Marilyn Monroe (1926 – 1962)
♪ マリリン・モンロー賛美 ♪
男性は言うに及ばず、同性でさえ守ってあげたいと思うほど華奢でナイーヴで、頼りなげで、マシュマロのように白くて軟らかそうで美味しそう、じゃなくてセクシー、世界中でこれほど可愛い女はいないと思えるような役を演じている女優のマリリン・モンローです。 誰もモンローを真似することは出来ないし、モンローの再来なんてあり得ないのです。 ある海外の雑誌の今までで最もセクシーな映画スターのリストでは、アメリカ男優のMarlon Brando(マーロン・ブランド)とフランス女優のBrigitte Bardot(ブリジット・バルドー)を押さえてトップに選ばれています。 今現在もなお、モンロー伝説は生き生きと語られ、マリリンモンローの写真や映像はユビキタス、モンローの可愛い歌声も常に私の耳の奥で鳴り続けるのです。 モンローの墓に口紅が一杯付いているという事実は女性にも好かれた証ともいえるでしょう。(同姓かそれともドラァグか?)
Boop-boop-a-doops!
自伝がどう書かれていようが、暴露本にどう書かれていようが、茶髪のNorma Jean(ノーマ・ジーン)ではなく銀幕の中の金髪のマリリン・モンローを私は永遠に愛し続けるでしょう。
Marilyn Monroe Quotes: Everyone’s a star and deserves the right to twinkle.
マリリン・モンローは新婚旅行で来日した時に帝国ホテルでの記者会見で「寝る時はシャネルの5番よ。」と言ったそうですが、それ以外にも数々の名言を残しました。 そのなかに「誰もがスターであり、ひかり輝く権利を持っている。」という言葉がありました。 さて、私がモンローの映画を初めて劇場で見たのが1959年にBilly Wilder(ビリー・ワイルダー)が監督した「Some Like It Hot(お熱いのがお好き)」でした。 この作品はゴールデン・グローブ賞のコメディ/ミュージカル部門でモンローが主演女優賞を受賞しています。 その後、今から30年程前まではよくテレビの名画座などでマリリン・モンローが出演した映画を立て続けに放映していた時期があって全部録画したのですがビデオテープが劣化したと思いちょっと前に廃棄処分しました。 John Huston(ジョン・ヒューストン)が1950年に監督して都会の陰謀を描いたフィルムノワールの「The Asphalt Jungle(アスファルト・ジャングル)」では悪徳弁護士の愛人(映画の中のセリフでは姪)の役でようやく大物監督の作品に出演したマリリン・モンローでしたが、何の因果かモンローの遺作となった1961年の「The Misfits(荒馬と女)」もジョン・ヒューストン監督でした。
1950年にただの顔見せ的な登場をしているような次の作品の「All About Eve(イヴの総て)」は私には実質的にはデビュー作品に思えますが、映画のラストシーンがマリリン・モンローのその後を暗示しているような美貌と肉体を武器にのし上がる新人女優の役でした。
私にはあまり面白い映画ではなかったけれど金髪グラマー・コメディの典型を作り上げたといわれる1952年の「Monkey Business(モンキー・ビジネス)」(意味はヤバイ商売)は後にJayne Mansfield(ジェーン・マンスフィールド)などのブロンド女優によってパロディ化されました。 さらに、お姐さまたちに威力に押されてマリリン・モンローの魅力が十分に発揮できなかったけれど、もっとオバカを演じた1953年の「How To Marry A Millionaire(百万長者と結婚する方法)」ではミュージカル・コメディのタレント性も発揮しました。 「百万長者と結婚する方法」の頃にはマリリン・モンローの知名度が上がり日本でも人気が出ていたのでクレジットでは一番上に表示されていますが、アメリカではなんといってもピンナップガールのナンバーワンだったBetty Grable(ベティ・グレイブル)がトップです。 他のミュージカルコメディの「Gentlemen Prefer Blondes(紳士は金髪がお好き)」では”Bye, Bye, Baby”などを歌って踊って大奮闘しとても可愛かったですが、ダイナミックなJane Russell(ジェーン・ラッセル)姐御に食われた感がありました。 出演料もジェーン・ラッセル姐御が1000万円以上なのにマリリン・モンローはたった200万円ほどだったそうです。
Marilyn Monroe sings “Bye, Bye, Baby” on Jack Benny Show (1953) – YouTube
セクシーな歌の”Kiss(キス)”や腰振りモンローウォークで殿方をしびれさせたことで魅力が爆裂した1953年のスリリングな「Niagara(ナイアガラ)」からは揺るがぬセックス・シンボルの地位を獲得しましたが、このモンローウォークは1957年の「The Prince and the Showgirl(王子と踊り子)」でセルフ・パロディ化されていました。
Niagara (1953)
「ナイアガラ」のちょっとあらすじ
映画のタイトルとなった「ナイアガラ」はカナダのオンタリオ州とアメリカのニューヨーク州との国境となっているようにカナダ滝とアメリカ滝(ブライダルベール滝の小瀑布を含む)からなっている世界三大瀑布のひとつだそうです。 観光的にはカジノや観覧車もあるカナダ側が発展しているとか。
ウィドマーク主演の「死の接吻」やモンローも出演した「人生模様 」のHenry Hathaway(ヘンリー・ハサウェイ)が1953年に監督した「ナイアガラ」の冒頭は煙る飛沫に大きな虹がかかったナイアガラ瀑布。 なぜ朝の5時に滝を見に? もっと時間さえあれば自分のナイアガラのように雄大になれたのに。 歩いてキャビンに戻ったジョージ・ルーミス(ジョセフ・コットン)は妻ローズ(マリリン・モンロー)の寝ている山小屋に入る。(ローズの真っ赤な口紅が印象的) 一方、新婚気取りのカトラー夫妻がカナダ側から滝が見えるレインボー・キャビンに向かう。 しかしBロッジに宿泊のルーミス夫妻はまだ発っていない。 スリップの上にファーの縁取りの透けるように真っ白なガウンをはおったローズの話ではジョージの具合が悪いらしく、ここに来る前は朝鮮戦争の後遺症で陸軍の精神科にいたとか。 よって、カトラー夫妻は空いていたKロッジに変更。 ぴっちりしたタイトな水色のスーツを着たルーミスの妻ローズが買い物に行くと出ていく。 滝を巡る遊覧船から滝が間近に見られる馬蹄湖の滝見物トンネルに行くカトラー夫妻。(雨合羽の女性用は黄色、長靴着用) 展望台で写真を撮るため後ろに下がった妻(「人生模様」や「拾った女」のジーン・ピータース)は買い物に行ったはずのローズと若い男の逢い引き現場を目撃。
