Carmen Amaya: The Flamenco Dancer
フラメンコダンサーの”カルメン・アマヤ”(カルメン・アマーヤ、カルメン・アマジャ)はスペインのバルセロナ出身のフラメンコのバイラオーラ(踊り手)でありカンタオーラ(歌い手)でもあります。 フラメンコ・ギター奏者を父に、フラメンコダンサーを姉妹に持つカルメン・アマヤは子供の頃から踊り始め、独学で極めたフラメンコダンスの他にも、Fandango(ファンダンゴ)も踊りました。
※ファンダンゴとはスペインの近年の主要なダンスで特徴としてはカップルで踊る宴会踊り(フォークダンス)のことだそうです。 カルメン・アマヤのファンダンゴはカスタネットの打ち音、指のスナップと足踏みでゆっくりと始まり徐々に早くなるという”3拍子”のダンスです。
雌豹のような顔つきのカルメン・アマヤは7cmもの高いヒールのダンスシューズで眼にも留まらぬ速さで激しくステップを踏み、炎のように情熱的にジプシーダンスを踊ります。 カルメン・アマヤは1920年代にスペインのマドリッドの劇場でジプシーダンスを踊り活躍していましたが、1936年に始まったスペインの内乱(市民戦争)時代にフラメンコのギタリストのサビーカスと共に欧州から南米に渡り、1941年からはニューヨークで活動しましたが1947年には名声と共に故郷のスペインに戻っています。
ダンスに一生を捧げたカルメンは結婚もせず、よって子供もいません。 しかし姪の子供である姪孫(又姪)のKarime Amay(カリメ・アマヤ)がフラメンコダンサーとして活躍し2013年にカルメン・アマヤの死から50周年を記念する年の公式式典を行ったそうです。
Gypsy Dance on Tambourine from La reina del embrujo gitano: Carmen Amaya with Sabicas – YouTube
Carmen Amaya Furia y Temperamento – YouTube
カルメン・アマヤの”Carmen(カルメン)”という名前は芸名でスペインではカルロスと同じようによくある女性名だそうです。 1845年にフランスの作家であるProsper Mérimée(プロスペル・メリメ)がカルメンという名前の情熱的なジプシー女を題材に小説を書いたことからファムファタルのイメージが定着しました。 その後1875年にGeorges Bizet(ジョルジュ・ビゼー)がメリメの小説を元に作曲した全4幕のオペラがオペラ座で初演され、アリアでは特に”Habanera(ハバネラ)”が一般にも広く知られています。 ビゼーのカルメンは新しくリリースされたところでは「ビゼー:管弦楽名作集」などに収録されているそうです。
カルメン・アマヤのCD
ページトップの左のCD画像は「La Reina Del Sacromonte」(ASIN: B000058E48)です。
ページトップの右の画像は「La Reina del embrujo gitano」で1941年のニューヨーク・デビュー当時の録音だそうです。
♪ 試聴は類似したCarmen Amaya, Año 1948-50 – レコチョク
Carmen Amaya: Amaya’s & Sabicas
Amaya and Sabicas
ギタリストのJoseとPaco Amayaがアレンジし、2002年に亡くなったグラナダのフラメンコ・ギタリストのJuan Maya Marote(ファン・マヤ・マローテ)などの伴奏で激しい手拍子とアマヤの掛け声の入ったナンバーと、後半は伝説のスペイン・ジプシーのフラメンコ・ギタリストであるSabicas(サビーカス)とのナンバーです。
♪ 「Amaya & Sabicas」の試聴はCarmen la unica – Qobuz.com
Agustín Castellón Campos aka Sabicas
ギターの天才児だったサビーカスはマドリッドなどで活動した後、1936年に始まったスペインの内乱(市民戦争)時代にアマヤと南米に渡り、ジプシー・ギターを芸術の域に発展させた奏法で多くのギタリストに影響を与えました。 その後はニューヨークに渡り60年代にはジャズメンと交流を持ち、生涯をそこで暮らしたそうです。
Carnages Original Soundtrack
スペインの闘牛が題材になっている2002年のDelphine Gleize(デルフィーヌ・グレーズ)監督の映画「Carnages(めざめ)」の音楽はEric Neveux(エリック・ヌヴー)ですがOSTサントラにはカルメン・アマヤが収録されています。
「めざめ」のトレーラーはCarnage Trailer – IMDb
めざめ~オリジナル・サウンドトラック~(CCCD)
Carmen Amaya – Grabaciones Discos Pizarra Ano 1948-50
1948年から1950年までのカルメン・アマヤのレコードのCD化で、Fandangos de Albaicinなどのファンダンゴが収録されています。 Paco Amaya(パコ・アマヤ)とJose Amaya(ホセ・アマヤ)のギター伴奏でカルメン・アマヤが歌っています。
カルメン・アマヤの出演映画
