マリー・ラフォレの写真 Marie Laforet photos

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Plein soleil (1960)

Plein soleil

上記の写真はアルメニア出身で1939年生まれのフランス女優マリー・ラフォレ(マリー・ラフォーレ)がマルジェ役でデビューした1960年の映画「Plein soleil(太陽がいっぱい)」での私が好きな写真です。(後方はマリー・ラフォレで手前はアラン・ドロン) 恋人フィリップと喧嘩したマルジュが船を降りるこのシーンでマリー・ラフォレが着ているのは白線付きセーラーカラーのベージュ色のプルオーバーと白いパンツでとてもお洒落なファッションですが、肩付きの黒い水着や大胆な赤と白の横縞の袖付き水着や終盤の白黒碁盤縞のワンピースも素敵でした。(水着はハイレグなど存在しない時代で裾はストレート)
「太陽がいっぱい」は、ジェラール・フィリップが1954年に主演した「Monsieur Ripois(しのび逢い)」で有名なRené Clément(ルネ・クレマン)監督がミステリー作家のPatricia Highsmith(パトリシア・ハイスミス)が1955年に書いた原作「The Talented Mr. Ripley(才人リプリー君)」を1960年に映画化した名作です。 物悲しい映画のテーマ曲がヒットパレードの上位に入りラジオから頻繁に流れていたので今でも耳に残っています。 主人公のTom Ripley(トム・リプリー)にAlain Delon(アラン・ドロン)、トムが羨んだ金持ち息子のPhilippe Greenleaf(フィリップ)には1957年に「Ascenseur pour L’echafaud(死刑台のエレベーター)」に出演したMaurice Ronet(モーリス・ロネ)、そしてその恋人のMarge Duval(マルジェ)に大抜擢された新人のマリー・ラフォレです。 フィリップが友人のフレディに出逢うシーンでFreddie(フレディ)の女友達として「Monpti(モンプチ)」に出演したドイツ女優で当時アラン・ドロンと婚約中だったRomy Schneider(ロミー・シュナイダー)がカメオ出演しています。(なんと1968年には別れた後のロミー・シュナイダーとアラン・ドロンが「La Piscine(太陽が知っている)」でモーリス・ロネと共演) そのフィリップの友人のフレディはトムをたかり屋とみなして嫌っていましたが、フィリップの殺害を疑ったのでトムに殺されてしまいます。

アメリカ本国の富豪からヨーロッパで遊びほうけている息子(トムの友人のフィリップ)を連れ帰るよう大金を積まれて頼まれた貧しい青年トムはプレイボーイのフィリップの豪勢な生活ぶりを目の当たりにしてすっかり魅了されてしまうのです。 その生活だけでなくパリジェンヌのフィリップのフィアンセまでも。 父親は約束したフィリップからの手紙が届かないのに立腹してトムとの契約を解除すると迫ったこととヨットでのトムを弄んだフィリップの残酷な仕打ちにトムの復讐ともいえる犯行計画が頭をもたげたようです。 トムは完璧にフィリップになりきるよう努力し、知恵を振り絞った大細工小細工の結果、遂にはフィリップの恋人のマルジェまでも手に入れる。 「太陽がいっぱいだ(最高の気分だ、万事うまくいった)」と至福の時を過ごすトムが売却のために引き上げた船にくっついたオマケに唖然とするシーンは悲鳴をあげたマルジュと共に観客にとっても鳥肌ものです。 すっかりトムに感情移入していますから、まるで私の犯罪が露見したような気分にさせられました。 ちなみに「太陽がいっぱい」で恋人のフィリップがいなくなったことをトムから聞いて悲嘆にくれるマルジェにトムがギターを持たせて「弾いて、僕のために」と頼むシーンがありますが、これがラフォレ二作目の映画「赤と青のブルース」でモ歌ったマリー・ラフォレがシャンソン歌手としても成功するきっかけになったのかもしれません。