キャビンBではローズがシャワーを浴び、ジョージが作業療法で1907年モデルのクラシックカーの模型を作っている。 ローズに頼んだタバコを聞くとスーツのポケットだと言うので取り出すと一緒に滝見物の切符が。(わざとっぽい) 若者たちが泊まっていて蓄音機でレコードをかけ踊っている。(Lester Leaps In) 踊ったカトラー夫妻が喉が乾いてコーラを飲んでいるとキャビンBから胸元の開いたピンクのドレスのローズが現れた。 レコードを差し出してかけてと頼む。 Kiss(キスして、私が全てと言って) 若者のダンスの申し込みを断ってカトラー夫妻のところに来たローズは”キス”は一番のお気に入りの歌だと言って歌詞を口ずさむ。 すると突然キャビンBからジョージが飛び出してレコードを引っ掴むとバリンバリンにして戻って行った。(夫は懐メロが好きだとローズ) ローズが嫌だと言うのでカトラーの妻が傷の手当をしにキャビンBを訪ねる。 ジョージは「あの曲は嫌いだ、ローズは誰と一緒に聞いたのか話さない。 あんな短い服を着て肌を露出させ、まるで売春婦。」 これを聞いてカトラーの妻はジョージがローズを愛していると感じた。 夜の8時半になると滝がレインボーにライトアップされるショーが始まる。 ローズはバスターミナルに公衆電話で明日のオタワ行きを問い合わせている。 電話口に出た女性は番号違いと言うが部屋には滝で会っていた若い男パトリック(Richard Allan)が。 白と茶の靴を履いて口笛を吹くパトリックが公衆電話にかけるとローズが出て「夫が人前で暴れたから何があっても納得するわ。明日決行よ。頑張って。」
翌朝、人が変わったように陽気になったジョージはローズの機嫌をとる。 だがローズがおめかしして出て行こうとすると機嫌が悪くなり詮索を始める。 ローズがバス・ターミナルで指定席を取ると言っていたのでジョージは停留所に行ってみると、外を歩くローズを発見。 後を追うとローズは滝へのトンネルの土産物屋に入る。 そこには待ち合わせをしたパトリックが。 目配せで夫が来たのをしらせるローズ。 パトリックはジョージの乗ったエレベーターに乗り込む。 ローズはパトリックが売店の絵はがきスタンドの一枚に書いたメモを見る。「成功したらベルタワーに僕たちの歌をリクエストする。シカゴで会おう。」 この絵はがきをゴミ箱に捨ててローズは戻って行く。
キャビンではカトラー夫妻が記念撮影、そこをバスの切符を買いに行っていたとローズが通って影を作る。 咎められたローズはジョージを見なかったかと尋ねる。 11時発のバスに乗る予定だと言うとキャビンに入る。
カトラー夫妻から警察にジョージの捜索願が出され、スターキー刑事が売店にやって来た。 そこには深く開いた白いブラースと赤いジャケット姿のローズとカトラー夫妻が待っていた。 ローズはなせ?ジョージは滝が嫌いなのに。と言うがレインコート係が言うにはレインコート一枚と靴が足りないのだと。 早く探して!というローズを連れてカトラー夫妻が車に乗ろうとした時、タワーからあの曲が流れてくる。 すると、まるでバービー人形のようなローズは車に乗らず腰をふって丸石の道路を歩いて行くロングショット。 これぞモンローウォーク。(セクシーに見せるアイディアを考えつく天才のモンローがハイヒールの片方をわざと短くしたと伝えられていますが、もしかしてそれは後付けの理由で事実は小石でヒールの化粧革が取れちゃったけどロングショットなのでそのまま歩き続けたのかも)
警察が捜索した結果、損傷が激しい遺体を発見、死体安置所に運ぶ。 確認に一人でやってきたローズはブラースは白だが胸元は締まり黒いスーツに黒の帽子。 遺体を見て本当に気絶したローズは病院に搬送される。 ローズの荷物を届けたカトラー夫人の留守中に荷物をBキャビンに移動したと管理人。 夫はまだ戻らないのでベッドに横たわった夫人が窓を閉めると裏庭から男が入ってくる。 足下をみるとあの白と茶の靴。 台所の引き出しからナイフを取り出すと寝室に入る。 物音で振り返ったカトラー夫人は死んだ筈のジョージを見て悲鳴を上げる。 それを聞いた管理人がドアを叩いても開かない。 ジョージの埋葬から戻ってきた夫が窓から鍵を開けて部屋に入る。 機嫌が悪い夫は早くこんなところは出ようと言うが妻から会社の副社長じきじきに夕食の招待に来たと聞いて気を取り直す。 夫が髭を剃っている間に妻は公衆電話に駆け込みスターキー刑事に連絡する。 物陰でカトラー夫妻が副社長夫妻と滝に行くと言うのを聞いたジョージはカトラー夫人を追って、レンチで殴り掛かってきたパトリックを殺したことを告白。 正当防衛なら警察に行ってと夫人。 しかしパトリックの靴を履いて帰ったジョージはどこかで静かに暮らしたいから死んだことにしてくれと頼み込む。(理解できなかったシーンはジョージはタワーのリクエストボックスに何かを入れるシーンが理解不能、ラストでジョージがローズにベルは鳴らないと言っていたが)
副社長と明日の早朝に釣りの約束をしたカトラー夫妻はスターキー刑事の訪問を受け、意識不明のローズが病院から抜け出したことを知らされる。 その頃、トランクを手にしたローズはバスターミナルでシカゴ行きの切符を払い戻していた。 警察が乗客の身元を調べていることを耳にしてアメリカ側のバスターミナルに歩道橋を歩いて行くことにするが向こうに夫のジョージが待ち伏せしていた。 方向転換したローズはなぜかスカーフだけを手に上へ上へと鐘楼への階段を駆け登って行く。 それを追うジョージ、「残念だな、もう鐘は鳴らない。」 沈黙の鐘の下で首を絞められたローズは黄色いスカーフを手にしたまま両足を投げ出して倒れた。(俯瞰) 入り口の扉から逃げようとするジョージだがドアが閉まって開かなかったが朝に守衛が入って来たのでジョージは開いたドアから出て行った。
朝方、瀑布の川上にボートで釣りをしに来たカトラー一行、カトラー夫人は貸しボートの番人がルーミスに似た男が10時頃来て船を探しているようだったと警官に話しているのを見る。 買い物のため泊めた副社長のボートに近くに潜んでいたジョージが飛び乗るがエンジンのキーーが見当たらない。 金槌で壊しているところに買い物から一足先に戻ったカトラー夫人が制止したが押し倒して夫人ごとボートは岸を離れる。 気がついた夫人がジョージに必至で自首を勧めるがローズを殺してしまったのでもう遅いと言う。 警察は来たがジョージを追う船がないので河川巡視艇に応援を頼む。 ボートは燃料の計器がほぼ空、河を下っているボートは直に瀑布に到着する。 落下地点の間際にうまいこと飛び出た岩に夫人を押し上げるとジョージは船ごと瀑布の底へ。(カトラー夫妻は無事でめでたし、めでたし)
