Isadora Duncan: The Mother of Modern Dance (1877-1927)
「モダンダンスの母」と呼ばれた美貌の舞踏家のIsadora Duncan(イサドラ・ダンカン)は又、「裸足のイサドラ」とも呼ばれました。 サンフランシスコに生まれたイサドラ・ダンカンは、1920年代のRoaring Twenty(ローリング20s)よりも早くFlapper(フラッパー)感覚を持ち、イサドラ・ダンカンの斬新な舞踊芸術は世間を仰天させ、そして50歳になるのを待たずして首に巻いた長いスカーフが自動車に巻き込まれたために悲劇的な死を遂げたのです。 それはイサドラ・ダンカンが回想録を書くため滞在していたニースでの予期せぬ出来事でした。 ソビエト帰りのイサドラ・ダンカンのトレードマークが共産主義の象徴でもある赤いスカーフだったのが皮肉です。 事故によるイサドラの死と交換にイサドラの価値が広く一般にも認められ今日までBizarre(ビザール/風変わり)な人生とモダンダンスが語り継がれているのでしょうか。
踊りには全く見識のない私がイサドラ・ダンカンを知ったのがほんの20数年まえのことで、ラジオかテレビのクイズ番組の中に「裸足で踊った舞踏家は誰?」という質問があったからでした。 当時は現在のように便利なインターネットが存在しなかったのでGoogle検索もなく、寝耳に水の私が図書館に飛んでいったのは言うまでもありません。 イサドラ・ダンカンは時代も時代ですから裸足で踊り、さらに衣裳を脱ぎ捨ててのパーフォーマンスではさぞかし風当たりが強かったでしょう。 その頃でも西洋では胸は出しても脚は卑猥な意味合いがあるので剥き出しにはしなかったとか。 イサドラは私生活でも不倫や年齢の差が有り過ぎる若者との結婚など波乱万丈の人生だったようです
日本にも時代の先端をいった芸術家といえば1960年代に水玉のモチーフで有名な前衛アーティストのKusama Yayoi(草間彌生(又は弥生))や1989年のドキュメンタリー映画”Eat the Kimono(着物を食え)”のモデルである舞踊家のHanayagi Genshu(花柳幻舟)などがいました。(2019年77歳で不慮の事故死)
Isadora Danced in Greek tunic
古代ギリシャ文化に感銘を受けたイサドラ・ダンカンは古典的なバレエではなくギリシアの舞踊を理想として即興的なダンスを創作したのです。 それまでのクラシックバレーのトゥシューズとチュチュという衣裳とは全く違うギリシャ風の長いチュニック(トゥニカ)を身に纏い自由な創作舞踊を生み出しモダンダンスのパイオニアとなりました。 裸に近い衣裳を纏ったり、時にはイチジクの葉すら取り去ったりした革命的な踊りがアメリカで酷評を受けたこともありイサドラ・ダンカンは欧羅巴行きを決行しました。
Loie Fuller
渡仏当初は同じくアメリカから来たLoie Fuller(ロイ・フラー)と一緒に仕事をしていました。
Tribute to Loie Fuller’s Serpentine Dance by Lumière Brothers
このビデオは1899年にフランスのLumière Brothersによって撮られ後から一コマづつ色付けされたそうです。
ロイ・フラーはHenri de Toulouse-Lautrec(ロートレック)がポスターに描いたことでも知られていますが、こちらも初期モダンダンスのパイオニアと呼ばれたパロディやボードビルのダンサー(女芸人)でした。 紅白歌合戦の元祖”小林幸子”じゃありませんが、客寄せのために大きなスカートの中でカラー電気を光らせる電気ダンスや、1900年のパリ万博で披露した幾重にもなった絹の衣裳を閃かせるSerpentine Dance(蛇踊り)や、さらに下からライトを当てたガラスの上で踊るFire Dance(火踊り)などというアヴァンギャルドなダンスを考案しました。
※英語本ですがロイ・フラーの表紙絵も中身も覗ける「Electric Salome: Loie Fuller’s Performance of Modernism」という書籍が販売されています。(ISBN-10: 0691141096)
そんな新し者好きな彼の地ではイサドラ・ダンカンは「裸足のダンサー」として好評を博し欧州各国で公演するようになり、大成功したイサドラ・ダンカンは26歳でダンス学校を設立するに至ったのでした。
ヨーロッパ、特にパリにはアメリカ本土を離れて大成功したアメリカ人のダンサーや歌手が何人もいます。 モンパルナス地区の黒人ダンスホールに始まった黒人文化(ジャズ)ですが、20世紀の初めに腰にバナナをぶら下げて半裸で踊り歌ったレビューの女王のJoséphine Baker(ジョセフィン・ベイカー)や終戦後にKatherine Dunham(キャサリン・ダンハム)舞踊団に参加したEartha Kitt(アーサー・キット)の他、40年代から60年代にかけてMiles Davis(マイルス・デイヴィス)はじめ多くの黒人ジャズメンがパリで成功しています。
