サム・クック Sam Cooke

The Prince of Soul: Sam Cooke (1931-1964)
シカゴで4人組ゴスペル・グループのThe Soul Stirrers(ソウル・スタイラーズ)と一緒に5年間ゴスペルを歌っていたサム・クックはその声の素晴らしさと共に、まるで映画スターのような類稀なき美貌とセクシーさで女性ファンの人気の的となりました。 ゴスペル界のアイドルだったサム・クックはR & B界に転向して、”Lovable”に続く3番目のシングルで1957年のYou Send Me(ユー・センド・ミー)が大ヒットします。 この”You Send Me”はそれまで7週連続トップだったElvis Presley(エルビス・プレスリー)の”Jailhouse Rock(監獄ロック)”を蹴り落として堂々1位となりました。 それ以降急逝するまでに30曲ほどのチャート入りしたヒット曲を放ち、カリスマ的なソウル・シンガー&バラード・シンガーとしてスターダムに君臨し、かの偉大なるソウル・シンガーのRay Charles(レイ・チャールス)をも凌ぐかとも言われていました。 ちなみにKeen Records(キーン)からのデビュー・シングルはGeorge Gershwin(ジョージ・ガーシュウィン又はジョージ・ガーシュイン)が作った有名なスタンダード曲の”Summertime”でB面が”You Send Me”だったそうです。
今日ではソウル音楽の始祖の一人とも呼ばれているほど再評価されているサム・クックはアメリカ南部ミシシッピ生まれで本名はCook(料理人という意味もある)ですが芸名はちょっと上品にCookeとしたのだとか。 ちなみにサム・クックに影響を受けたミュージシャンにアルバムMidnight Love(inc.Sexual Healing)などのセクシー路線ソウル歌手として知られたハンサムなMarvin Gaye(マーヴィン・ゲイ)がいますが後にGayの後ろに”e”付け加えたそうです。 こちらは上品にするためでなくゲイ(ホモ)と紛らわしかったからだとか。 Lets Get it On! サム・クックは親しみを込めてSammy Cooke(サミー・クック)とも呼ばれるそうです。

稀に見る美しさと褒め称えられるサム・クックのルックスはさして問題ではありません。 サム・クックの素晴らしさはその声、そのソウルフルな歌なのです。 King of Soul がJames Brown(ジェームス・ブラウン)なら、サム・クックはまさに”The Prince of Soul”!

1960年代に入って私が初めて買ったサム・クックのシングルレコード(45回転EP)はB面が”I Fall in Love Every Day(恋に恋して)”だった”Chain Gang(チェイン・ギャング)”と、”Cupid(キューピッド)”の他にサムクック自身の作曲である”Somebody Have Mercy(誰かがあわれみを)”や”Nothing Can Change This Love”など、手元に残っているLPではサム・クックのYou Send Me以前のヒット曲である”I’ll Come Running Back To You(飛んで帰るよ)”、Loveable(愛せるかな)、”That’s All I Need to Know(知りたいのはそれだけさ)”などを収録したコンピ盤の「Rock, Rock, Rock!!」で、Specialtyレコードのお仲間であるLloyd Price(ロイド・プライス)やLittle Richard(リトル・リチャード)、そしてLarry Williams(ラリー・ウィリアムス)のヒット曲集です。
私の好きな”Chain Gang””はサムがキーン・レコードからRCAに移籍した1960年の最初のヒット曲で、その後に”Sad Mood(悲しみの気分に,)”、”Another Saturday Night(こんどの土曜に恋人を)”、そして”Twistin’ the Night Away(ツイストで踊りあかそう)”というヒットが続きました。 1962年にはThe Animals(アニマルズ)がカバーした”Bring it on Home to Me(悲しき叫び)”や”Having a Party(パーティを開こう)”をリリースするなど立て続けにたくさんのヒットを飛ばしました。