1954年の「River of No Return(帰らざる河)」でもGloria Wood(グロリア・ウッド)の吹き替えでしたがタイトル曲の他数曲歌い、役名も無きただの”女”という設定でしたが、同年の「There’s No Business Like Show Business(ショウほど素敵な商売はない)」では”Heat Wave”をはじめ何曲も歌っています。 夫のJoe DiMaggio(ジョー・ディマジオ)を激怒させた地下鉄の通気口でまくれ上がったスカートのシーンがある1955年の「The Seven Year Itch(七年目の浮気)」では”Chopsticks”をおふざけで歌いました。 このシーンで着用された細いプリーツスカートの白いドレスは今や黄ばんでしまったといえども2011年のハリウッドのオークションで予想額の2~3倍近い$ 4.6 million(3億7千万円)で落札されたとか。 MGM映画(Metro-Goldwyn-Mayer)が一度目の倒産をした70年代に売却した品を購入したのは博物館設立希望だった女優のDebbie Reynolds(レイノルズ)だそうです。(メドが付かなくて諦めてコレクションを売っぱらったので資金ができても展示するものがなくなるのか)
マリリン・モンローが出演した「七年目の浮気」のセリフが聴けるThe Seven Year Itch – Sound Clips – Wavsource.com
Bus Stop 1956年
1955年の「Picnic(ピクニック)」と同じくWilliam Inge(ウィリアム・インジ)の原作をJoshua Logan(ジョシュア・ローガン)が監督した「バス停留所」ではハリウッドを夢見る酒場ブルードラゴンの歌手チェリー(シェリー)役でロデオ大会にやってきたモンタナのカウボーイのエンジェルとなり、ロデオ会場で結婚するはめになり逃げ出します。 酒場に現れたカウボーイはモンタナに連れて行こうとしますがチェリーのお尻の飾り(ドレスのしっぽ)を破いてしまい本当に嫌われてしまいます。 チェリーはロスアンジェルス行きのバスに乗ろうとするがどっこい、投げ縄名人のカウボーイに掴まって無理矢理モンタナ行きのバスに。 雪降る夜にバスが立ち往生して食堂で一夜を過ごす事になるがカウボーイの乱暴に見かねたバスの運転手が制裁を買ってでる。 喧嘩に負けたカウボーイは皆に謝ることに。 優しく詫びられたチェリーはふしだらに生きてきた私は天使なんかじゃないわと。 心を込めたお別れのキスの後、素直な心でカウボーイが言う「過去も含めて今のお前が好きだ。」 これに答えてチェリーが言う「あなたと一緒ならどこへでも、地の果てでもついて行くわ。」 モンタナの牧場に天使がやってくる。
山で育って早熟だが恋が何かを知らないチェリーを演じたモンローが酒場のシーンで調子外れの”That Old Black Magic”を歌った「バス停留所」ではモンローの演技力も評価されたそうですが、この後、仕事や私生活のトラブルも起こり、段々と壊れていきます。
モンローの最初のプロデュース作品であり、唯一の海外作品でもある1957年のThe Prince and the Showgirl(王子と踊子又は王子と踊り子)は、英国の老俳優のLaurence Olivier(ローレンス・オリヴィエ)が監督したからイギリスで撮ったというだけではなく、国内映画に補助を与えるイギリスの税制の恩恵を得るためもあったそうです。 マリリン・モンローとシェイクスピア俳優のオリヴィエ卿と共演なんてなんだかまるで冗談のよう、いや夢のようでした。 アクターズ・スタジオでメソッド演技法を学んだマリリン・モンローとローレンス・オリヴィエの英国流伝統的演技スタイルの鬩ぎ合い!というのはちと大袈裟としても粗利が合わないのは道理でしょうか。 それはともかくとして、「王子と踊子」は当初はミュージカルという設定だったそうですが夫のアーサー・ミラーが反対したので取りやめになりましたが唯一曲だけマリリン・モンローが歌った”I Found A Dream”はマリリン・モンローのアルバム”Complete Recordings”にも収録されています。(私にはモンローでないように聞こえますが) 「ナイアガラ」で見せたモンローウオークをさらに誇張したセクシーなモンローを見ることができた「王子と踊り子」でしたが共演者とはあまりしっくりこない映画でした。 この映画のためにロンドンに渡ったモンローでしたが夫やオリヴィエ卿との軋轢に困惑していた時、サポートした助監督の一人のColin Clark(コリン・クラーク)の回想録をもとにした「My Week with Marilyn(マリリン 7日間の恋)」がMichelle Williams(ミシェル・ウィリアムズ)主演で2011年に映画化されています。
さらにもう一作品の1960年の「Let’s Make Love(恋をしましょう)」では1946年映画「Les portes de la nuit(夜の門)」でシャンソンの”Les feuilles mortes(枯葉)”を歌ったYves Montand(イヴ・モンタン)と共演して恋愛沙汰も囁かれたました。 映画ではタイトル曲の他に私の大好きな”My Heart Belongs to Daddy”など歌っているのですが映画そのものはモンローが激太(まさか妊娠じゃ?)のせいもあり、これも又使用された楽曲以外はなぜだか好きではなかった作品でした。(ミュージカルはど素人という大富豪役のモンタンに歌と踊りを教えるためとカメオでビング・クロスビーとジーン・ケリーが登場したけれど) 今日までもこれほどの人気を保っているマリリン・モンローが本当に主演した映画はたったの10本ほどだけということは一驚に値します。
上記の画像はニュースドキュメンタリーと予告編を集めたオーディオ付きDVDの「Complete Marilyn Monroe (2001)」ですが、同じ画像のCDで出演作品からタイトル曲を集めた人気の「マリリン・モンロー」が入手可能です。