Isadora Danced to Classic music
イサドラ・ダンカンの母親がピアノ教師をしていたせいか、幼少から音楽はクラシック(古典)を嗜み、シェイクスピアなどの古典文学を愛読して育ちました。そのような環境もありダンスにクラシックを使用しました。 Beethoven(ベートーヴェン)の「第七」、Johannes Brahms(ブラームス)の「第一」などの交響曲、Frederic Chopin(ショパン)の葬送行進曲、J. Strauss(ヨハン・シュトラウス)の美しき青きドナウ、アメリカの作曲家であるEthelbert Nevin(エセルバート・ネヴィン)のWater Scenes、Alexander Scriabin(アレクサンドル・スクリャービン)など。
イサドラ・ダンカンのオフィシャルサイトはThe Isadora Duncan Dance Foundation
Isadora Duncan Photos – YouTube
Isadora Duncan, dancing to the classic music – YouTube
Isadora Duncan American Dancer in a Long Robe Photographic Print
Isadora Duncan: Movement From the Soul
上記はAmazon.comにあるイサドラ・ダンカンのポスター画像です。
ページトップの画像は1989年にDaniel Geller(ダニエル・ゲラー)とDayna Goldfine(デイナ・ゴールドファイン)の共同監督による1時間カラー・ドキュメンタリー「Isadora Duncan」のAmazon.comにあるDVD画像ですが国内で入手できる「Isadora Duncan」のVHSにリンクしています。
ページトップのDVDと同じく。
※”ダニエル・ゲラー&デイナ・ゴールドファイン”のコンビが監督した伝説のロシアのバレエ団「Ballets Russes(バレエ・リュス)」の歴史を描いた2005年の「Ballets Russes(バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び)」が日本では2008年の正月に公開です。
※ちなみにBallet Russe de Monte Carlo(バレエ・リュス)に1935年に入団し終戦後にアメリカ公演をしたGeorge Zoritch(ジョージ・ゾリッチ)が2009年に亡くなりました。 ジョージ・ゾリッチはアメリカでは1946年のCole Porter(コール・ポーター)の伝記映画「Day and Night(夜も昼も)」で映画「バレエ・リュス」でも映像が見られるアメリカのバレーダンサーで女優のMilada Mladova(ミラダ)と華麗なる”Begin The Beguine(ビギン・ザ・ビギン)”を踊りました。
映画「裸足のイサドラ」」の元となったイサドラ・ダンカンによる回想録”My Life(わが生涯)”のペーパーバック版
My Life
日本語の翻訳本はわが生涯 (1975年)
クルツィア フェラーリ (著),小瀬村 幸子(翻訳)の単行本で「美の女神イサドラ・ダンカン」もあります。
古典バレーから解き放ったフリーな舞踊への貢献そのものよりも話題となったイサドラ・ダンカンの自由で奇異な私生活を記述した1993年出版のハードカバー本
The Search for Isadora: The Legend & Legacy of Isadora Duncan
※Amazon.comでは中身が覗けます。
この他、伝記本としては山川 亜希子と山川 紘矢の翻訳による「魂の燃ゆるままに(My Life)」―イサドラ・ダンカン自伝 [単行本](ISBN-10: 4902385015)があります。
Vanessa Redgrave as Isadora Duncan in 1968 “Isadora”
イサドラ・ダンカンの伝記映画
Isadora VHS
映画「裸足のイサドラ」はイサドラ・ダンカンの回想録であるMy Life(わが生涯)とSewell Stokes(シーエル・ストークス)が出版した”Isadora Duncan an Intimate Portrait(イサドラ/愛しき友の肖像)を原作として映画化されたイサドラ・ダンカンの伝記映画です。 チェコスロヴァキア出身のKarel Reisz(カレル・ライス)が監督したイギリス映画で、幼少からバレエを習っていたイギリス女優のVanessa Redgrave(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)がイサドラを演じてカンヌ国際映画祭女優賞を受賞しました。