アラン・ドロンは1958年に青春コメディの「Faibles Femmes(お嬢さん、お手やわらかに!)」で若い女性のハートを掴み、1959年には「Le Chemin des écoliers(学生たちの道)」、1960年にAnnie Girardot(アニー・ジラルド)が出演した「Rocco e i suoi fratelli(若者のすべて)」で主役級になりましたが、なんといっても「太陽がいっぱい」で世界的に有名になり、この後はもう人気スター街道まっしぐらでした。 ちなみにロミー・シュナイダーと婚約中にKrista Nico(ニコ)と関係して子供を儲けたとも云われていました。 1994年に生まれたドロンの最後の息子であるAlain Delon Jr.(Alain-Fabien Delon)も二人の兄同様に俳優となったとか。

Plein soleil

「太陽がいっぱい」では音楽を担当したNino Rota(ニーノ・ロータ)の叙情的かつ厭世的な物悲しいテーマ曲が一世を風靡し、日本でも当時はあちこちのヒットパレード番組で上位になり夏というとこの曲が思い出されます。 1952年に名作である「Jeux interdits(禁じられた遊び)」でNarciso Yepes(ナルシソ・イエペス又はナルシソ・イープス)が演奏するギター曲の”Romance Anonimo”を使用したルネ・クレマン監督は、1964年に「太陽がいっぱい」で主演したアラン・ドロンを主役にした「Les Felins(危険がいっぱい)」も監督しています。 この映画でもLalo Schifrin(ラロ・シフリン)が作曲した洒落た”Theme From Joy House”がテーマ曲として使用されています。
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私が持っている「太陽がいっぱい」のEPレコードのテーマ曲はThe Film Symphonic Orchestra(フィルムシンフォニックオーケストラ)が演奏する「Der Stern von Afrika(アフリカの星のボレロ)」との抱き合わせ盤です。
現在はサントラも数多く手掛けたイタリアの音楽家のCarlo Savina(カルロ・サヴィーナ)とJacques Metehen(ジャック・メトアン)指揮のサウンドトラック「Plein Soleil [Bande Originale du Film]」がリリースされています。(16曲収録した2006年盤)
Nino Rota – Plein soleil – YouTube
パトリシア・ハイスミスの原作は1999年にアラン・ドロンが演じたトムの役をMatt Damon(マット・デイモン)が演じた「The Talented Mr. Ripley(リプリー)」としてリメイクされています。 オリジナルの「太陽がいっぱい」では犯罪をやり遂げた後にヨットに繋がって死体が上がってくるのですが、アランドロンがジャン・ギャバンと組んでカジノ泥棒を演じた1963年の「Mélodie en sous-sol(地下室のメロディー)」では盗んだ札束がプール底から浮き上がってきました。(Henri Verneuilが監督でMichel Magneがテーマ音楽を担当し全編でリフが流れる)

Saint-Tropez Blues / Tumbleweed EP / Fontana 1002
写真は私が映画の公開当時1960年頃に購入したサントラ盤でSaint-Tropez Blues / Tumbleweedを収録しています。 1960年の「太陽がいっぱい」で世界的に有名になったマリー・ラフォレが次に出演したのが他愛のない青春ヴァカンス映画の「赤と青のブルース」です。 ストーリーは学生の夏休みを描いていますが、フランスの高級リゾート地のサントロペでのハイソな情景に羨望の眼差しを送ったものでした。 映画の中でマリー・ラフォレがギターの弾き語りで歌ったテーマ曲の”サントロペ・ブルース”も大ヒットしました。
☆「赤と青のブルース」について詳しくはAudio-Visual Trivia 内のマリー・ラフォレ Marie Laforet

La Fille aux yeux d'or

Bande originale du film; La Fille aux yeux d’or Fontana FON-1014
写真は当時私が購入した「金色の眼の女」のBande originale du film(サウンドトラック)EP盤です。(1êre Partie et 2ême Partie) A面B面とも「禁じられた遊び」のRomance Anonimo(愛のテーマ)で有名なNarciso Yepes(ナルシソ・イエペス)が作曲したテーマ曲で印象的なフレーズが場面の変わり目に常に流れます。
1961年にマリー・ラフォレが主演した「金色の眼の女」のナルシソ・イエペスのギターが奏でるテーマ曲はヒロインの”金色の眼の女”をファンタジックに表現したクラシカルな美しい曲です。 この映画は「谷間の百合」が有名なフランスの作家であるHonoré de Balzac(オノレ・ド・バルザック)の1835年の「Histoire des Treize(十三人組物語)」の一話のレズビアンをテーマにした「La Fille aux yeux d’or」(同名小説)をもとにしてレズビアンの女たちと男が絡んで殺人事件に発展する内容です。 マリー・ラフォレにメロメロになったフランスのJean-Gabriel Albicocco(ジャン=ガブリエル・アルビコッコ)監督は1960年にマリー・ラフォレと結婚し、マリー・ラフォレを美しく幻想的に描写しています。 ガブリエル・アルビコッコ監督は日本未公開の1963年の「Le Rat d’Amérique(アメリカのねずみ)」でもマリー・ラフォレを起用していますが結婚は10年ほどで終わりました。 ちなみにサントラの画像は写真家が自動車に乗っている金色の眼の女(ラフォレ)を写して暗室で印画紙を取り出した時の画像です。 ラフォレに役名は無くただ”La fille(娘)”となっています。