完成した作品としてはマリリン・モンローの遺作となってしまった1961年の「The Misfits(荒馬と女)」がありますが、製作中には「お熱いのがお好き」の時以上のドタキャンなどのトラブルが続いて話題になり、主演のClark Gable(クラーク・ゲーブル)も「二度とマリリン・モンローとは共演したくない」と言い残してこの世を去った映画でした。 スチール写真で見た白地に赤い桜ん坊のワンピースが可愛いモンローでしたが、私はこの映画を観ようとは思いませんでした。 その翌年の1962年に全裸のプールシーンが制作中から話題になった「Something’s Got to Give(女房は生きていた)」の撮影中にモンローが自宅で急死したのですがやはり睡眠薬が原因と噂されました。 ”Something’s Got to Give”の件ではJ・F・ケネディの誕生日に出席して”Happy Birthday, Mr. President(ハッピー・バースディ・ミスタ・プレジデント)”を歌うためにマリリン・モンローが撮影をすっぽかしたことによる映画会社との損害賠償が絡む訴訟事件となり解雇されと伝えられましたが、真相は闇の中です。 誕生日のビデオに登場するモンローは映画そのままの真っ白な綿菓子のような(カツラ?)髪型です。 この映画は翌年にジョセフ・ゴードン=レヴィットの祖父マイケル・ゴードン監督が「Move Over Darling(女房は生きていた)」として当時髪型が似ていたDoris Day(ドリス・デイ)が主演し、お相手役はDean Martin(ディーン・マーチン)からJames Garner(ジェームズ・ガーナー)にバトンタッチされて作り直されました。 ドイツ女優のBarbara Bouchet(バーバラ・ブーシェ)やChuck Connors(チャック・コナーズ)も出演しましたが、もちろんドリス・デイの全裸プールシーンはありません。 プールシーンなど生前のモンローの映像は1990年のビデオ「Marilyn: Something’s Got to Give」に残されています。 ちなみにチャック・コナーズは1971年の「Latigo(地平線から来た男)」でツルツル坊主の殺し屋モーガンを演じました。
のっぴきならぬ愛情問題から政治家とマフィアの恐ろしい関係などで色々と精神的に安定できないことがあったのでしょうか。 まさに映画「「Don’t Bother to Knock(ノックは無用)」で恋人を亡くして精神状態がおかしくなったヒロインのようですが、ともかく栄光のスターの座を目指し続けた挙句にハリウッドの闇に葬られて一生の幕を閉じたのです。
モンローの映画「帰らざる河」とかけたのか、昭和47年(1972年)に著作「マリリン・モンロー・ノー・リターン」を書いたモンロー・ファンの作家の野坂昭如氏がヤケっパチのようになって同名の自作の曲”マリリン・モンロー・ノー・リターン“をテレビで絶唱していました。 1967年に「火垂るの墓」で受賞したり「おもちゃのチャチャチャ」を作詞したりと多才な野坂氏はシャンソン歌手をも志していた時期があったのだそうですが、「死んだ!死んだ!ダニダニダニ! 」と連呼するCMソングの「ダニアースの唄(Dani Earth(Drum’n’BassMix)」というCDシングルも1998年にリリースしたほどの奇才です。
モンローが亡くなって悲しんだのは野坂氏だけなわけがありません。 イギリスの偉大なるアーティストのElton John(エルトン・ジョン)が”Candle In The Wind(キャンドル・イン・ザ・ウィンド)”というマリリン・モンローを悼む歌で、Goodbye Norma Jeanと歌っています。
Don’t Bother to Knock
マリリン・モンローの映画は殆ど観たと思っていた私ですが、どうしても観たいと思った作品がMarilyn Monroe(マリリン・モンロー)が初めて主演した「ノックは無用」でした。 他の主演映画のように歌ったり踊ったりはいっさいせず、演技だけで見せた白黒映画で、「アスファルト・ジャングル」の2年後に主演しています。 とはいっても実質的には強面の渋い俳優であるRichard Widmark(リチャード・ウィドマーク)が主演したともいえるでしょうか。 ウィドマークが出ていてもフィルムノワールというほどのクライム・ドラマではありませんがRoy Baker(ロイ・ウォード・ベイカー)監督のサイコ的なスリラー映画です。 マリリン・モンローは精神病院から退院したばかりの情緒不安定なNell(ネル)を好演し、Anne Bancroft(アン・バンクロフト)がバーの歌手役で堂々の映画デビューをしています。 リチャード・ウィドマークはアン・バンクロフトが演じるLyn(リン)の恋人のJed(ジェド)でいつもとは違ってナイスガイです。
アン・バンクロフトは映画の冒頭のクラブ・シーンで”How About You”を歌います。 シーンは転じてベッドで寝転がってスピーカーから流れるアン・バンクロフトの歌声を聴いているリンの恋人Jed(ジェド)です。 リンが歌っているホテルエレベーターボーイのエディを頼って来たのは姪っ子のネルですが、エディのおかげでホテル滞在客の一夜のベビーシッターの職を得たのです。 場面は変わって、リンが歌うManhattan(マンハッタン)がラジオから流れる部屋で、子供を寝かし付けたネルはチョコをムシャ喰いしたり奥様の香水や宝石やナイトガウンまで着用していますが、その時に突如聞こえてきた飛行機の爆音に過去が呼び覚まされて不安そうな面持ちを見せます。 クラブのカウンターでは未来無き恋に終止符を打とうとするリンとジェドの別れ話がもつれ、むしゃくしゃして部屋に戻ったジェドが向いの部屋の窓越しに見たのは奥様の大き過ぎるナイトガウンを着て踊っているネルでした。
「おっ、あの部屋はどこだ?」とやおら色気付いてホテルの見取り図を確かめるジェド、リンの歌うラジオのスイッチを切ると電話をかけて2分後に会う約束をします。 ネルは叔父の言う通りに新しい恋を見出そうとするかのようにジェドを待つ合間に紅をさします。 そのネルの両手首にはためらい傷が。 ここはモンローならではのお約束ごと、美脚を剥き出してガーターを止めるセクシーなシーンも大サービス。 さて酒持参でネルの部屋をノックしたジェドですが、さすが怪しんで様子を伺います。 トランクのイニシャルが違うし紳士靴もベッド下にあるのは全て妹家族の物と偽るネル。 ジェドの職業がパイロットと知ると精神が不安定なネルは腕の傷をさすりながら過去の恋人と混同し始めます。 ネルは婚約をしていた恋人の飛行機が太平洋に墜落して死亡したので精神的に異常をきたし、茶色い目で黒髪の恋人(フィリップス)がジェドとかぶってしまったのです。 そこへ寝ているはずの子供が起きてきてネルの事情をしゃべったので、嘘がジェドにばれたネルは逆上して邪魔な子供をなんとかしてしまおうとし、次第に凶暴化していきます。 ですが、ジェドは犬や子供だけでなく窮地に陥った女の扱いも上手です。 狂っていく女の悲しさがなにやら「A Streetcar Named Desire(欲望という名の電車)」のブランチを思い起こします。 もしもマリリン・モンローがこの「ノックは無用」の路線でずっと行ったならどうなっていたのでしょうか。 私が”マリリン・モンローの映画”を奨めるとしたら、まずは笑える「お熱いのがお好き」に加えてミステリーの「ナイアガラ」と「ノックは無用」、そして場末の酒場の歌手役で演技力を認められたという「帰らざる河」と「バス停留所 」です。 後はブロンドグラマーの歌と踊りのお色気コメディを存分にご堪能下さい。