サム・クックは殆どの曲は自分で作曲したとい う”R & B”のシンガー・ソングライターですが、音楽業界での白人による印税搾取を回避すべく自分の出版会社(Kags Music)やレコード会社(SAR Records)を立ち上げたり、ブラックパワーとも呼ばれた人種差別と闘うAmerican Civil Rights Movement(公民権運動)にも進んで関わっていたそうです。 1963年に人種差別を訴えた反戦フォークシンガーとして有名なBob Dylan(ボブ・ディラン)の歌である”Blowin’ in the Wind”(風に吹かれて)に触発されて同年にサム・クックが書き上げた人種の平等というメーッセージを込めた”A Change Is Gonna Come(ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム)”の他にも上記の”Somebody Have Mercy”や”Nothing Can Change This Love”ような人種差別に対する失恋の歌もいくつか作っています。(当時は黒人と白人との恋はご法度) サム・クック自身もボブ・ディランの”風に吹かれて”を歌っていますが後にボブ・ディランがサム・クックの”A Change Is Gonna Come”を歌ったそうです。 そのディランは2016年にノーベル文学賞を受賞して困惑しているとか。

1939年にBillie Holiday(ビリー・ホリデー)が歌った荒涼とした”Strange Fruit(奇妙な果実)”に比べるとマイルドな内容なんだそうです。
クックは人気絶頂の1964年にロスアンジェルスで33歳にしてミステリアスな死を遂げたのですが、公民権運動の過激な黒人解放指導者だったMalcolm X(マルコムX)もその2ヵ月後に暗殺されています。(関連はありやなしや) RCAレコードは1964年の事件後すぐに追悼盤として”Shake”と”A Change Is Gonna Come”をリリースしたそうです。 サム・クックが亡くなる前の1963年5月には”Another Saturday Night”がヒットチャートの10位を記録していたとか。 事件当時、いったいぜんたいサム・クックに何が起こったのでしょうか。
☆サム・クックの歌がフルで聴けるSam Cooke – My Space.com

ソーシャル・ミュージック・プラットフォームのLast.fmでのサム・クックの現在のチャートによると、第一位は”Cupid draw back your bow …”と歌いだす”Cupid(キューピッド)”でした。 2番は”I was born by the river in a little tent …”と歌う”A Change Is Gonna Come”で3番目はデビュー曲の”Darling, you send me …”と歌う”You Send Me”で、4番目がちょっとアップテンポで”Don’t know much about history …”と歌い出す”Wonderful World(ワンダフル・ワールド)”、そして5番目が”That’s the sound of the men working on the chain ga-a-ang …”で始まる”Chain Gang(チェイン・ギャング)”です。
サム・クックのAbkcoレーベルのアルバム「Portrait of a Legend 1951-1964」(ASIN: B00009N1ZV)に収録されている”サマータイム”が試聴出来るSummertime – Last.fm(このトラックを試聴 (0:30)をクリック)

サム・クックの”You Send Me”、”Wonderful World”、”Twistin’ the Night Awa”、”Another Saturday Night”、”Chain Gang”、”Bring it on Home to Me”が聴けるwfmuラジオのプレイリストはMusic to Spazz By with Dave the Spazz December 11, 2003(twist awhile! RealAudioをクリックするとリアル・プレイヤーで聴けます)
James Brown(ジェームス・ブラウン)のレアなTalk, Talk To MeやThe Coasters(コースターズ)の”Zing Went The Strings Of My Heart”も聴けますが、すぐにサム・クックを聴くにはクリップ・ポジション(再生バー)を1:00:00に移動)