1935年 La Hija de Juan Simón(フアン・シモンの娘)
Carmen Amaya in La Hija de Juan Simón (1935) – YouTube
多くの映画に出演したカルメン・アマヤが初めて主演したのが白黒のスペイン映画「フアン・シモンの娘」だったそうです。
José Luis Sáez de Heredia(ホセ・ルイス・サエル・デ・エレディア)が監督し、監修が日本では1928年の「Un chien andalou(アンダルシアの犬)」以来スペインの代表的映画監督として知られるLuis Buñuel(ルイス・ブニュエル)です。 「アンダルシアの犬」は上映当時かなりの批判を浴びましたが、最も不快な映画とされる1972年の「Pink Flamingos(ピンク・フラミンゴ)」ほどではなかったかも。
1936年 Maria de la O(マリア・デ・ラ・オ)
1930年代にスペインで制作された「Queen of the Gypsies(マリア・デ・ラ・オ)」は1942年にアメリカで公開され、日本では未公開のカルメン・アマヤが主演したスペイン映画です。 Antonio Morenoがアメリカ人の芸術家が久しぶりにスペインに帰ったところ、激しいジプシーの踊り子と遭遇しますが、なんと彼女は彼の実の娘だったのです。 償いのため踊り子をジプシーから見受けしてアメリカに連れ帰った画家でしたが、踊り子はやはりジプシー仲間と一緒の方が幸せなのだと悟ります。
Carmen Amaya in Maria de la O (1939) – YouTube
1942年 Panama Hattie
Ethel Merman、Lena Horne、Nicholas Brothersなどが出演したミュージカル映画で、パナマのナイトクラブのママにはKirk Douglas(カーク・ダグラス)が主演した”Letter to Three Wives”(3人の妻への手紙)で昼メロ放送作家を演じたAnn Sothern(アン・サザーン)です。
VHSはPanama Hattie
1944年 Follow the Boys
1944年にはギャング役で有名なGeorge Raft(ジョージ・ラフト)が主演し、アンドリュース・シスターズなど当時のオールスターを集めた豪華なミュージカル・コメディです。
Carmen Amaya in Follow the Boys (1944)
カルメン・アマヤは自分自身の役で出演していますが、The Andrews Sisters(アンドリュース・シスターズ)をはじめ、Dinah Shore(ダイナ・ショア)やLouis Jordan Orchestra(ルイ・ジョーダン楽団)、Orson Welles(オーソン・ウェルズ)やMarlene Dietrich(マリーネ・デートリッヒ)などの顔が見られます。
「Follow the Boys」のサントラにはダイナ・ショアが歌うJule Styne(ジュール・スタイン)作曲でSammy Cahn(サミー・カーン)作詞の”I’ll Walk Alone”、ルイ・ジョーダン楽団の”Sweet Georgia Brown(スウィート・ジョージア・ブラウン)”などが収録されています。
Follow the Boys/Star Dust/Waterloo Bridge/To Have And Have Not…
上記ともに試聴はなくなりましたが、Follow The Boys / Star Dust / Waterloo Bridge / To Have and Have Not [Soundtrack]ではCDカバー画像が見られ、曲目の詳細が載っています。(1番から19番までが”Follow the Boys”のサウンドトラック)
1945年 See My Lawyer
Ole OlsenとChic Johnsonのボードヴィル・コンビが主演したコメディにThe Nat King Cole Trio(ナット・キング・コール・トリオ)と共にカルメン・アマヤが舞踏団を結成して特別出演したそうです。
1963年 La Historia de Los Tarantos(バルセロナ物語)
カルメン・アマヤが主演した最後の作品は1963年に亡くなる直前の「バルセロナ物語」でGypsy(ジプシー)の情熱と愛憎と悲劇を描いているスペインのジプシー版「ウエストサイド物語」です。 オスカー賞にもスペイン語映画としてノミネートされたらしいですが、日本公開は1964年でした。
Carmen Amaya – Los Tarantos Short Trailer – YouTube
1983年の「カルメン」でDon Jose(ドン・ホセ)を演じたAntonio Gades(アントニオ・ガデス)も出演した「バルセロナ物語」スペイン語版のDVD
Los Tarantos
※Federico Garcia Lorca(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)の1333年の戯曲「Bodas de Sangre(血の婚礼)」などの作品により、アントニオ・ガデス(1936年~2004年)は今世紀のスペイン舞踊界の巨匠といわれています。 本能的な独学のカルメン・アマヤに対してアントニオ・ガデスはあらゆる民族舞踊を学校で学んだダンサーだそうです。