Don’t Bother to Knock Movie Trailer (1952) – YouTube
「ノックは無用」の他、スライドショーやサムネイルをクリックするとモンローの主演映画の写真が見られるMarilyn Monroe in Don’t Bother to Knock Photos – IMDb
マリリン・モンローのポスターが見られるDon’t Bother to Knock Posters – Allposters.com(検索窓にMarilyn Monroeと入力、「ノックは無用」の映画ポスターは16ページ目で拡大可)
Don’t Bother to Knock Soundtrack
「ノックは無用」の音楽は「イヴの総て」の音楽を手掛けたアルフレッド・ニューマンの弟のLionel Newman(ライオネル・ニューマン)で、1951年の「Let’s Make It Legal(結婚しましょう)」をはじめや「帰らざる河」や「紳士は金髪がお好き」や「ショウほど素敵な商売はない」などモンロー出演映画の音楽を担当しています。 映画のサントラは
Harlem Nocturne(ハーレム・ノクターン)の作曲者として知られるEarle Hagen(アール・ヘイゲン)が編曲指揮を担当しました。 映画の冒頭からミステリー調で都会の夜を連想させる曲が流れます。 映画「ノックは無用」では演技に徹したマリリン・モンローは歌いませんでしたし、クラブで歌ったアン・バンクロフトはクレジットなしのためかサウンドトラックCDは見つかりません。
Dont Bother to Knock (1952) DVD
上記のビデオ画像は二つともマリリン・モンローが初主演した英語版の映画「ノックは無用」のVHSで、左の画像は1998年版「ノックは無用」、右の画像は2002年版「ノックは無用」ですが共に白黒映画です。 この他にもが2000年版の字幕版のVHSもあります。
2006年に発売された500円の廉価版DVDは「ノックは無用」
2004年に発売された特典付き字幕版のDVDもあります。
Don’t Bother to Knock by Charlotte Armstrong
映画「ノックは無用」の原作はシャーロット アームストロングが1950年に書いた長編小説です。 シャーロット アームストロングは1957年に「A Dram of Poison(毒薬の小壜)」で探偵作家クラブ(Edgar Allan Poe賞)の最優秀長編賞を受賞したミシガン出身のミステリー作家ですが日本語に翻訳された「ノックは無用」の文庫本が発売されています。
1998年版はノックは無用 (小学館文庫)
Marilyn Monroe Sings
Solid Gold – Marilyn Monroe
「Bus Stop(バス停留所)」の”That Old Black Magic”などが入っていないのでお勧めというほどではありませんが、映画で歌われたセクシーな曲がたくさん収録されているマリリン・モンローのアルバムの1枚です。
マリリン・モンローの声は聴く人の鼻先をオーストリッチの羽毛でくすぐります。(ハ、ハ、ハックショイッ!) ミンクのミトンで背中を撫で回します。(コ、コ、コッチョッタイ!)
Solid Gold
試聴はSolid Gold – Amazon.com (MP3 Download)
日本盤では19番が「お熱いのがお好き」のサントラから抜き出したような”I’m Thru with Love”になっていますが、アメリカのAmazon.comにある「Solid Gold」では19番がブロードウエイ・ミュージカルの「The French Doll(フレンチ・ドール)」で歌われた私の好きな”Do It Again(ドゥ・イット・アゲイン)”で、試聴も手持ちの曲と同じく”I’m Thru with Love”は17番です。 確かに”Do It Again”は映画では歌っていないようですが同じ品番のCDの曲目が違うのも不思議です。 ”Do It Again(フランス人形)”は国内盤のベストアルバム「マリリン・モンロー」(ASIN: B00001ZTFM)にも収録されています。
日本盤の曲目では1番のDiamonds Are a Girl’s Best Friend、4番のWhen Love Goes Wrong、5番のBye, Bye, Baby、6番のTwo Little Girls from Little Rockは「紳士は金髪がお好き」からでジェーン・ラッセルも歌っています。
Runnin’ Wildが入っていませんが、2番のSome Like It Hot、12番のI Wanna Be Loved By You、19番のI’m Through With Loveは「お熱いのがお好き」
3番のMy Heart Belongs to Daddyは「恋をしましょう」
7番のRiver of No Return、8番のI’m Gonna File My Claim、18番のFine Romance、20番のDown in the Meadowは「帰らざる河」
10番のKissは「ナイアガラ」
11番のLazy、13番のAfter You Get What You Want、14番のYou’d Be Surprised、15番のHeat Waveは「 ショウほど素敵な商売はない」
16番のHappy Birthday Mr. Presidentは1962年のPresident Kennedy’s Birthday Saluteなどで使用されているそうです。
These songs, “She Acts Like A Woman Should” and “When I Fall in Love” are in which Marilyn Monroe Movie, I WONDER?
Marilyn Monroe – She Acts Like A Woman Should – Amazon.co.jp (MP3 Download)
When I Fall in Love sounds like … Sandra Dee. (モンローじゃなくてサンドラディー?)