公開当時日本で発売された「裸足のイサドラ」のオリジナル・サウンドトラックのEP盤はもうありません。
フランスのピアニストでPaul Mauriat(ポール・モーリア)の国内盤CD”男と女~ポール・モーリア・スクリーン・ミュージック・ベスト・セレクション“に哀愁を帯びたテーマ曲”Isadora(裸足のイサドラ)”が収録されています。
この他、ポール・モーリアのLPアルバムに「裸足のイサドラ」というのがあったそうですが、に収録されていた曲は現在、1968年の大ヒット曲の恋はみずいろ、男と女、雨の訪問者、さよならなどを収録したCDのポール・モーリア大全集 ~1998ニュー・エディション [Box set]の一部となっています。
イギリス女優のヴァネッサ・レッドグレーヴは1966年にもカレル・ライス監督の日本未公開作品「Morgan: A Suitable Case for Treatment(モーガン)」でも主演している他、1971年にRoy Battersby(ロイ・バタースビー)監督のドキュメンタリー映画「The Body」でもナレーターとしてFrank Finlay(フランク・フィンレイ)と共に出演しています。 この「The Body(肉体)」は1968年にAnthony Smith(アンソニー・スミス)によって誕生から死までの人体の驚異について書かれたベストセラー本の「The Human Body」をもとにロイ・バタースビー監督が映画化したものでプロデューサーのRoger Waters(ロジャー・ウォーター)が音楽を手掛けPink Floyd(ピンク・フロイド)も参加したサウンドトラックが評判となりました。 「肉体」の他にレッドグレーヴは日本未公開でしたが1970年に「Dropout」と1971年に「La vacanza」とTinto Brass(ティント・ブラス)監督の作品に当時は交際中で後に結婚して子供を産んだことがあったFranco Nero(フランコ・ネロ)と出演しています。 1941年の「The Maltese Falcon(マルタの鷹)」や1942年の「The Glass Key(ガラスの鍵)」などの原作者として知られるミステリ作家のDashiell Hammett(ダシール・ハメット)の恋人だったユダヤ人の戯曲作歌のLillian Hellman(リリアン・ヘルマン)を1977年に演じてゴールデン・グローブの女優賞を獲得したJane Fonda(ジェーン・フォンダ)が主演した「Julia(ジュリア)」でリリアンが病院で合ったのに行方不明となった反ファシスト運動家で幼馴染みのジュリアを演じアカデミー助演賞を受賞しました。(それでかバネッサは反体制闘志としても有名) 監督は「From Here to Eternity(地上(ここ)より永遠に)」や「A Man for All Seasons(わが命つきるとも)」でアカデミーの監督賞を受賞したFred Zinnemann(フレッド・ジンネマン)ですが、カメオで当時新人だったLambert Wilson(ランベール・ウィルソン)とMeryl Streep(メリル・ストリープ)が登場します。 音楽はGeorges Delerue(ジョルジュ・ドルリュー)です。 リリアンが招待されたロシアでの作家の集まりにはベルリンを経由してリリアンの運動資金を運ぶ役目を頼まれ緊張の汽車旅をする。 ベルリンの食堂で会ったジュリアは足が義足で女児がいると言ったがこの後、修復不可能なほど顔までメッタ刺しにされて死亡。 アルザスのパン屋に預けたという女児は見つからなかった。 多くのことが謎のままだったがジュリアはいつまでも鮮明に覚えていた。
「イサドラ」から38年後の2006年に無冠のアイルランド出身の名俳優であるPeter O’Toole(ピーター・オトゥール)と「Venus(ヴィーナス)」で共演したヴァネッサ・レッドグレーヴは実生活でジャンヌ・モロー主演の「Mademoiselle(マドモアゼル)」を監督したTony Richardson(トニー・リチャードソン)との結婚歴がありその娘でLiam Neeson(リーアム・ニーソン)の妻でもあったNatasha Richardson(ナターシャ・リチャードソン)がいました。
ヴァネッサ・レッドグレーヴは2007年にJoe Wright(ジョー・ライト)が監督した英国ロマンス映画の「Atonement(つぐない)」で主役の作家志望の”Briony(ブライオニー)”の晩年の姿を演じます。 想像力豊かな女流作家のタマゴが姉の恋人に横恋慕した挙句、偽証して無実の罪に陥れてしまった結果この3人の運命が変わり、ブライオニーは永遠に恋の成就と贖罪に悩むという贖罪物語だそうです。 そして1937年生まれのヴァネッサ・レッドグレーヴは2011年の「オペラ座の怪人」のGerard Butler(ジェラルド・バトラー)が主演する「Coriolanus(コリオレイナス)」にローマの英雄であるコリオレイナスの母のヴォラムニアの役を74歳にして演じます。