Sam Cooke on Soundtracks
サム・クックの曲を使用したサウンドトラックはさほど多くはありません。 2005年の「Fun with Dick and Jane(復讐は最高!)」ではサントラCDには収録されていませんが、”The Best Things in Life Are Free”が使用された他、1983年の「Breathless(ブレスレス)」や1985年の「Witness(刑事ジョン・ブック/目撃者)」や2005年の「Hitch(最後の恋のはじめ方)」で”(What A) Wonderful World”が、そしてDennis Quaid(デニスクエイド)が主演した1987年のInnerspace(インナースペース)では”Twistin’ The Night Away”や”Cupid”が、そして公民権(黒人解放)運動のリーダーだったマルコムXの1992年の伝記映画のMalcolm X(マルコムX)や、サム・クックが仲良しだったが2016年6月に74歳で病死(呼吸器疾患)したボクサーのモハメド・アリ(改宗前はCassius Clay Jr.)の2001年の伝記映画のAli(アリ)や、黒人ディスク・ジョッキーのRalph Waldo “Petey” Greeneの実話を映画化した2007年の「Talk to Me」では”A Change is Gonna Come”が使用されたそうです。
I was born by the river in a little tent…と歌われる”A Change is Gonna Come”をはじめ、Cupidなどサム・クックの歌詞がたくさん見つかるSam Cooke Song Lyrics – SongLyrics.com

Sam Cooke at the Copa
ページトップの画像は「Sam Cooke at the Copa」で、国内盤には「ライヴ・アット・ザ・コパ 」(ASIN: B008RNLPZQ)がありあます。 ジム・キャリーが主演した2005年の映画「復讐は最高!」のラストシーンで使用された”The Best Things in Life Are Free”が収録されています。
「Sam Cooke at the Copa」の試聴はSam Cooke at the Copa – Amazon.com
Keen(キーン)からRCAに移籍して絶頂期のサムはニューヨークの白人用高級ナイトクラブの「コパカバーナ」でライブショーを行ったのです。 このアルバムは2度目の失敗を恐れて白人受けを狙ったので抑さえたサム・クックのライブとなったせいか、ソウル・アルバムでない点でがっかりする向きもあるようです。 熱気むんむんのサム・クックのライヴを期待するなら下記の「Live at the Harlem Square Club」でしょうか。

Night Beat
1963年にリリースされたLPで「Night Beat」というブルース(ブルーズ)ともソウルともつかない異色のアルバムがありました。 West Coast(ウエストコースト派)のミュージシャンの小編成のバンドにギターではBarney Kessell(バーニー・ケッセル)も参加しているそうです。

Live at the Harlem Square Club 1963 (1963)
白人受けするポップス調のヒット曲で名が知れたサム・クックですが、マイアミの「ハーレム・クラブ」でのたった一度の黒人向けのライブ公演をしました。 上記のリンク先の国内盤「サム・クック・ライブ ~ハーレム・スクエア・クラブ 1963」は試聴が出来ますが入手困難となっていますが輸入盤の「Live at the Harlem Square Club 1963」(ASIN: B000002W7N ASIN: B000002W7O)もあります。 サム・クック同様に納得できない死を遂げた短命のソウルテナー奏者であるKing Curtis(キング・カーティス)が参加したライブの時のRCA録音で、サム・クックの代表曲の殆どを収録したアルバムですがサム・クックの死後22年も経ってやっと1985年にリリースされ、サム・クックが再評価されたそうです。(版権の問題でもあったのでしょうか)
Chain Gang、Cupid、Somebody Have Mercy、Twistin’ the Night Away、Nothing Can Change This Love 、 Having a Party が収録されています。
“Chain Gang”は一番古いといわれるアルバムの「Portrait of a Legend 1951-1964」や「Sam Cooke – Greatest Hits」にも収録されています。
「Live at the Harlem Square Club」のチェイン・ギャングは私が持っている”チェイン・ギャング”とは違うライヴ・バージョンです。

サム・クックが世に知られるようにになったソウル&ポップス路線の原点はゴルペルです。 賛美歌どうように信仰心がなくても美しいメロディと歌詞は心を打つものがあり、ソウル・スタイラーズとの永遠の人気アルバムには1951年のアカペラから1958年までのゴスペル部門でヒットした曲全20曲プラス” I’ll Come Running Back to You”などのソロ5曲を収録しています。
※ちなみにサム・クックが率いる前、1950年大のソウル・スタイラーズには1966年に”Peak of Love”がヒットしたBobby McClure(ボビー・マクルーア/1942 -1992)が参加していました。