Marilyn Monroe – When I Fall in Love – Amazon.co.jp (MP3 Download)
☆Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)が朝鮮戦争の慰問に出向いた頃の1954年に歌ったGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュウィン又はジョージ・ガーシュイン)作曲の”Do It Again”はエンディングの含み笑いが可愛くて購入してしまいました。
戦地で兵隊さんに大受けだったマリリン・モンローの”Do It Again”はアルバムは「The Essentials」でも試聴できます。
この”Do It Again”についてはAudio-Visual Trivia内のエイプリル・スティーヴンス
Marilyn Monroe Lyrics
Bus Stop(バス停留所)の酒場のシーンで歌われたThat Old Black Magicなどマリリン・モンローの歌詞はMarilyn Monroe Lyrics – allthelyrics.com
Richard Widmark
アクション映画が多く、おデコでギョロ目が特徴のアメリカの俳優であるリチャード・ウィドマークは男らしくてセクシーといわれています。 私が観たウィドマークの映画はあまり多くはありませんが、1947年の「Kiss of Death(死の接吻)」で残忍な殺し屋ユードゥの狂気を開演して衝撃的なメジャーデビューをしました。 この映画でフランク・シナトラ似の笑い顔のウィドマークが冷酷にも車椅子の老女を階段から突き落としますが、この逃亡した共犯者リッゾの母親役は1956年の「Baby Doll(ベビイドール)」でボケたローズ伯母さんを演じていたMildred Dunnock(ミルドレッド・ダンノック)です。 1950年に「日曜日はダメよ」のJules Dassin(ジュールス・ダッシン)が監督した「Night and the City(街の野獣)」ではヤマ師のHarry Fabian(ハリー)を演じ、Elia Kazan(エリア・カザン)監督の「Panic In The Streets(暗黒の恐怖)」で死亡者が肺ペストにかかっていたことを見つける公衆衛生局の医師医師のクリントン・リードを演じました。 多くは暗黒街や拳銃や殺人が似合う俳優となりますが後に警察側にまわって刑事も演じています。
「死の接吻」を監督したHenry Hathaway(ヘンリー・ハサウェイ)はマリリン・モンローがリチャード・ウィドマークと共演した「ノックは無用」と「O. Henry’s Full House(人生模様)」の後の1953年に「ナイアガラ」を監督しています。 リチャード・ウィドマークはアクション映画が続いた後にサスペンスの「ノックは無用」に出演したことによりソフトなイメージも与えましたが、さらにラストで宿敵のギャングに撃たれて死んでしまうハードボイルドな刑事役でホロリとさせた1967年の「Madigan(刑事マディガン)」が人気でした。 イタリア系の音楽家Don Costa(ドン・コスタ)が音楽を手掛けた「刑事マディガン」でノミ屋のミッジ(ミジェット)を演じたのはこの映画の6年後に脊柱側弯症から38歳で死んでしまった小人俳優のMichael Dunn(マイケル・ダン)でした。
Marilyn Monroe and Richard Widmark in Full House
1952年のオムニバス映画「O. Henry’s Full House(人生模様)」は私の大好きな作家の一人であるO. Henry(O・ヘンリー)の短篇5話を5人の監督が担当し、作家のJohn Steinbeck(ジョン・スタインベック)が各エピソードに登場してナレーションを入れるという文芸的な映画です。 なかでも愉快な話は「The Ransom of Red Chief(赤い酋長の身代金)」です。赤い酋長を自称する腕白小僧を身代金目的で誘拐した2人組の災難を描いています。
リチャード・ウィドマークはヘンリー・ハサウェイ監督のThe Clarion Call(ラッパの響き)編に登場しますが、マリリン・モンローはHenry Koster(ヘンリー・コスター)が監督した第一話の「The Cop and the Anthem(警官と聖歌)」に街の売春婦役で出演していたのです。 ストーリーは一冬の避難所を求めて島(刑務所)暮らしを望んだマジソン・スクエアの浮浪者(Charles Laughton)が紳士からこうもり傘をふんだくり高級レストランで無銭飲食をしショーウィンドウのガラスを割っても望み願わず思案に暮れているところにモンローの街の女が通りかかったので手にした傘を手渡します。 街の女は浮浪者が自分をレディ(淑女)と呼んだので感激します。(原作では浮浪者でも客だと応じる売春婦なので傘は工事の穴に投げ込んだ) 教会から流れてくる聖なる音楽に心洗われ全うな人間になろうと思った時、警官がやってきた。 判決は島送り3ヶ月。
Pickpocket Movies
“スリ”をテーマにした映画というとロベール・ブレッソンの「スリ」の前に同名の映画がありました。 1953年にSamuel Fuller(サミュエル・フラー)が監督したフィルムノワール「Pickup on South Street(拾った女)」です。 冷戦当時の世相を反映した危険思想の共産主義を排除するプロパガンダ映画とも云われているそうですが政府と組織の機密情報争奪戦に巻き込まれる出所したてのスリをウィドマークが演じました。 スパイのガールフレンドだったキャンディを「Niagara(ナイアガラ)」でモンローと共演したJean Peters(ジーン・ピータース)、情報屋でネクタイ売りのモウに名女優のThelma Ritter(セルマ・リッター)が演じています。 地下鉄の車中で美人のバックから財布(マイクロフィルム)をスリ取ったばかりに狙われるスキップをRichard Widmark(リチャード・ウィドマーク)が演じています。 元彼のジョーイが共産党のスパイとは知らずに政府の機密情報(化学式)を収めたフィルムの運び屋となりそれをすった三度の前歴のあるスキップから取り戻す羽目に陥った元娼婦のキャンディを1957年にHoward Hughes(ハワード・ヒューズ)と結婚したJean Peters(ジーン・ピータース)が演じています。 波止場から突き出た壊れそうな釣り小屋に住むスキップの情報を刑事とキャンディに売る元女スリでネクタイ売りのモウに「三十四丁目の奇蹟」でクレジットなしでサンタに消防車が欲しいと言うピーターの母親を演じたThelma Ritter(セルマ・リッター)。 体調が思わしくないモウが部屋に戻った時に蓄音機にかけるレコードは1947年のヒット曲で”Mam’selle”(小さな喫茶店でマドモアゼルとデート)で、キャンディがスキップの住所としてモウの部屋を教えたのでやってきたコミュニスト組織の諜報員ジョーイが幹部に渡された銃を手に脅します。 全てに疲れ切って素敵な葬儀を話すモウの台詞と歌詞がシンクして曲が終わると同時に銃声が響きます。(名場面) モウの殺害犯としてスキップが警察に逮捕されるのを防いだのがFBIのエンヤート(冒頭の地下鉄シーンで赤い組織の大者を掴もうとキャンディをずっと追っていた二人のFBIの一人)。 スキップの居所を教えなかったために銃殺された身寄りのないモウが無縁墓地に埋葬されるのを恐れていたので遺体を引き取ったスキップが小屋で隠していたフィルムを取り出す。 小屋で待っていたキャンディはスキップの犯罪歴を消そうとスキップを気絶させてフィルムを奪うと自分が警察に出頭し首謀者の大捕り物に加担するのです。 ジョーイはフィルムのコマが足りないと激怒して逃げようとするキャンディを銃で撃ち、住所を手に入れてスキップの小屋に行く。 空港でのフィルムの引き渡しを阻止したスキップのおかげで首謀者は逮捕、誤解が解けたキャンディも回復してハッピーエンド。 警部は一ヶ月もしないうちに逮捕すると豪語するがスキップにもう四度目はないだろう。
