後にピーターはシナトラと大統領間のパシリに嫌気がさすことに) ケネディ家の兄弟と彼らの愛人だったMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)やシナトラの元カノだったJudith Campbell Exner(ジュディ・キャンベル)をはじめ、Nancy Sinatra(ナンシー・シナトラ)の母親と離婚して数年間結婚したAva Gardner(エヴァ・ガードナー)などの女優などを巻き込んだハリウッド相関図やサミーの形容詞にニグロが付くなどの人種差別をかいま見ることができます。
ケネディ大統領やシカゴマフィアのボス”モモ”ことSalvatore “Sam” Giancanaの情婦でもあったジュディ・キャンベルはJane Birkin(ジェーン・バーキン)の母親のイギリスの舞台女優であるJudith Campbellとは別人でした。 ジョン F ケネディの大統領選挙の票集めに奔走したのにケネディ兄弟の裏切りから暗殺に関与したと云われる(シナトラにもそんな噂が)マフィアMomoとの関係もちょっとは分かるかも。 ジョン・エドガー・フーヴァーが長官だったFBIによる盗聴シーンもあり。 興業とマフィアは切っても切れない繋がりがありシナトラとイタリア系マフィアとの黒い噂は周知の事実だった。 1963年のケネディ大統領暗殺事件の大分前1954年に、にシナトラが大統領狙撃未遂の主犯を演じた映画「Suddenly(三人の狙撃者)」で窓から標的(大統領)を狙う図はヤバかったかも。 Frank Sinatra And Dagmar – Mama Will Bark
ステージ上での酒は本物なのか芝居なのか、観客の中のジョン・F.ケネディを紹介したショーで”Hey There”をジョークを交えてへべれけでラットパックが歌った賑やかなパーフォーマンスで客席を湧かせたシーンだが、これを見ていたマイ・ブリットはサミーが差別的ジョークでからかわれていると抗議するものの、白でも黒でも水玉でもかまわないと結婚する意思表示をする。 この時代には白人のグループに黒人が参加することや異人種間の結婚は難しかったのです。
ラットパックのメンバーの夜の生活ご紹介シーンでは誰かさんはちょっと過激。 「Ocean’s Eleven(オーシャンと11人の仲間 )」の誓いのシーンも再現されています。(下記のサミー・デイヴィス・ジュニアの記事を参照) サンズホテルでのショーに出演する黒人のサミーに抗議するプラカードを掲げた人種差別のデモ隊の前に出ていったサミーが”I’ve Got You Under My Skin”を歌いながらタップダンスをする空想シーン(歌はGunnar Madsenの吹き替え)では背景が「ニッガー!(黒ン坊)」のネオンサイン、当時のことを思うと身につまされます。 シナトラとジョンの豪華ヨットで海上のコンフィデンシャル・トークや大統領兄弟のアイスを食べながらのコンフィデンシャル・トークなどなど、秘密の話しだからどこまで事実かは不明ですがケネディとシナトラが決裂した後にシナトラが歌う”One for My Baby and One More for the Road”(Michael Deesの吹き替え)もラット・パックの魔術が消え去るようでシンミリ。(本物のサミーは元祖コロッケのような物まねが最高) マリリン・モンローの葬儀のニュース映像の後に、”I’ve Got the World On A String”(Michael Dees)が流れてエンディング・クレジット。
実在したラットパックのメンバーは1923年生まれのピーター・ローフォードが61歳で1984年に病死、1925年生まれのサミー・デイヴィス・ジュニアは64歳で1990年に咽喉癌で死亡、1917年生まれのディーン・マーチンは78歳で1995年に死亡(多分飲み過ぎ、じゃなく吸い過ぎ)、1915年生まれのシナトラは82歳で1998年に心臓発作で逝去、ジョーク専門だった1918年生まれのジョーイ・ビショップは一番のご長寿で89歳で2007年に心不全で亡くなりました。
ドン・チードルがサミー・デイヴィスを熱演した1998年のテレビドラマ「ラット・パック/シナトラとJFK(ラット・パック伝説)」は輸入版DVD (リージョン1)しか見つかりません。 暴露本的なこの映画では奔放な夜の私生活も描かれているのでご家族向けではありませんが多彩な芸を見せるドン・チードルが素晴らしい。 チードルとしては珍しくサミーの妻となるメイ・ブリット役のブロンド美人とのベッドシーンがあります。
Rat Pack [DVD] [Import] (1998)
「Iron Man 2(アイアンマン2)」でジェームズ・ローズ空軍中佐を演じるドン・チードルはシナトラ一家のサミー・デイヴィス・ジュニアを演じました。
左がドン・チードルで、右が大御所サミー・デイヴィス・ジュニア
☆片目のサミーについて詳しくはAudio-Visual Trivia内のサミー・デイヴィス・ジュニア Sammy Davis Jr.