アイク・ケベック Ike Quebec
ジャズ界の重鎮とか先駆者とは云われていませんが、それでも忘れてはならないテナーサックス奏者はバラード演奏がセクシーなアイク・ケベックです。
ジャズ界の重鎮とか先駆者とは云われていませんが、それでも忘れてはならないテナーサックス奏者はバラード演奏がセクシーなアイク・ケベックです。
戦後復興期に元気な歌声で景気をつけた歌手は、終戦直後にブギウギで浮かれた笠置シヅ子以外には「家へおいでよ、わたしのお家へ、あなたにあげましょ、キャンデェー!」と歌ったローズマリー・クルーニでしょう。軽いポップスで売り出されましたが本来ジャズ歌手として素晴らしいアーティストなのです。
映画女優としてシャンソン歌手としてちょっと前まで活躍していたマリー・ラフォレですが、このページでは写真少々と「太陽がいっぱい」や「金色の眼をした女」などの出演映画について述べています。
1960年代には可憐でセクシーだったのに1970年代には逞しくセクシーに変貌したハリウッド女優です。可愛いだけじゃ駄目、純情可憐なイメージを押し付けないでと自ら脱皮を図った類をみない多才な女性です。
多くのミュージシャンが歌い演奏してジャズのスタンダードともなっている”Temptation”は1933年のミュージカル映画のために書かれた1曲でビング・クロスビーが歌いました。
ツイスト旋風とともに現れて歌って踊る風変わりな新人類女優のダニー・サヴァルは1950年代と1960年代のフランス青春映画スターで、短い映画活動でも後々まで忘れられないほどインパクトが強かったパリジェンヌでした。
スウィングジャズを演奏していたビッグバンド時代から時代の波に乗ってロックやフュージョンまで演奏した息の長い楽団です。バンドリーダーとしてのウッディ・ハーマンのボーカルが他に類を見ないほど愉快なのです。
ヴェロニカ・レイクのような輝くブロンドのファムファタルで、ローレン・バコールのような眼差しの北欧美人で「若き獅子たち」や「嘆きの天使」などで妖艶な役を演じて人気が出ましたが、サミー・デイヴィス・ジュニアと結婚してすぐに引退してしまいました。
2007年のクリスマス映画のブラザーサンタで大人気だったヴィンス・ヴォーンが今年もユニークなクリスマス映画に挑戦します。しかもいまやトップクラスの大女優となったリース・ウィザースプーンという強い味方を引き連れてのヒット映画です。クリスマスは家族で楽しく祝うもの。 でもその家族がバラバラに住んでいたら、どうする?
1950年代後期にフィルム・ノワールの「絶体絶命」や「殺られる」や「彼奴(を殺せ」などを監督したのにヌーベルバーグの巨匠と呼ばれそこなったフランス映画の巨匠のエドゥアール・モリナロは後にロマンス映画やびコメディなどのお洒落なハリウッド映画にも挑戦しました。
1950年代後期のミレーヌ・ドモンジョの写真集です。数は少ないですが約半世紀前のその当時に映画雑誌から切り抜いてスクラップブックに貼ってあったものです。
ロマンスと音楽とのはざまに苦悩するパリのアメリカ人を描いている映画では、サウンドトラックをいくつも手掛けているデューク・エリントンがサッチモをフィーチャーしてジャズの名曲揃いの「パリの旅愁」サウンドトラックを完成させています。
デヴィッド・リンチ監督のツイン・ピークスやブルーベルベットを凌ぐような難解かつ不条理な映画、何度観ても全てを理解することは不可能に近い。魔法の劇場で青い小箱を手に入れてみませんか?
1950年代から1960年代に絶大なる人気を保っていたフランス女優のブリジット・バルドーはセクシーの見本となりましたが、自由奔放ながらとても可愛い女優でした。
アルトサックス奏者のキャノンボール・アダレイと組んで50年代から70年代に活躍したコルネット奏者です。なんといってもナット・アダレイが作曲した「ワークソング」が素晴らしい。
スリラー作家のロバート・ラドラムが発表したベストセラー小説三部作から第一弾が映画化されました。記憶を失ったCIA工作員のジェイソン・ボーンがなぜか分らぬまま襲撃され続けながらも、必死にアイデンティティーを捜し求めるアクション映画です。
1950年代、ロカビリー旋風が巻き起こった時代に唯一の女性ロカビリアンとして活躍したカントリー歌手です。美しい顔に似合わないほどのダミ声は男性ロカビリアンたちの中にあっても決して引けをとることはありませんでした。ワンダ・ジャクソン歌は日本でもフジヤマママが大流行しました。
中世の英国を舞台にしたブーリン家の美人姉妹をめぐるヘンリー八世の愛人絵巻です。性格が全く逆の姉妹の王に対する愛と苦悩、そして裏切りを描いています。
急逝した伝説のトランペッターと呼ばれたクリフォード・ブラウンの生まれ変わりのようなリー・モーガンも若くして亡くなりました。18歳から吹き込んだ膨大な数のレコードを残して。空前の大ヒット曲「サイドワインダー」を今に伝えて。
1960年代から1970年代までイタリア青春映画の看板娘の一人だったカトリーヌ・スパークはファッションからヘアスタイルまで当時の少女たちの憧れでした。