他にもリチャード・ウィドマークは1977年にはRobert Aldrich(ロバート・アルドリッチ)が監督した「Twilight’s Last Gleaming(合衆国最後の日)」でマッケンジー将軍を演じBurt Lancaster(バート・ランカスター)やJoseph Cotten(ジョセフ・コットン)と共演していますが、その後の1984年に今や「Iron Man(アイアンマン)」のオバデヤ役で有名になったJeff Bridges(ジェフ・ブリッジス)が主演した「Against All Odds(カリブの熱い夜)」に黒幕の弁護士役で出ていたのには気が付きませんでした。
Anne Bancroft (1931-2005)
イタリア移民の女優のアン・バンクロフトは「ノックは無用」では歌手という役柄で何曲も歌いますが、上記の”I like live in New Youk in June…”と歌うBurton Lane(バートン・レーン)作曲Ralph Freed(ラルフ・フリード)作詞の「How About You」の他にライオネル・ニューマン作曲Lorenz Hart(ロレンツ・ハート)作詞の”A Rolling Stone”やRichard Rodgers(リチャード・ロジャース)作曲ロレンツ・ハート作詞の”Manhattan”などを歌います。 アン・バンクロフトの歌は落ち着いて上品とはいえこの作品ではさほど魅力的ではありませんが、後の70年代の方が声に深みが出て余裕たっぷりに聞かせます。 ジャズがお得意で歌って踊ってのミュージカルコメディや70年代の”Annie, the Women in the Life of a Man”のようなTVスペシャル番組でも歌っています。
1993年に62歳の時でさえRichard Gere(リチャード・ギア)が主演した「Mr. Jones(心のままに)」で女医役や、「Malice(冷たい月を抱く女)」ではニコール・キッドマンの母親役で出演したアン・バンクロフトですが、なんといっても1962年に16歳のPatty Duke(パティ・デューク)が盲目のHelen Keller(ヘレン・ケラー)を演じてアカデミー助演女優賞を受賞したThe Miracle Worker(奇跡の人)でのサリバン教師や、フラッシュバックでヌードも見せた1967年のThe Graduate(卒業)の歌のタイトルになったヒロインの母親のMrs. Robinson(ミセス・ロビンソン)役が有名です。 そのアン・バンクロフトもマリリン・モンロー同様に有名になってから過去の白黒ヌード写真が公開されましたがこちらはさほど話題にはならなかったようです。 アン・バンクロフトといえば三重苦のHelen Keller(ヘレン・ケラー)の半盲の教師”Annie Sullivan(アニー・サリヴァン)”役で有名になっていたので、たぶん60年代後期か70年代のことだったと思います。 その当時に白黒写真を見ましたが座って片足を立てたポーズでとても綺麗でしたけれどきっと本人は嫌だったでしょう。 今となってはモンローもバンクロフトも美しい時期のナイスボディを後世に残せて良かったかもしれないと勝手に解釈しています。
Tom Kelley’s Red Velvet Photos with Marilyn Monroe
デビュー前(1948年頃)にはポルノ映画に出演したことがあるらしいと云われるマリリン・モンローですが、干されていた時期には写真のモデルも引き受けたことは有名になってからの1953年にその写真が公開されたことによりいっそう名が知れ渡ったのでした。(意図的話題作り?) Playboy magazine(プレイボーイ)の1953年創刊号の表紙や見開き(赤いベルベット写真をブラと腰布で修正)を飾ったモンローでしたが、あらゆる差別が激しかった1950年代のアメリカでは、紳士向け雑誌のグラビアに出るモデルと女優とは一線を画したそうですし、それに生い立ちの負い目も加わって怖いハリウッドの世界では嫌な思いもたくさん経験したらしいです。
1940年頃にモデルをしていたジェーン・ラッセルの写真を撮って新作映画の主演女優を探していたHoward Hughes(ハワード・ヒューズ)監督に見せたことでも知られている写真家のTom Kelley(トム・ケリー)が、1949年に彼のスタジオで撮影したのがマリリン・モンローのスランプ時代のヌード写真です。 24コマの赤いベルベットの上のマリリン・モンローの写真のうち何枚かがMarilyn Monroe in Pose Photos by Tom Kelley – Marilyn Monroe on Red Velvet, 1949(拡大可)で見られます。 それらの写真はその後ビールの宣伝用カレンダーに使われたそうです。
ロサンゼルス連邦地裁によるとマリリン・モンローの肖像権は消滅しているのでモンローの遺産管理団体に使用料を支払う必要はないと判決したそうです。 とはいえモンローの写真は撮影した写真家に著作権があるので一般の人が勝手に使用出来るということではありません。 よって残念ながら私はモンローのヌード写真を記事内に貼ることは出来ません。 マリリン・モンローは亡くなるちょっと前の1962年にグラビアのThe Last Sittingを写真家のBert Stern(バート・スターン)が撮影したそうです。 その写真は英語版写真集の「Marilyn Monroe: The Last Sitting: Ben Stern’s Favorite Photos Of A American Icon」 (ペーパーバック) で見ることが出来ます。
現代では雑誌「LOVE」でも全裸写真を発表したウクライナ系カナダ人のスーパー・モデルのDaria Werbowy(ダリア・ウェーボウィ)がモンローに類似した写真を撮っているそうです。
そんなこんなで、マリリン・モンローはその当時でも人種の違いを超えてElla Fitzgerald(エラ・フィッツジェラルド)などの黒人アーティストを支援したこともあったのだそうです。 マリリンのお気に入り歌手のエラ・フィッツジェラルドの歌をバックにマリリンのスライドショーが見られます。
Marilyn Monroe Photos – Heaven by Ella Fitzgerald – Youtube
滅多に手に入らないキスマークも付いたマリリン・モンローのサインは1950年代「お熱いのがお好き」当時の物なら160万円位だとか。(お気に入りの口紅はMax FactorのRuby Tuesday?)