「裸足のイサドラ」の音楽はMaurice Jarre(モーリス・ジャール)ですが、イサドラ・ダンカンの最期に流れるLudwig van Beethoven(ベートーヴェン)のSymphony No.7 in A(交響曲第7番)からアレンジした”Bye Bye Blackbird”を、Pyotr Ilyich Tchaikovsky(チャイコフスキー)のMarche Slave(スラヴ行進曲)からLa Belle Est en ce Jardin D’Amourを、Franz Schubert(シューベルト)のImpromptu in B-flat opus posth. 142(即興曲変ロ短調遺作142)などを使用しているそうです。
Vanessa Redgrave plays “Isadora Duncan” (1968) Karel Reisz – YouTube
映画「裸足のイサドラ」では、アメリカ生まれのイサドラ・ダンカンが英国に渡り見たものは大英博物館のギリシア彫刻でした。 ギリシャ彫刻に見られるチュニックと呼ばれる衣裳は自分のダンスにピッタリだと思ったのでした。 情熱的に舞台で踊る間に、26歳のイサドラは既婚者の舞台芸術家のゴードン・クレイグと恋仲となり子供を産むが破局する。 同じく富豪のParis Singer(パリス・シンガー)の子供を産んでも結婚は望まなかった。 大勢の子供たちにダンスを教える使命を持っていたほどのイサドラに、どうしたことか最愛の二人の子供たちがセーヌ川に転落死してしまう悲劇に見舞われる。 悲嘆に暮れているイサドラにロシアから舞踊の指導者としての招待が来る。 そこでイサドラ同様に波乱の人生を送り、酒乱といわれた当時26歳の革命の農民詩人と呼ばれた”Sergei Aleksandrovich Esenin(セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・エセーニン)”と43歳のイサドラとの狂気の愛が始まる。 ハンサムなエセーニンは5度目の結婚でしたが子持ちのイサドラは結婚としては初めてでした。 結婚したイサドラは二人でアメリカに帰国したものの、まだ保守的だったアメリカでの公演は赤い衣裳を脱ぎ捨てて踊った「解放の踊り」は失笑を買っただけでした。 結婚して数年後の1925年にイサドラに見限られたエセーニンは若干30歳にして自殺してしまいます。 詩人は死に際しても自ずの血をもって最後の詩をしたためたのでした。 そしてその後、イサドラも誰も予期せぬ非業の最期を遂げたのでした。 「チャオ!」と一言残してようやく本当の自由の天地へ飛び立ったようです。
イサドラとエセーニンのツーショット写真が見られるIsadora Duncan and Sergei Esenin Photograph
※「裸足のイサドラ」を監督したカレル・ライスのその他の作品にはAlbert Finney(アルバート・フィニー)が英国アカデミー賞の新人賞を受賞した1960年の「Saturday Night and Sunday Morning(土曜の夜と日曜の朝)」があります。
映画でイサドラ・ダンカンを演じたヴァネッサ・レッドグレーヴはイタリアの監督であるMichelangelo Antonioni(ミケランジェロ・アントニオーニ)の初のイギリス映画で、ブリティッシュ・ロックとロンドン・ファッションを盛り込んだ1966年の不条理劇「Blowup(欲望)」で注目されました。
イサドラの本はS大学在学中の愛読書でした。クラッシックバレエのトゥ・シューズを本当に嫌悪していたようですよね。
ダンスの基本は「波」の動き・・とか書いてました。教え子との写真も御伽噺のように美しかったです。
イサドラとエセーニンのツーショット写真を見ると、ヴァネッサはまさに適役だったことを感じますね。顔、そっくりです!
「anupam」さんはさすがS大ですね。私は本をたくさん読みましたが、青春時代にはイサドラの”イ”の字も知らなかったのです。
「オッパッピー」とか「マッチ持ってる~」なんて言ってないでもっとアカデミックな発言をお願いします。
イサドラ・ダンカンから草間弥生、アーサー・キット、ロイ・フラー、ジョセフィン・ベイカー、花柳幻舟を押さえるとは、凄いですね。
「Bruxelles」さん、まるで連想ゲームみたいでしょう。花柳幻舟事務所からクレームが付いて文言を削除しましたが。
細かいですが「ヴィザール」でなく「ビザール(bizarre)」なのでは?
ご指摘通りにBとVを間違えました。いえ、ブとヴでした。有難うございます。