Antonio Gades – Farruca (1969) – YouTube
カルメンの映画
ビゼーのオペラだけでなく世界中でCarmen(カルメン)とDon José(ドン・ホセ)の悲恋物語が映画化されています。 1945年にChristian-Jaque(クリスチャン=ジャック)が監督した「Carmen(カルメン)」ではViviane Romance(ヴィヴィアーヌ・ロマンス)がカルメンをJean Marais(ジャン・マレー)がDon Jose(ドン・ホセ)を演じGeorges Bizet(ビゼー)の音楽を使用したミュージカル映画だったそうです。
映画ポスターが見られるCarmen Posters – Cinemaffiche.com
ジャン・マレーは1946年にJean Cocteau(ジャン・コクトー)の「La Belle et la bête(美女と野獣)」や1949年の「Orphee(オルフェ)」で主演した絶世の美男で、ヴィヴィアーヌ・ロマンスは1936年にJean Gabin(ジャン・ギャバン)主演の「La Belle Equipe(我等の仲間)」に出演した妖艶な美女です。
1948年には”まさにファムファタル”の代表ともいえるRita Hayworth(リタ・ヘイワース)が「The Loves of Carmen(カルメン)」でヒロインのカルメンを演じましたがお相手のDon Jose(ドン・ホセ)にはGilda(ギルダ)と同じく「必殺の一弾」で主演したGlenn Ford(グレン・フォード)でした。(ギルダのファンである私にとってはリタのカルメンはあまり魅力的ではなかった)
ビゼーが作曲した”カルメン”をOscar Hammerstein II(オスカー・ハマースタイン二世)が現代に置き換えたモダンなミュージカルで1954年にOtto Preminger(オットー・プレミンジャー)が監督したCarmen Jones(カルメン)があります。
※タイトルデザインは当時人気のデザイナーのソウル・バスが担当しました。 1959年にPorgy & Bess(ポギーとベス)が大当たりするDorothy Dandridge(ドロシー・ダンドリッジ)がOtto Preminger(オットー・プレミンジャー)監督の映画でCarmen Jones(カルメン)を演じました。 Saul Bass(ソウル・バス)のタイトルデザイン・デビューでもある1954年の映画「Carmen Jones(カルメン)」が日本デビューとなったカリプソ歌手のHarry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)のJoe(ドン・ホセ)がアメリカ式に展開する黒人だけで演じたミュージカルの歌詞は1954年のThe Last Time I Saw Paris(雨の朝パリに死す)でもお馴染みのOscar Hammerstein II (オスカー・ハマーシュタイン二世)が書き下ろしたそうです。
Carlos Saura(カルロス・サウラ)が監督、「血と婚礼」のAntonio Gades(アントニオ・ガデス)が主演した1983年のスペイン映画「Carmen(カルメン)」はフラメンコ・ミュージカルです。 出演したPaco de Lucia(パコ・デ・ルシア)は音楽を担当して英国アカデミー賞で作曲賞を受賞しました。 同年、アントニオ・ガデスが振り付けを担当し、Julia Migenes-Johnson(ジュリオ・ミゲネス・ジョンソン)とプラシド・ドミンゴが主演した「Carmen (1984)(カルメン)」のサウンドトラックが評判だそうです。 カルロス・サウラはこの後、ダンスと音楽をテーマにした映画にはパコ・デ・ルシアが主演した1995年の「Flamenco(フラメンコ)」や2001年の「Salome(サロメ)」などを監督し、2010年の「Flamenco, Flamenco(フラメンコ・フラメンコ)」は日本でも2012年に公開されます。
Gypsy(ジプシー)
ロマを指すGypsyという語は英語で、スペイン語ではGitano、フランス語ではGitanとかBohémien、ドイツ語ではZigeunerというのだそうです。
ジプシーを意味する”una Gitana”は女性形ですが男性形のun Gitano”はヒタノと発音するそうで、Gitaneriasはジプシーの集団を意味するそうです。 ジプシー達は自分たちをRoma(ロマ)と呼んでいます。 フラメンコという言葉はヒタノと同意語でスパニッシュ・ロマの隠語だとか。 フラメンコの重要な要素はCante(カンテ)という歌ですが、初期のフラメンコは歌とPalmas(パルマス)と呼ばれる手拍子や打楽器代わりの拳固だけだったそうです。