Marilyn Monroe wore “Chanel No. 5” in bed
映画「ノックは無用」の中でベビーシッターのネルが婦人の留守中に香水を耳の後ろに付けてみるシーンがありますが、マリリン・モンローと香水というと、「寝ている時は何を着ているのか?」という記者団の質問に「シャネルの5番をまとっています。」と答えたことは有名です。 シャネルの5番という香水はフランスのデザイナーである”Coco Chanel(シャネル)”が作り出した1番から6番の高級香水シリーズの一つでシャネル自身が一番好んだそうです。 最初は1921年にシャネルのブティックの顧客にプレゼントされたそうで、シャネルの試着室もこの5番の香りを使用しているのだそうです。 原料としては最も高価なジャスミン(Jasmin)をメインにイランイラン(l’Ylang-Ylang)なども加えてあります。 1953年に前述のマリリン・モンローの発言により売り上げが急騰したといわれ、今現在も人気の香水となっています。 「奥さまは魔女」のNicole Kidman(ニコール・キッドマン)が2004年にシャネルNO.5のゴージャスなCMに出演してそりゃもう大騒ぎとなりました。(リンク先のChanel Adでビデオが観られます) 私もいくつか香水の小瓶を持っていましたが香り音痴なのでディオールだかシャネルだかゲランだか嗅ぎ分けられません。 マリリン・モンローの名セリフで思い出したのですが、モンローが結婚した国民的野球選手だったディマジオとの初デートの時に「野球のことは何も知らなくてごめんなさい。」といったとか。 マリリン・モンローを女優としてではなく女性として愛していたジョー・ディマジオはモンローの葬儀を取り仕切り、その後20年間墓にAmerican Beauty(アメリカン・ビューティ)という名の赤い薔薇を供えていたそうです。(「アメリカン・ビューティ」という同名の映画がありました)
CHANEL – Paris
☆マリリン・モンロー(ノーマ・ジーン)がモデルとしてハリウッドスターになる一歩を踏み出した大戦中の軍隊雑誌
☆マリリン・モンローが映画「恋をしましょう」で歌った”My Heart Belongs to Daddy(私の心はパパのもの)”がブッシュ大統領のパロディになったことがあります。
モンローの歌のパロディについてはHot’n Cool内のMy Stuff Belongs to Daddy
あ、モンローだ。
彼女の映画、僕もほとんど観た事あると思います。
が、ほとんど覚えてない・・・汗。
ちょっと納得いかないのが、よくTVでやってた”日本語吹き替え版”!
あのモンローの声はひどいと思うのですよ。(特に初期作品)
実際の声はもっと、なんというか、もっと艶のある感じ。
あんなバカっぽい口調でもないんですけどね・・・。
でもない?
「ken-sann」せんせい、ブルースの記事じゃないのにコメントをありがとうございます!
私の推測ですが、モンローは可愛いくて嫌味がないので女性の方に人気があるようですよ。
昔私がテレビ放映で観たころは字幕だけでしたが最近は殆ど吹き替えですね。実際のモンローの声は日本の声優さんより確かに低いですね。
「Trouble Travelers」もちゃんと読んでいますがコメントはなかなかできません。
koukinobaabaさんこんにちは
小生の”もっとボーカル!”の”Candol in the wind”のページに貴殿のこのページをリンクさせていただきます。どうぞよろしく。
「アンクルポップ」さん、いつも有難うございます。
リンクを貼って頂いたなんてとても嬉しいです。 ただ私の記事だと連想ゲームのように取り留めもなく冗長なばかりなので、貴ブログの品格を落とすのではないかと心配しますよ。コメントに「Candle in the wind」のページURLが入っていませんが勝手に加えても良いものかどうか。
koukinobaabaさん
貴殿の頁を拝見するといつもその知識の掘り下げに驚いております。きっと貴殿の対象作品に対する愛情がそうされているのだと思います。小生も励みになります。作品の創作者はきっと喜んでいることと思います。なほ「Candol in the wind」のスペルが間違っておりました。「Candle in the wind」が正しいです。いつもながらソソッかしくてすみません。
「アンクルポップ」さんにお褒めの言葉を頂戴致し、なにやらお墨付きを得た思いです。
ろくに知識がない私は興味本位でひたすら掘り下げまくっております。よって記事を書き上げた時点では以前にも増してそのアーティストや作品のファンになっているのが分かります。時にはとんでもない間違いを犯しますが心ある訪問者の方々のご指摘により訂正させて頂いています。お気付きの点が御座いましたらぜ、ひご一報下さいませ。
記事を書きながら自分で「クスクス」、たまには「アッハッハ」と笑っていることが多いのです。
ヒッチコックの「裏窓」は窓が開けっぱなし。これもそうですね。嘘が多いほど映画は楽しい(笑)。うん十年振りに観ました。うーん、MMはなかなか良い。デビューしたてだからなまじっか大して演技は出来ない。それがうつろで少しおつむのへんてこりんにピッタシ。不思議なムードが漂う。何だか彼女の生い立ちとか実生活を見ているようだ。ウイドマークとバンクロフトの関係をもっとすっきりさせればかなりのサスペンスになっただろう、惜しい。冒頭のバーから始まってカメラが良い。ウイドマークは苛ついてタバコを消したりつけたりの好演で最後はお手柄で復縁か?。バンクロフト姉ちゃんこそウイドマークに偉そうに言えませんな(笑)。
こんにちは。
「ノックは無用」を観る度に思う事があります。当時のアメリカは実に寛容だった事。大型犬でさえホテル内にいる事が問題にならない点と歩行喫煙が問題にならない点です。この作品でもウイドマークはかなりのヘビー・スモーカーで、いらいらしていると床に叩きつける。「ゴースト・タウンの決斗」ではR・テイラーに、それまで地面に落ちていた拳銃をさあーっ決闘開始だからと、ポイっと放り投げられる。自分の拳銃を投げつけられたウイドマークは、怒り、くわえていたタバコを地面に投げつける・・ ・。イライラ・ヘビー・スモーカーの代表格ですね。そう言えば西部劇なのに冒頭のテイラーが馬車を操り婚約者宅を訪問する美しいシーンでは流麗な調べはアンドレ・トレヴィンの曲でした。脱線して申し訳ありません。国営BS録画物ですがたまに観ては懐かしんでいます。
あっ、しまった。
勿論、プレヴィンが正解です。