サム・クックがお気に入りで1960年代には一緒にライブをしたといわれるミュージシャンに低音の魅力のAndy Bey(アンディ・ベイ)がいます。 アンディ・ベイは実の姉妹とトリオを組んで1960年代後期まで活動していました。 1970年代にはハードバップのピアニストであるHorace Silver(ホレス・シルヴァー)と一緒に公演したそうです。
☆アンディ・ベイについてはAudio-Visual Trivia内の「Andy Bey

Sam Cooke Documentary
Sam Cooke – A Change Is Gonna Come
Sam Cooke – Chain Gang
Sam Cooke Legend 06 (The Gang’s All Here with Cassius Clay aka Muhammad Ali in 1961, Blowin’ in the Wind, A Change Is Gonna Come)
Sam Cooke Legend 07 (Civil Rights Movement, Death and Funeral)

サム・クック Sam Cooke」への4件のフィードバック

  1. おーっ、サム・クック!
    このハーレム・スクエアのライブ盤。当時、突然発売されたんですよね~。
    びっくりして買っちゃいましたよ。 内容は超最高のライブでした!
    あ、トラックバック規制ですね・・・。
    ではURLに・・・・。

  2. koukinobaaba より:

    ken-Gさん、サム・クックも聴くのですか。私は60年代には単にロックやポップスとして聴いていました。サム・クックはギター弾かないから安心して記事にしました。HeHeHe
    トラバはただONにするのを忘れただけですので私の方からトラバしておきました。

  3. まじろ より:

    サム・クックもまた素晴しい歌手ですね。かって黒人音楽にどっぷりと浸かっていた日々よく聴いたものです。
    とくにKeen時代の歌がメチャクチャよくて、どれといってよくない曲なんかないですし、もう何度も何度も繰り返し聴きましたよ。
    たとえば、大ヒットした”You Send Me”(1957)など、じっくり聴き入ると、リアルタイムで聴いたわけでもないのに、「懐かしきアメリカの心」みたいなものに触れたような、そして心洗われるような気持ちになって、ふと涙がでてきたりします。
    RCA時代になると、当時聴いた曲も多く、たとえば、”Bring It On Home To Me”(62)や、死後発売された”A Change Is Gonna Come”(64)なんかとくに好きでしたね。
    記述されているように、「ソウル音楽の始祖の一人とも呼ばれている」という点が、サム・クックの音楽を語る上で重要だと思います。また、黒人大衆は60年代に入るとなぜ従来のR&Bを否定し、ソウル・ミュージックを求めたのか(ジャズでいえば、バップからファンキーへということでしょうか?)というテーマを解くカギがあるように思います。
    私もブログで恐れ多くもサム・クックを採り上げたいと思ったりしますが、次の2点で困難を感じます。
    (1)「ヒットしなかったけど」とかを超えたところに彼の音楽があるように思えます。
    (2)何らかの評伝的なもの書くには、少し前に出版された評伝(分厚い翻訳単行本)をちゃんと読んでからでないと、と考えてしまうし、どうしても公民権運動に触れないわけにいかないような気になるし…。
    ま、それだけ偉大な歌手なんですね、サム・クックは。では。

  4. koukinobaaba より:

    「まじろ」さんのブログは実に真面目かつ信用のおけるアーティストの論評的記事と呼べますが、私のブログはなんちゃってブログなのでこのアーティストが好き!といった程度です。好き嫌いだけではなくて、評伝的な記事が書けたらいいなと常に思っていますがいかんせん知識がありません。サム・クックの巧妙な歌詞の解釈などとても無理です。
    音楽史にはうといですが、黒人専用の音楽の世界からRandBによって白人の音楽分野に参入し、そこで得た黒人音楽ファンを本来の黒人のソウルに誘致したと思えます。黒人も白人も黄人もサム・クックのファンになりました。
    まじろさんのサム・クック評伝をお待ちします。

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