王国の滅亡とともに迫害に合い世界中に散っていったユダヤ民族と同じく、ジプシーの民は800年~900年頃にインドのプンジャブ地方からの大脱出が起源だそうで、インドのカースト制度でのUntouchable(最下層階級の不可触賤民)ではなかろうかといわれています。 彼らは屠畜、占い師、金属細工師、楽器演奏、踊り子、曲芸師などから成り立っているRoman( ロマ民族)と呼ばれる放浪の民だそうです。 ジブラルタル海峡を渡ってインドからトルコやロシア、そしてスペインのアンダルシアに辿り着いたグループもありましたが、最も古いジプシー音楽の録音は1440年代のパルセロナだったそうです。 当時回教徒が多かったスペインでのアフリカ系(エジプト)の追い返し作戦時代にはスペインのジプシーはゲットーに囲われたこともあったそうですが、1780年代法の改正が行われ、スペインの音楽としてジプシーの芸術性が認められたそうです。 ジプシー人口がユダヤ人ほど多くはないので迫害もホロコーストのようには目立ちませんが、最近ではコソボ戦争で民族浄化の被害に合ったそうです。
※ジプシーについては諸説がありはっきりとは分かりませんが、最近になってGypsy(ジプシー)という言葉は差別用語とみなされ放送禁止用語となっています。 こちらも語弊がありますが、ドロボー、怠惰、不浄などと悪い意味を持つとかエジプトから来た人という意味があるからだそうですが、なぜ「エジプトから来た人」が蔑まされるかというと中東ではGhawazee(ガワージー)と呼ばれる肌(腹)を出して扇情的に踊り、売春も兼ねたエキゾチックな美女のベリーダンス集団が存在していたのだということです。
私は”ジプシー”という言葉は幌馬車の旅、ダンスや音楽、又ジプシー占いの女など小説や歌の歌詞にも出てきますからむしろロマンを感じていたのです。 もともと過剰なほどプライドを持っていたといわれるジプシーですが、中にはシプシーとして差別されることを知ったので逆手に取りねじ込んだなんていうケースもあるそうです。 いったん差別禁止の対象になるとこういった複雑なことが起きるのは世界中どこでも同じで日本でもある団体が強力なのは衆知の事実でしょう。
※”きちがい”をはじめ、反対派団体の圧力により絶版となった絵本「Little Black Sambo(ちびくろサンボ)」やメケメケの歌詞にも出てくる「くろんぼ(黒ん坊)」だとか、「Le Avventure di Pinocchio(ピノキオ)」(1972)に出てくる”びっこ”や”ゐざり”などという言葉に慣れっこの時代に育った私はこの差別用語というのには疑問がたくさんあります。 虎バター使ったホットケーキを食べてみたいな。 そして私は「ババア」を禁止用語に追加してもらいたいです。
ヨーロッパでは15世紀頃からハンガリーやルーマニアでも多くのジプシーが住んでいてジプシー音楽家として活躍しています。 ドイツのクラシック作曲家であるJohannes Brahms(ブラームス)はジプシー音楽に影響を受けてHungarian Dance(ハンガリー舞曲)を、スペインのバイオリン奏者のPablo de Sarasate(サラサーテ)はジプシーのバイオリンをテーマにしたその名も”Gypsy Airs(ロマの旋律)”というZigeunerWeisen(チゴイネルワイゼン)などを作曲しています。 Hungarian Rhapsody (1930) – Franz Liszt 、ビゼーのオペラ「カルメン」から”ジプシーの歌”をもとにしたVladimir Horowitz(ホロヴィッツ)のCarmen Variations(カルメン変奏曲)という曲もあります。
1930年代に”レクオーナ・キューバン・ボーイズ”を結成して南米から欧州まで公演したキューバのクラシック音楽家であるErnesto Lecuona(エルネスト・レクオーナ)が古都のアンダルシアやジプシーなどスペインを想って作曲したピアノのスペイン組曲(Suite Espanola)の”Andalucia(Andaluza /アンダルシア)”、英語のタイトルを”The Breeze And I(そよ風と私)”はという曲はラテンのスタンダードとしてTaboo(タブー)やSiboney(シボネー)そしてMalaguena(マラゲーニャ)などと同じくらい有名です。
10歳でアルバムをリリースしたGitano(ジプシー)のギタリストである日系スペイン人のRayito(Antonio Rayo/ライート)が”Carmen”を演奏しています。
日本の”カルメン”はというと、タイトルが英語で”Carmen Comes Home”、フランス語では”Carmen Revient Au Pays”という1951年のKeisuke Kinoshita(木下惠介)監督の「Karumen kokyo ni kaeru(カルメン故郷に帰る)」があります。 2010年暮れに86歳で亡くなりましたが高峰秀子がリリイ・カルメンというストリッパーを演じ、関口宏の父上の佐野周二や中井貴一の父上の佐田啓二が出演した天然色コメディ映画です。
かって日本にカルメンという名の歌手がいました。 アイルランドとユダヤの血をひくといわれた歌手、その名も”Carmen Maki”(カルメン・マキ)で1969年に”時には母のない子のように(Motherless Child)”が大ヒットしてNHKの紅白歌合戦に出場しました。
サビーカスと違うサビーカやろ
masudaさんのおっしゃるように”Sabicas”のような外国語の名前は最後が発音されないことが多く、原語ではどのように発音されるのかは不明です。
一応検索してどの発音が一般的なのかを調べた結果、”サビーカス”が一番多く表示されたので統一した次第です。