1959年の「L’Eau à la bouche(唇(くち)によだれ)」にJean-Paul役で、Edouard Molinaro(エドゥアール・モリナロ)監督の「J’irai cracher sur vos tombes(墓にツバをかけろ)」ではStan Walker(スタン)役で出演していたPaul Guers(ポール・ゲール)が「金色の眼の女」では女たらしの写真家のHenri Marsay(アンリ)を演じています。 その写真家は以前見た学生だという金色の眼の女(ラフォレ)を再び仮装舞踏会で見かけて一人暮らしらしき女の部屋に強引に入り込みますが、意外な事実が判明。 ファッション写真家を愛してしまったのか金色の眼の女は「結婚して遠くに行きたい」と言っていたのですがどこを探しても見つかりません。 秘密の隠し扉の向こうはFrançoise Prévost(フランソワーズ・プレヴォー)が演じる写真家の十年来の女友達で婦人新聞社のオーナーのEléonore(エレオノール)の部屋に通じている。 なんと金色の眼の女はエレオノールと同性愛関係にあったのだった。 エレオノールが二人の関係を知って隠してしまったのだが、やっと隠れ家で金色の眼の女を見たと同時に嫉妬に狂った中年女は、あれぇー、なんてことを! Catherine Deneuve(カトリーヌ・ドヌーヴ)の姉で短命の美人女優Françoise Dorléac(フランソワーズ・ドルレアック)が誘拐されるモデルのKatia(カチア)役で出演しています。
イエペスのギターが流れる「金色の眼の女」のワンシーンが観られるDorléac comme Katia dans La fille aux yeux d’or (1961) – YouTube

「金色の眼の女」はDVDはおろかVHSでさえ見つかりません。 マリー・ラフォレが出演した映画のビデオとしては日本のAmazon.co.jpでは「太陽がいっぱい」のDVDと「赤と青のブルース」のDVD以外はジャン=ポール・ベルモンド主演の映画が2本と1985年の「Tangos, l’exil de Gardel(タンゴ ガルデルの亡命)」くらいです。 VHSでは”Purple Noon”というタイトルで「太陽がいっぱい」のVHSだけが見つかります。 本国フランスではどうかというと「Plein soleil(太陽がいっぱい)」他全30件のDVDがヒットします。
フランスで発売されているマリー・ラフォレの出演映画のDVDは「太陽がいっぱい」の他には1978年の「Flic ou voyou(警部)」、1982年の日本未公開映画の「Que les gros salaires lèvent le doigt!」、1984年の「Joyeuses Pâques(恋にくちづけ)」や同年の未公開映画「Les Morfalous」と同年の日本未公開映画の「Les morfalous」、1985年の未公開の「Le Pactole」、1987年の未公開「 Il est génial Papy !」、1997年の「Tykho Moon(ティコ・ムーン)」以下20件ほどが販売されていますが殆どがベルモンドのおかげのようです。

マリー・ラフォレは「金色の眼の女 」で主演した後は1962年にMylène Demongeot(ミレーヌ・ドモンジョ)が出演した「À cause, à cause d’une femme(女は夜の匂い)」、エドゥアール・モリナロが監督してJean Paul Belmondo(ジャン=ポール・ベルモンド)以下豪華キャストだった1964年の「La Chasse à l’homme(男を追って)」と準主役が続きましたが、1964年に「赤と青のブルース」を監督したClaude Chabrol(クロード・シャブロル)の「Marie-Chantal contre le Dr Kah(ジャガーの眼)」では主役に返り咲きました。 私は未見ですがピンクパンサー風なミステリーのようです。 1965年には「Estate Violenta(激しい季節)」を監督したValerio Zurlini(ヴァレリオ・ズルリーニ)の「Le Soldatesse(国境は燃えている)」に出演するなど1980年代まで15本ほどの映画に出演していますが、そのうちジャン=ポール・ベルモンドとの共演作品は合計6本もあります。

Tu fais semblant

Tu fais semblant / Mary Ann (Blizzard) LL-535-F
写真は私が購入したマリー・ラフォレのシングル盤です。(多分1964年頃) オリジナルは1963年リリースのA面がTu fais semblant(悲しみの旅路)でB面がMary Ann(いとしのマリー)ですが、相変わらず力まない自然体の歌唱法でしっとりと聴かせます。
Tu fais semblant Paroles
Tu fais semblant d’être content,
mais tu as mal, mal autant que moi,
Tu me disais que pas toujoures,
mais tu rêvais au grand amour.
Marie Laforet – Tu Fais Semblant (1963) – YouTube

Bert Kaempfert's EP with Marie Laforet

The Aim Of My Desire / Syay With Me
おまけのレコードジャケットはBert Kaempfert And His Orchestra(ベルト・ケンプフェルト楽団)が演奏するムード・ミュージックを収録したEP盤です。 ジャケットの写真は「太陽がいっぱい」のワンシーンのようですが、レコードの解説にはなぜマリー・ラフォレの写真をジャケットに使用したのかは書かれていませんでした。 発売当時はベルト・ケムプフェルトと呼ばれたハンブルグ(ドイツ)出身のバンドリーダーは作曲や編曲も手掛けました。
収録されているレアものはA面がドイツのMoesser(メッサ)が作曲した”Das Ziel Meiner Wunscase(The Aim of My Desire / 欲望のブルース)”で、B面がベルト・ケムプフェルトが作曲したSyay With Me(行かないで)です。 Charles Tabor又はCharly Tabor(チャーリー・タボール)のトランペット・ソロが美しいラテン調の曲です。 このシングル盤がなぜマリー・ラフォレの記事内にあるかというと、ジャケットがマリー・ラフォレだから私が購入してしまったベルト・ケムプフェルトのレコードなのです。 ちなみにこの他に私が持っているベルト・ケンプフェルトのレコードにはチャーリー・タボールのトランペットをフィチャーしたバラード曲のWithout Your Love(夕ばえのブルース)とTenderly(テンダリー)があります。 1966年のコメディ映画「A Man Could Get Killed(ダイヤモンド作戦)」でベルト・ケンプフェルトが作曲した”Strangers In The Night(夜のストレンジャー)”がオープニング・クレジットのケンプフェルトの時と、メリナ・メルクーリがジェームズ・ガーナーを誘惑する時に流れますが色々アレンジした”Strangers In The Night”が全編通して使用されています。 ベルト・ケンプフェルト楽団は歌う黒人トランペットの名手と呼ばれた”Billy Mo(ビリー・モー/Peter Mico Joachim)”をフィーチャーして1957年のドイツ映画「Immer wenn der Tag beginnt(朝な夕なに)」のテーマ曲として流行った”Mitternacht Blues(Mitternachtsblues/真夜中のブルース)”や1961年の1月にBillboard Top 10 Singlesで第一位に入った”Wonderland by Night(Wunderland bei Nacht/星空のブルース)”などイージーリスニング(ポピュラー音楽)ジャンルでヒット曲を出した60年代にはヒットパレードを賑わしたミュージシャンです。
太陽がいっぱいの他ベルト・ケンプフェルトの真夜中のブルースや星空のブルースなど22曲を収録したアルバムには「魅惑のイージーリスニング・ヒッツ・コレクション」(ASIN: B00005FMLB)があります。

Marie Laforêt

この記事で使用した写真は私が半世紀前に映画雑誌から切り抜いて保存しておいた写真と手持ちのジャケット画像です。
全ての著作権はその被写体と撮影者等に帰属します。

不報 美しく歳を重ねたラフォレは2019年11月2日、80歳で亡くなりました。
黄金の眼の女よ、永遠なれ!